その8

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その8

二人がギヤへ戻ってくると、最初に階段に座っていたモヒカンの男がこちらへ走り寄ってきた。 「いたいた、探したよ!」 そう言うが早いか、彼はシンとアイヴィーの腕を引っ張った。 「早く早く、みんな待ってるから!」 「えっ?」 不意を突かれて棒立ちになった二人を、モヒカンと何人かのパンクスが四方から取り囲んでフロアの方へ向かわせる。 「ちょっと待てちょっと、いったい何なんだ?」 シンがやや強い口調で言った。昔の彼だったらとっくに手が出ていた場面だけど、今はただ戸惑っている。 「決まってるでしょ、ライヴだよライヴ!」 「へっ?」 二人から間抜けな声がシンクロする。 「だって、せっかくアイヴィーが来てるんじゃん。“ズギューン!”が今夜ライヴやらないで、一体どうすんの!」 「いや、それは…。」 「みんな言ってるよ、“ズギューン!”のライヴ観ないと終われないって。もう時間がないからさ、さあ早く!」 彼らはそれ以上有無を言わさず、二人を楽屋へ連れ込んだ。 記憶の中の楽屋と同じ。 一面にパスが貼られた冷蔵庫と整理棚。真ん中に汚い机とパイプ椅子。そこかしこに出演者の機材や衣装が乱雑に置かれ、汗とヤニの匂い。 そのパイプ椅子に後ろ向きに座って、よくお喋りしてたよね。そんなアイヴィーの感慨は一瞬で吹き飛んだ。確かに、これでステージに上がれたらもう何も言うことはない。そう思ってるけど…。 「ちょっと待ってよ。ライヴって言ったって、アタシは一人だよ。他にメンバー誰も来てないんだから。」 「ギタリストなら、そこにいるだろ。」 モヒカンはそう言うと、シンを指さした。 「お、俺?」 シンが呆気にとられた声を出す。 「“ズギューン!”の曲、弾けるでしょ?」 「そりゃ、まあな…。」 「あっ、それはない!アンタたちは知らないと思うけど、シンはね…。」 そう。シンはアイヴィーと、バンドはやらない。 二人が出会った日。アイヴィーがシンに“自分がバンドを組んだらギターを弾いて欲しい”と頼んだ時、シンはきっぱりと断った。 女とバンドは組まない、と。 それが二人の初めての激論につながり、危うく険悪になりかけた。今となっては笑い話。 シンは女性を蔑視したり、女性がダメだと言っているわけじゃない。彼のポリシーとして“女性とのバンドは組まない”それだけだ。シンは男臭いバンドで演奏するのが好きなのだ。 以来、二人が同じステージに立つことはほとんどなかった。 一度だけ、“ズギューン!”のメンバーの結婚式でデュオを披露したことがある。それは本当に大切な仲間のためで、しかもアコースティックだった。 今さら、シンが信条を破るわけが…。 「分かったよ。誰か、ギター貸してくれ。」 シンの言葉にアイヴィーは耳を疑った。 彼はいたって落ち着いた顔でシングルの革ジャンを脱ぎ捨てた。 「シン…いいの?」 「こんなの、セッションみてえなもんだろ?お前とは絶対にバンドはやらねえって思ってたけどな。それで今夜、ギヤのステージに立てるなら…俺は何でもやるよ。お前だってそうだろ?」 モヒカンの男がギターを持ってきた。先ほどまでとは打って変わった、うやうやしい態度でシンにギターを渡す。まるで王様に宝を差し出すみたいに。 「俺のギターです。使ってください。」 「ありがとな。」 そう言ってシンはストラップの位置を調整し始めた。 アイヴィーはモヒカンの男に向き直った。 「アタシとシンだけじゃ、どうにもならないよ。ベースとドラムがいなきゃ。」 「大丈夫です、ちゃんと演奏できる人を用意しときました。」 彼はそう言って、楽屋の隅に待機していた二人の男を紹介した。 「ベースのヒデさんです。」 ヒデは金髪のマッシュルームカットで、黒いドンキー・ジャケットを着こんだ細身の男。その顔には優しさと一緒に、“やんちゃ”という文字もしっかり刻まれている。 「ヒデっす、よろしく。」 「ヒデさん、よろしく。アイヴィーです。」 「そしてドラムのウッチャン。」 あばた顔に肉づきのいい体格。袖をカットオフしたネルシャツを着て、テンガロンハットにサングラス。口調は素朴で気さく。 「ウッチャンさん、アイヴィーです。よろしく。」 「任せとけ。」 挨拶を交わしながらも、アイヴィーはまだ踏ん切りがつかない。 「ねえ、別に“ズギューン!”の曲じゃなくていいんじゃない?二人とも会ったばっかりだし、セッション・バンドなんだしさ、カヴァーで…。」 「絶対ダメです!」 モヒカンが強い口調で断定した。 「みんな100%のアイヴィーの歌が聴きたいんです。それには“ズギューン!”の曲じゃないと!アイヴィーだってギヤのステージに立つからには、自分の曲を歌いたいでしょ?」 「そりゃまあ、そうだけど…。」 「ヒデさんもウッチャンも、昔から“ズギューン!”の大ファンですから。ほとんどの曲は分かるから安心して下さい。正直リハの時間はありません。ぶっつけ本番ですけど、アイヴィーさんもシンさんも百戦錬磨のバンドマンですから絶対大丈夫です、俺が保証します!」 まったく調子のいい男だ。言ってることはその場しのぎもいいところ。だいいち、どうして彼がこの場を仕切ってるのかも分からない。彼が謎の主催者だとは到底思えないし。 だけど、そう言われると自分でも不思議と「そうだな」と思えてしまう。あまりにも奇妙なことの連続に、すっかり感覚もおかしくなってきちゃったかも。 「おい、アイヴィー。」 アイヴィーの心を支えるように、シンが声をかけてきた。 「少なくとも俺の方は心配ないぞ。このギター、めちゃくちゃ弾きやすい。まるで自分のギターみてえだ。」 「でしょ、でしょ?」 モヒカンの男が相づちを打つ。 「聞いたこともねえメーカーだけどな。」 ギターのヘッドには“Ultra”と印字されていた。 「ウルトラって、どこのギターだ?」 「台湾です!」 そのやり取りにアイヴィーはニヤリと笑った。先ほどまでのノスタルジックな笑顔とは違う、ライヴ直前の心地よい緊張感に包まれた、バンドマンの笑み。 アイヴィーは覚悟を決めた。 それじゃあ、一発やっちまうか! アイヴィー以外のメンバーが転換のためにステージに出ていく。彼女は一人、楽屋に残った。パーカーを脱いで革ジャンとTシャツだけになる。こんなことなら完全武装してくれば良かったな。 さっきまで演奏していたバンドのメンバーがステージから楽屋に入ってきた。直線的でポップでキャッチ―な、スリーピースのパンク・ロックンロールバンドだ。 白い革ジャンを羽織り髪を逆立てた、スリムな体型のベーシストと。ボサボサの金髪が印象的な、背の高くて体格のいいギタリスト。 「カッコ良かったよ。」 あいさつ代わりにアイヴィーが声をかけた。汗まみれのベーシストがニッコリ笑った。 「サンキュー、サンキュー。」 「じゃあ後は、ヨンロクヨンキュー!」 巨漢ギタリストの言いかたに、アイヴィーは思わず吹き出してしまった。慌てて口を押さえたが、幸い彼らには聞こえなかったみたい。二人は行ってしまった。 「気にしなくていいよ、いつもあんなだから。」 ウルトラリーゼントをビシッと決めたドラマーが一歩遅れて楽屋に現れた。赤い革ジャンの背中には大きく「虚無僧」とペイントされている。 「そうなの?」 「年がら年中、つまんねーことばっか言ってんだよね。」 そう言って彼もフロアへ消えていった。静寂が再び楽屋を包む。 アイヴィーは昔のようにパイプ椅子に後ろ向きになって座り、目を閉じて出番を待った。 もう、今夜ギヤが営業している理由なんてどうでもいい。 アタシはこれから、ギヤのステージに立つ。 正真正銘、ギヤでの最後のステージ。ギヤでの最後の夜。 これで、終わらせることができる。 ドラムの音が、ベースが、そしてギターが。DJの選曲にかぶさり、ライヴ直前の現実感を強めていく。 出番はもうすぐ。 アイヴィーはふと目を開け、楽屋をぐるっと見渡した。 今夜、ギヤの全てを目に焼きつけ、耳で確かめ、心で感じた。 最期に残っているのはただひとつ。 あの白と黒のモザイクタイルのステージに立ち、思いのたけを歌に乗せ、みんなと一体になる。 そうしたらもう、悔いはない。 DJがフェイドアウトし、聴き慣れた映画のサントラが耳に飛び込んできた。“ズギューン!”のSEだ。 こんなものまで用意されていたなんて。 今はすべてが、必然だと感じられた。 大きく深呼吸をして、アイヴィーはステージに飛び出していった。
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