2 寛太とゆり

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2 寛太とゆり

「詩乃さん、詩乃さん、詩乃さーん」 「煩い」  詩乃は自室の襖から機嫌悪く出てきた。先ほどからゆうに十回以上名前を呼ばれ続け、しぶしぶ出てきたのだ。 「おお、寒い」  店の中でも火をおこしてはいるが、それでも、自室の狭さと、布団の温かさにそこから出る気になれず、店は番頭に任せてこもっていたのだ。  仏頂面をした詩乃の視界に子供が見えた。  年の頃は十いくかいかないかの男子で、少し厚手の半纏を着て、鼻と頬を赤くし、先ほどまで上がっていた息が落ち着いたような様子だった。番頭の入れた飴湯で暖をとりながら火鉢の側に腰かけていた。 「この子のですね、」  番頭が説明をしようとすると、少年はすくっと立ち上がり、 「樫長屋のおさいの息子の寛太と言います。あなたがおいらと妹をおさいさんに引き合わせてくれたお詩乃さんですか?」  と、なかなか流ちょうに丁寧に言った。詩乃はしばらく寛太を見つめ、 「あ、あぁ。おしまさんに頼まれた先の、おさいさんの、あぁ、火事で焼け出された、あぁ……なんとなく思い出した。それで? あたしを執拗に呼んだ理由は?」 「妹が怪我をして。でも、おいらには金がないから。おいら、そのうち奉公に行きますから、そこで働いて返しますから、妹の怪我を直してもらえませんか?」  と言ったその声は、飴湯でほっこりと休まった体に、妹の悲惨な怪我と、一刻の猶予もなく走ってきたことを思い出させた。  寛太の肩が走ってきた後のように激しく上下する。それを察し、番頭がその肩に手を置き、 「大丈夫。でしょう?」  と詩乃に聞いた。 「診てみなきゃわからないよ。とりあえず、何があったんだい?」 「昨日のことです。夕餉の支度をして、火鉢に小鍋をかけたんです。それを運んだのがゆりでそれをひっくり返してしまって、足にかかって、それで、真っ赤になって、近くの医者に走ったけれど、夜だと言ってみてくれないし、金がないと言って追い出されて。  そしたらおいら、おさいさんが引き取ってくれる時に、六薬堂のお詩乃さんて人にもらった薬がよく効いた話を思い出して、一番鶏が鳴く前に家を出て、でも、少し迷って」  と少し涙ぐむ。妹のことも心配だし、夜の明けきらぬ中走ってきた恐怖や、何も告げずに出てきたので今頃おさいは心配しているだろうと思うと、どっと不安が押し寄せてきたのだろう。 「なんとも言えないねぇ。診てみなきゃ。とりあえず、一応の火傷の薬を持って行こうか。少し待ってな」  そういうと、詩乃は薬棚から何種類かの薬草を取り出すと、引き出しに入れていた白い割ぽう着を着て、薬研(やげん)で薬草を研ぎ、すり鉢で調合し、練り薬を油紙に塗った。  用意ができるころ、走り駕籠かきがすでにいた。 「狭いけどね、これが早いんだよ」  そういうと、詩乃は寛太も同じ駕籠に乗せ、二人を乗せた駕籠は樫長屋に向けて走り出した。普通に駕籠で移動するにしても左右に揺れるのに、走っているのだからその揺れは相当で、自分の意志とは無関係に揺れるので、寛太は徐々に気分の悪そうな顔をした。  詩乃はそれを見て苦笑いをし、懐から枝を一本取りだした。 「かじってみな、酔いが治まる」  というので、枝を噛んだ。少しすっとする。鼻に抜ける匂いや、さっぱりと口に広がる味。暫くそれを噛んでいると、樫長屋に着いた。前回詩乃が歩いて二時間ほどかかった道を、一時間とかからずに着いた。  樫長屋付近に来た時から、甲高く泣く声が聞こえていた。それが寛太の妹のゆりだとすぐに判った。家の前には心配そうな女将さんたちが大勢いた。 「あぁ、お詩乃さん。ってか、寛太! 寛太が居たよ!」「なんだい、お詩乃さん呼びに行ったのかい?」「いい子だねぇ」「それならそうと言えばいいのに」  などなどの声に寛太を預け、詩乃が家に入る。  一応、手当らしい何かを塗ろうか、どうしようか、でも縋りついて泣いているゆりを支え困惑仕切りのおさいに頷き、詩乃はゆりの着物の裾をめくった。 「あ、……あぁ」  詩乃がそういうとひきつけを起こしながらもゆりは泣き止んだ。 「寛太? 寛太!」  詩乃が木箱から薬を出しながら叫ぶ。 「は、はいっ。何しましょう」  というのを、詩乃がゆっくりと振り返り、 「この子が泣いてるのはお前さんが居無くなっちまったからだよ。自分を置いて行ってしまったてね。自分が怪我をしたばかりに置いて行かれたって泣いてるんだ。顔見せておきな」  詩乃がそういうと、寛太は「お前のために呼びに行ったんだよ、あそこの先生は診てくれなかったし」と説明したら、ゆりのしゃくりあげが落ち着いていく。 「まぁ大したことはないと言えども、子供の皮膚は柔らかいんで、すぐに火傷しちまう。でも、これを貼っておけば大丈夫。十日とせず治るだろうよ。ただし、その間、ここを下にしないことだ」 「というと?」 「できる限り動かないこと。じゃないと皮膚が引き連れて痕が残る。まぁ……、便所は致し方ないとしても、できる限りこの状態。足を延ばした状態で過ごすのが一番だね。きれいな足がいいだろう?」  詩乃はそう言って油紙を覆うように包帯で巻き固めた。 「あたしがいいというまではできるだけ……子供の治癒力は大したもんだから、我慢すればすぐによくなるよ」  詩乃が確認するようにゆりの顔を覗き込む。ゆりは小さく頷いた。 「寛太、あんた兄ちゃんなんだから、ゆりと、おっかさんの世話頼むよ。明日も来るから」 「え? でも、」 「毎日換えなきゃいけないからね。あたし以外が解くことはしちゃいけないよ。治りかけてくるとかゆくなるけど。我慢だからね」  詩乃は三人にそう言って立ち上がる。 「お代……、」 「寛太の出世払いらしいから」と詩乃は微笑んで外に出た。  それから十日もしない間にゆりの傷はほぼよくなり、薬の量も減って、 「もう、多分、数日の内には包帯もとれるけど。できれば、まだ皮膚は新しいから日に当てない方がいいね。すぐに日焼けしてそのまま色がついてしまうからね。まぁ、そうは言っても冬だから、大丈夫だろうけど。そうなったら、無理しない程度ならもう歩いてもいいよ」  ゆりはどれほど我慢して、走りたいかとか遊びたいかとか、そういうことをとめどなくしゃべった。詩乃とおさいはお互いに顔を見合わせて苦笑いをした。  その夜だった。  風が強い夜なので最初は風だと思っていたが、風なんかじゃなく戸を叩く音で、あの声は寛太のようだった。  詩乃が綿入れを羽織って小口を開けると、吹雪いている風と共に寛太がだるまのようになって転がり入ってきた。  ガタガタ震えてモノも言えない。詩乃はさっと湯を沸かしぬるま湯を寛太に差し出した。 「た、助けてください。ゆりが、ゆりが」  またか―。と思ったが今度は様子が違っていた。 「夕方、やけどでお困りだと聞いた。と修験僧だといった大きな男が、ゆりの包帯を見てそれを掴んで、包帯をむしり取って、これでは治らん。て、よく解らない薬を塗りたくったら、ゆりが悲鳴を上げて、そしたら、ゆりの足が、急に色が変わって、それを見た男は悪霊がついてる。とか言って、なんか呪文を唱えて、それで、それで、家に帰ったら、金を持って来いって、紙があって、それで、それで、」 「お前はいなかったのかい?」 「チリ紙ひろい―立派な職業で古紙回収業者のような仕事―をしてたんだ。母ちゃんは、仕立て上げた着物を持って行っていた隙で、おばちゃんたちが何するんだって止めたんだけど、五、六人いた男たちに追い払われて、」 「それで、ゆりは?」 「何とかって寺に、」 「何とかって、どこだよ。思い出しな。着替える間に」  詩乃はそう言うなり小上がりに飛び上がって着替える。 「思い出したかい?」 「え、えっと。とく、どく? と? ど?」 「早く思い出しなよ」  詩乃がいらいらと言いながら着替えを済ませ、防寒用の外套を羽織る。 「何とか寺って言ってた」 「なんとかおう寺? そんなんいっぱいあるよ。とにかく行くよ」  そう言って外に出る。  外は雪が舞っていた。風が容赦なく吹くおかげで顔に雪が当たる。  なんだってこんな夜に出歩くんだか―。と思いながら、南町奉行所、番屋の戸を開ける。  ごわっという音を立てて風と詩乃と子供が入ってきて、同心たちは一瞬固まった。こんな吹雪の夜に誰が訪ねてくると思うだろうか? それが、出不精で有名な詩乃であればなおさら、何事かと思われる。 「……し、詩乃?」  近づいてきた同心、岡 征十郎に、詩乃は急を有するのと、寒さと、イライラで声を震わせながら言った。歯の根が合わないので、言葉の端々に歯が当たる。  結局、震えが治まらず、何とか相手方に話が通じたのは二度、三度話をした後だった。 「子供をかどわかして寺に連れて行っては、親たちから金を巻き上げている連中がいるのを知っているかい?」 「……なんだ、それ?」岡 征十郎が眉を顰める。 「けがや病気の子供を祈祷するとか言って連れ去り、金を要求している寺のことだよ。修験僧のようだったそうだがね」 「その子の?」  岡 征十郎が詩乃の側で寒そうに手を揉んでいる寛太を指さす。寛太は岡 征十郎に頭を下げた 「妹が連れ去られたらしい。けがは右足首付近の火傷、あと、数日で治るものを変な薬をつけたせいで色が変わったと言っていた。もし、変な薬だったら、あの子の足は色が変わったままになってしまう。せっかく頑張って直してきたってのに。知らないかい? しらみつぶしに探すなんてことできないんだけど?」 「美上唐(びじょうとうじ)寺だ」 「なんだ、その寺」 「寺と言っても名ばかりで、賭場であるという報告も上がっている。表向きは唐から伝わる秘薬を作っているということになっているが、」  岡 征十郎の後ろから、与力の助川が説明した。 「どこにある?」  詩乃の言葉に助川の号令が重なり岡 征十郎たち同心が防寒具を身に着けた。  吹雪いている夜闇の中を一同は美上唐寺へと走った。詩乃と寛太には駕籠が用意され、一緒について行く。  以前乗った籠で酔った寛太も、今日だけはそんな余裕もなく、ぎゅっと握りこぶしを握っていた。  美上唐寺というには粗末な場所だった。中では男たちのどら声が響いていて今まさに土場が開かているようだった。  その入り口におさいが手を揉んで立って居た 「おさいさん。遅くなって相済まなかったね」 「すみません、お詩乃さん。この子は、すぐにお詩乃さんを頼りにしちまって」 「そりゃ構わないよ。でもね、こんな吹雪の夜に、子供だけで走ってくるのは、心の臓に悪いやね」  詩乃はそういって寛太の背中をそっと撫でた。 「大丈夫、一応、役人の中でも、役に立つ連中だから」  詩乃は寛太とおさいと邪魔にならないような、風から身を守れるようなところへ行き、あとは、岡 征十郎たちに任せた。 「御用改め―」  という声と、怒号と、いろんなものが倒れたり、当たったり、壊れたりする音が聞こえる。 「観念しろ」  助っ人の岡っ引きたちがこぞって縄をうったり、抵抗して大騒ぎをしている声に押さえつけようとする大声が続き、 「詩乃! こっちだ」  という声に中の様子を見る。  寺というよりは、少し大きめな屋敷で、雨戸は壊され、縄を打たれて縛られ大人しくなっているもの、縄を打たれている最中で暴れているものが、いろいろ壊されている家の中に見える。  そんな中、わりと大人しく修行僧らしい男たちは縄で縛られている。数名はぐったりと横になっている。その部屋の隅に、数人の子供たちが見えた。詩乃は駆け寄ると、眉をひそめ、 「小早川先生のところへ、早くっ」と叫んだ。  ほとんどの子供たちは、小早川診療所での手当てがよく回復したが、一人だけ、風邪をこじらせ肺炎を起こしていたものだけが回復が遅れた。 「厄介なものだな」  小早川医師は眉間にしわを寄せて呟いた。 「まぁ、毒を以て毒を制する。という精神で毒を飲まさないだけましとはいえ、子供たちが飲んだ風を装って吐きだしていたおかげで、軽い下痢で済んだが、何をもってそこいらの草を煎じて飲まそうとするか」  医術者である小早川医師には信じられない冒涜だと言わんばかりだった。 「本来、修験者は薬草に詳しいはずだから、こいつらは格好だけなのだろう。身なりはそうであれ中身のない、これを売る気だったのかしらね?」  詩乃の言葉にも怒りが滲んでいた。  ゆりの足の傷だが、多少色がついてしまった。気にしなければ気にならないが、年頃になると、やはり気にするかもしれない。と詩乃が謝る。 「大丈夫よ。これを見て、何かするときは慎重にすることって。あたしね、そそっかしいから、だからこれを見て考えることにするわ」  と言った。詩乃は上等だ。と笑った。それから三日ほどしてゆりも普通の生活を送っていいと詩乃から言われるなり外に駆け出て行った。 「それにしても、あの寺で作られていたものは何だ?」  岡 征十郎が六薬堂にやってくるなりそう切り出した。  小春日和の穏やかな日だったが、「寒いのは寒い」とふてぶてしく火鉢を抱えていた詩乃が上目遣いで岡 征十郎を見る。 「何とは?」 「小早川先生が、お前に聞けというので、」  岡 征十郎には思い当たる薬があったので、小早川医師が言い渋っているのを見て確信していた。  美上唐寺に踏み込んだ際、そこに居た修行僧たちの様子がおかしかったのだ。それは以前、長崎藩江戸屋敷勤めで起こった事件の際に、犠牲者が出た彼らと同じ様相だったのだ。  だが、はっきりと言わない以上岡 征十郎は詩乃のもとへ来るしかなかった。 「大麻だったようだね」 「子供たちにも?」 「いいや、あれは、……ただのそこら辺の草をすりつぶして作ったもので、毒にも薬にも……かぶれてしまったから、ゆりの足に色が残ってしまったけれど、たいしたことにならなかったのは、まぁ、そういうわけだよ。  修験僧たちが上唐如来とか言って崇めていた木? あたしにはただの木にしか見えなかったが、あれに隠していたようだね。穴開けてそこに入れて、そこから取り出して……。  まぁ、そう言った興奮状態で作った薬だから、ものすごい良いものだったんだろうけど。しょせん心得のないものが作ったものだからね……岡 征十郎。あんた、顔、怖いよ」  詩乃の言葉に岡 征十郎は咳払いをする。 「嫌ではないか、また、あれが出てくるなんて」 「まぁ、……そうだね。例のエスパニアの宣教師は見つかっていないわけだから、出てくるとは思っていたけどね」 「あんな目立つ風貌なのに、なぜ見つからない?」 「誰かが匿っているからだろうよ?」 「誰がだ? 大江戸の家を一軒一軒調べるか? 大名屋敷かもしれぬに、」 「どこだろうねぇ。……見当がつかない。でも、匿っている相手は、そいつを利用しようと匿っているか、そいつのことを知らずに匿っているか」 「お触書も出したし、大いに世間を騒がせただろ?」 「それすら届かない田舎なら、隠れるかもしれない」 「いや、田舎ならなおさら、あんな風貌、隠れられるはずはないだろう?」  詩乃は首をすくめた。
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