『もしあのとき雨が降ったなら』

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『もしあのとき雨が降ったなら』

 水底のように深い青を湛えた髪の毛は、膝裏まで真っ直ぐ伸びていた。座れば束ねた絹糸のようにしなやかに垂れるその様は、人のそれではないと思い知らされる。  かみさまはわたしを膝の上にのせて、空の上から村の様子を見守る。ほんの少し前まではこの村で過ごしていた私も、こんなに俯瞰した角度で村の様子を見たことがなかった。やんちゃな子が登る木よりも随分と高いそれに、思わずかみさまの腰元に縋り付いてしまう。かみさまはそんなわたしを不思議そうに見て、また村の様子を見守る。村はいつも通り平和に満ちていた。そう、数日前にわたしを生け贄に捧げたとは思えないほど、寸分違わず。 「ああ、そういえば雨が足らないのか」  村のみんなが、しきりにそう話していたことを思い出す。視線をかみさまへと向ければ、髪色よりも深い、緑がかった青色の瞳がわたしを見つめ返す。母親の温かい視線とも、司祭様の冷徹なそれよりもまた違った、無垢な瞳。幾度か瞬きをして「お前が捧げられたのもそれが理由だろう」と口にする。悪気はないけれど、傷口を抉るような単語に、唇を結んでしまう。しかしかみさまは気にとめるでもなく、そして雨を降らせるでもなく村を見下ろす。見下ろされていることをしらない村人たちは、毎日を同じように謳歌する。 「降らせないんですか」  わたしは口を開く。おそるおそる言葉を選ぶけれど、もう死んでいる身だから敬っても仕方ないのかもしれない。かみさまはわたしを見て「ふむ」と口にする。 「雨を降らせるには骨が折れる」 「でも降らせないと、また誰かが」  言葉を切れば、かみさまは瞳を瞬いた。そうして暫く口ごもった後に「そうだな」と指先で空をかき回す。青空の下、のんびりと浮かんでいた雲たちが風に流されて徐々に集まり、層となる。鈍色にくすんだそれに向けて指を滑らせれば、雲は太陽を、そして空をも覆い隠す。 「暫くはお前だけで十分かもな」  久しく見ていなかった曇り空。次第に空気に湿り気が帯び始め、耐えきれない雨雲は雫を落とす。突然の雨に村人は声を上げる。満ち足りた顔でそれを見下ろす神様に、私はやはり、唇を結ぶ。  もしもあのとき雨が降っていたならば、わたしはきっとここにはいない。喜び抱き合う村人たちの中でただ何も知らぬ無垢な笑顔で、恵みの雨を喜んでいただろう。しかしわたしはもう、わたしの死体が沈んだ川の縁で、いたくきもちわるい笑みを浮かべていた彼らをもう『知っている』。聞きたくもない歓声にかみさまへ縋り寄れば「そんなに嬉しいか」と彼はひどく嬉しそうに、笑っていた。
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