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何処の世界でも生きていくのは楽じゃない。狸たちも然りで狸山の餌が乏しいので人里まで下りて来て人間に餌をもらったり田畑を荒らしたりして食いつなぐようになった。
そんな狸たちを嘆かわしく思ったタヌ吉は、一大決心した。綱渡りの技を身に着け見世物小屋の座長に雇って貰い自力で餌を獲得し生活しようと思ったのだ。で、そうなるべく日々精進することになった。
それは肉体的にも精神的にも辛いもので村で拾ってきた綱を木から木に渡し綱渡りの練習をするタヌ吉を見て他の狸たちは只々馬鹿にして嘲笑った。
そんなことして何になると思っていたのだ。
そう白眼視する狸たちを余所にタヌ吉は一心不乱に綱渡りに取り組んだ。
バランスをとるのが至難の業なので何度も何度も足を踏み外し、その度に笑われたが、低い位置から始めていたので怪我をすることはなかった。
けれども、食べ物を十分得られないので日を追うごとに痩せ細って行った。
それにもめげずに暑い日も寒い日も来る日も来る日も昼夜を分かたず練習に没頭し自信が付く度に綱の高さを上げて行った。
その血の滲むような努力が実って遂に自信がついたタヌ吉は、早速、見世物小屋の座長に売り込みに行ったところ実際にタヌ吉の綱渡りを見た座長は、これは良い!絶対、家の売り物になる!と太鼓判を捺しタヌ吉を雇うことにした。
それからというものタヌ吉は見世物小屋の売れっ子になり、お茶の子さいさいで綱渡りが出来るようになると、余裕をかまして茶釜に化けて綱渡りをこなすようになった。
だから、これぞ正しく分福茶釜だと人々の評判を呼び人気を博し続けた。
しかし財を成した座長が与える美味い餌を食い続けたことが仇となり余計な贅肉がついて来てバランスをとるのが困難になって来たタヌ吉は、或る日の興行中、到頭、綱渡りに失敗して落下してしまった。
その際、足を骨折して再起不能と思われるほどの重傷を負ったタヌ吉は、無情にも客たちには笑い交じりの罵声を浴びるわ座長にはお払い箱にされるわで見世物小屋からおっぽり出されてしまった。
丁度その時、雨が降って来てタヌ吉は心身ともに冷え切って放っておけば、死を迎えるのは確実となった。
それから丸一日経って目が覚めたタヌ吉は、炉辺で掛布団を掛けられ敷布団の上に寝ている自分に気づいた。
「おう、漸う起きたか。良かった良かった。」
見ると、年の頃は30でこぼこの男が囲炉裏の横座に座っている。
タヌ吉はこの人が助けてくださったんだと思い、お礼を言おうと上体を起こそうとしたが、体の節々が痛んで出来なかった。
「おう、無理をするな。横になっておればいい。そのまま安静にしておることだ。」
その思いやりの籠った言葉に感銘を受けたタヌ吉は、すっかり癒されて痛みも一旦は和らいだ。
「何とお礼を言ってよいやら・・・」
「おうおう、お礼なぞせんでもいいから静かに寝ておれ。今、お粥を食べさせてあげるからな。」
男はそう言うと、自在鉤にかかっている鍋の中からお粥をお椀によそってタヌ吉に食べさせた。
そんな優しい男の世話は幾日も続いたが、その甲斐もなくタヌ吉はどこをどう拗らせたか日に日に弱って行った。
で、或る日、死を覚悟したタヌ吉は、看病を続けてくれる男に途切れ途切れ言った。
「ぼ、僕はもう駄目です。こ、こんなに早く一生を終わるなんて、ぼ、僕は結局、失敗者でした。」
「何を言ってる。君は堕落した他の狸たちとは違って一つのことを極め立派に生きたんだ。決して失敗者なんかじゃない。」
「そ、そうですか。」
「そうだよ。この俺が言うんだ。間違いない。」
「そ、そうですよね。みんな僕を見捨てたのにあなただけは、ち、違う・・・」
「そうさ。俺は他の奴とは違う。」
しばらく重々しい沈黙が続いた後、タヌ吉は残る力を振り絞って言った。
「ぼ、僕はあなたに、あなたという素晴らしい人に見込まれた。だから助けられた・・・」
「そうさ。俺は君を助ける価値のある者として選んだんだ。」
「と、とても光栄に思います。」
「うん。」と男が涙ながらに深く頷いた時、タヌ吉は幸せそうな表情を顔に浮かべ、そのまま目を閉じた。
安らかな最期だった。
それを見届けた男は、粛々とつぶやいた。
「この俺に一目置かれた分福茶釜。」
男はタヌ吉をねんごろに埋葬するべくタヌ吉の亡骸を背負って狸山の頂上まで登って行った。その間に人間たちにも狸たちにも蔑んだ目で見られた。
何で自ら自分を見世物にして不具にして死んだ奴の為にあそこまでするのか彼らには分からなかったのだ。
皆にちやほやされる者に対しては皆と一緒にちやほやするが、皆にちやほやされなくなった者に対しては皆と一緒にちやほやしなくなる、そしてちやほやしている間もちやほやされる者の真価を分からないでいるのだ。
だから男のすることが分からないのだ。
何はともあれ看病される間に男に感化されていたタヌ吉は、永遠回帰の旅に出た。
そう、男とは他ならぬツァラトゥストラだったのだ。
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