放課後等ディの職員は素人である。ディ勤務三年目

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放課後等ディの職員は素人である。ディ勤務三年目

 私たちは素人である。  そのことを、放課後等ディサービスの職員は心得なければならない。  預かる子ども達がどんな特性を持っているのか、問題行動に対して心理士や精神科の医師はどんなアドバイスをしているのか、発達検査の結果と見方、そしてそれはどのような支援方法につながるのか。  私たちは素人である。  だからこそ、専門家の意見には耳を傾けなければいけない。  素人見解で支援をするのは、例えるなら、「風邪をひいたのでねぎを首に巻いて寝たら治った。だから風邪をひいたらねぎを首にまけばいい」と同じことだ。  「私が以前こういう支援をしたらよくなった。だからこの方法は正しいのだ」と根拠もなく思うのは、「ねぎを首に巻く」のと同じではないか。  教員歴四十年、定年退職後に就職してきた年配の児童発達支援管理責任者がこう言った。  「新一年生の字が汚い。鉛筆がうまく持てないようだ。鉛筆の先をよく見るように何度も注意した」  手先の不器用さ、視覚認知の違いは、私のような素人でも、放課後等ディに勤める人間としては基礎知識として身につけている。  にも関わらず、彼女はASD、ADHD、LDについて、全く学習しようとしない。四十年「ねぎを首に巻く」経験を積み重ねた結果、問題と解決策はどこにあるのか、見向きもしないのだ。  私たちは学習支援をうたう施設ではあるものの、福祉施設である。成績を上げたければ塾へ行けばいいのだ。  では学習支援の福祉施設とは何か。  「学習」という活動を通して、いかに「自力で」「やらなければいけないこと」に取り組めるようにするのか。それが一番大切なことだと私は思っている。  私たちが彼らに関われるのは、人生七十数年のうちの、最大でもたったの九年間。そのうちの週二~三日、一日三時間。  彼らの人生の何万分の一の時間だけ。  彼らが十五歳になったら、その後の六十年は面倒をみてあげられない。  数日前、成人障がい者の就労移行支援を経て、放課後ディサービスに勤めている児童発達管理責任者と話す機会があった。  彼女いわく、「十歳頃から、もう就労の準備は始めていった方がいい。遅くなればなるほど、支援は難しくなる」。  私もそう思う。  十五歳になるまでに。  ひとりで「やらなければいけないこと」を整理し、優先順位をつけて時間配分をし、自力で取り組めるように。  自分の持ち物を整理して、「どこに」「なにが」あるのかわかるように。  「なくしてはいけないもの」を「なくさない」ように。  果たしてこの施設で、子ども達はそれを学べているのだろうか。  「学習」ではなく「自立」について学べるよう、意識した支援をしているのだろうか。  疑問が多く残る施設で、私は働いている。
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