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絢斗のことだ、合鍵を渡してしまったからにはもうなし崩し的に半同棲っていうかほぼ同棲生活ーーを、覚悟したのだが、そうはならなかった。
絢斗は週一度来るか来ないか、という具合で、来たからといって空白を埋めるように盛ってくるわけでもなかった。
拍子抜けのような、勝手に独りで肩透かしを食らったような、来られなきゃ来られないで複雑なもんだな。と、面倒臭い女のような感情に頭をがしがしと掻く。
だがその一方で、他愛もないメッセージだけは届き続けている。たまにゴールデンタイムを超えた辺りからぱったりと止まることに、あー……。と、無意識に溜め息を吐いたりもする。
俺が足を洗って欲しいと言えばそうするかもしれない。
しかし、あいつにはあいつの意思や思惑がある。し、学生とはいえ同時に成人男子でもある。俺に言った年齢が嘘でなければ、だが。
金じゃない。とは言っていたが、それ以上は話して来ないし、話して来ないものを語らせたくもないわけで。
「あーああー……」
そう言えば、明日は休みだ。レトロな喫茶店に行きたい、とか言ってたっけ。
メッセージを遡り、送られていたリンクから場所を確認しつつ、スマホを握ったまま眠りに落ちた。
は、と目を開け跳び起きてスマホを確認する。良かった、寝坊はしていない。
はー。と、安堵の息を吐くと、隣からクスクスと笑う声が聞こえる。
「おはようございます、スバルさん」
何日かぶりに見た笑顔に、力が抜けてもう一度枕に突っ伏した。
「んだよ……」
来るなら来るって言っとけ。と思うが、来ると言われていたら起きて待ってしまったかもしれない。こいつならそこまで考えて、敢えて言わずに来たのだろう。俺を寝かせるために。
「先に謝ります、ごめんなさい」
突然の謝罪に顔を上げれば、そのまま唇を奪われ組み敷かれた。
ぎゅっと身体を密着させられ、謝罪の意味を把握する。
「もう我慢が限界です」
「……俺、も」
何だこれーー昼ドラか。なんてツッコミたくなる気持ちを抑え付け、手を伸ばして絢斗に触れる。
まだ軽いキス一つしかしてないというのに俺の身体は一気に体温が上がったみたいに熱くて、早く俺のことを知り尽くしているこの手に触れて欲しいと叫んでいた。
絢斗は驚いたように目を瞬かせ、そして細めた目に熱を揺らめかせながら俺のTシャツに手をかけた。
流石に腹減ったな。と時間を確かめれば、そろそろランチタイムが始まる時間だった。
「約束してた喫茶店、行きません?」
「あー……そうすっか」
起きれます?と、無理をさせた自覚があるらしい気遣いをみせる絢斗に、まあ何とか。と返してゆっくりと起き上がる。
ぼちぼちと着替えを済ませ、一緒に部屋を出て喫茶店へ向かった。
隠れ家的な店だけあって、ランチタイムでもそう混んでおらず、スロウジャズが心地良く流れ、コーヒーの匂いがゆったりと漂っている。
白髪に白い髭のマスターが水とメニューを置き、カウンターへ戻って行く。
ドリンクのページを開くと、これぞ、という佇まいのクリームソーダの写真が一番大きく載せられていた。
曲線を描き下の方が膨らんでいるグラス、メロンソーダの上のたっぷりなバニライアイス、頂点に艶々したチェリー。
目を惹かれるが、いいおっさんが……?と考えると頼みにくい。
「スバルさん、決まりました?」
「あ、あぁ」
無難にアイスコーヒーにするか。とマスターを呼び先に注文をする絢斗を眺める。
「ランチセットと、クリームソーダで。スバルさんは?」
「俺も、ランチセットとーーアイスコーヒー」
へー、こいつクリームソーダとか頼むのか。なんて思いながらぽつぽつと談笑していると、ランチセットとドリンクが運ばれてくる。
マスターが背を向け、俺がストローの袋を開けようとした瞬間ーー絢斗はアイスコーヒーとクリームソーダの場所を入れ替えた。
「おまーー」
「スバルさん、こっちが良かったんでしょ?」
ふ、と口元を緩め、絢斗はアイスコーヒーにミルクを落とす。
「俺の前でカッコつけなくてもいいのに」
「……うるせえ」
大人になってから頼んだ事がなかったような気がするクリームソーダ。
バニラアイスをスプーンで掬うと、上に乗っていたシロップ漬けのチェリーがエメラルドグリーンのメロンソーダの中に落ちて沈んだ。
冷たいバニラアイスは、おっさんになってしまった自分には甘すぎた。
「俺、大学院に進もうと思って」
アイスコーヒーをストローでくるりとかき混ぜ、絢斗はテーブルについた手に顎を乗せる。
「店にはちょっと義理もあってすぐには辞められないけど、でも来月か、再来月には話通るかなって感じで」
「……そ、っか」
おめでとう、は違うか。じゃあ何だ?と、言葉を探しつつ、頭を掻く。
「女の子と一緒にいたアレはもう今月いっぱいで、って話つけましたし」
「……お、う」
「勉強に時間割かなきゃならないですけど、でも今よりは会える時間増やせると思いますから」
「そ、っか……」
完全に主導権こいつだな。と思いつつ、じゃあこいつ以上に出来るか?と考えたところで時間の無駄だろう。と、メロンソーダを啜る。
「いっそ広いとこ引っ越して一緒に暮らしません?」
「は?」
何言ってんだこいつ。と思っている間に、絢斗はスマホを取り出し物件を検索し始める。
こいつ、本当に頭いいはずのに馬鹿だよな。と、逆に感心しつつ、ランチセットのホットサンドに齧りつく。
「二人で別々に家賃払うより、いっそ一緒に住む方が安いし快適ですよ」
ほら、と見せられた部屋は、確かに家賃を折半すれば今より安い上に広い。そしてバストイレ別で部屋数も増える。
「あー……」
住所的にも、通勤時間はさほど変わらなさそうだ。
顔を上げると、絢斗が真剣な表情で俺を見ていた。
言いたいことを察し、椅子に座り直す。
深呼吸を一つして、真っ直ぐ絢斗を見つめ返した。
「一緒に……暮らす、か」
俺の言葉に絢斗はふふ、と嬉しそうに笑い、「はい」と頷いた。
「スバルさん」
適当にテーブルに置いていた俺の手に、絢斗は自分の手を重ねる。
「ずっと俺のこと、好きでいてくださいねーーまあ、嫌いだなんて思わせないですけど」
ぎゅ、っと指を絡めて握り締められ、思わず苦笑いが零れた。
「そういうお前が好きだよ、絢斗」
俺がお前にどれだけ幸せを返してやれるかは分からないが、お前が望むーーお前を受け入れてやる存在でいてやる。
そう誓って、サラサラの黒い髪を撫でてやった。
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