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井口さんは昨日と同じく、変わっていないようで素っ気無い。が、そんな事を気にするのはもう止めた。
恋人ーーと呼んでいいものかは分からないが、俺には一応孤独を埋める存在がいるのだ。
「、はようございます」
「おはようございます、芥川さん」
井口さんが目を逸らすより早く背を向け、足を踏み出す。
トラックの助手席では、スマホが相変わらず他愛もないメッセージを知らせて震えていた。
仕事が終わり、帰る途中に鍵屋に寄って部屋の合鍵を作る。
出来上がりを待つ間、そういえば元となったカノジョには渡す前に終わったな。と、ふと思った。
積極的に家に上がりたいタイプではなかったのか、それとも最初から誰かと天秤に掛けられていたのか。今となっては知るすべもないし、どうでもいい。
だが、あの捨て犬系毒蛇野郎には渡しておいた方が良いだろう。ヘマをするようには見えないが、玄関を開けて自分よりデカい男が立っているのは正直心臓に悪い。
暫くして出来上がった合鍵を受け取り、一応一呼吸置いて玄関を開く。
「おかえりなさい」
当然のように顔を覗かせた絢斗が立っていたのは、リビングでもキッチンでもなく、ユニットバスの前で、家のバスタオルで濡れた髪を拭きながらの出迎えだった。
「ただいま」
靴を脱いで絢斗が出たばかりのバスルームへ入れ違いに入ろうとするが、長い腕がそうさせてはくれない。
「やっぱりスバルさんの汗の匂い好き。昨日興奮し過ぎて抑えるの大変だった。……今もだけど」
「はいはい。いいモンやるからちょっと離れろ」
と、ポケットをまさぐって作ってきた合鍵を見せる。
「……いいの?」
「いらねえならやらねえ」
「いる!」
若者の反射神経たるや。一瞬で鍵を奪われ、大きな手の中に包み隠された。
「ありがと、スバルさん。大好き」
「ぐぇ」
そう体格差は大きくないはずだが、加減なく腕に力を込められると息が詰まってしまう。
「毎日来てもいいですか?」
「学校ちゃんと行くならな」
「行きますよ、勿論。将来的には俺がスバルさんを養うわけだし」
「やめろ、将来的にはとかお前が言うと絵面が完全に介護じゃねえか」
「看取りますよ、俺が」
冗談ではなく、こいつは至極真面目に言っているから余計にアレだ。と、思わず頭を抱えた。
「はー……シャワー行くわ」
「メシ用意するんで、ごゆっくり」
「おー」
顔も良くて身長も高くて頭も良い。ってーのに思考とか嗜好がーーってのが、天は人に二物を与えずってやつなんかね。と、汗臭い服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びる。
可愛い笑顔で言われた『毎日見てますから』を振り切るために、伸びてきた髭をさっぱりと剃り落としてやった。
いつもと違うシャンプーの匂いにボトルを手に取ってよくよく見ると、それは激安のメンズシャンプーではなかった。
「こんなもんまで持ち込みやがったのか……」
はたと気付いて洗面台を見れば、歯ブラシとコップも増えている。
「怖……」
と、大きな水音に掻き消されるように呟き、手早く全身を洗ってバスルームを出た。
髪を吹くたびに、甘いような軽いような、とても自分とは思えない匂いがして、もう一度洗い直せばよかった。と後悔する。
一日の疲れをシャワーで流し、誰かが作った温かいメシを食べ、ビールという名の発泡酒を飲んでベッドに横たわる。
「幸せにする、か……」
皿を洗いつつ洗濯機を回し、ついでに乾いた洗濯物を畳む後ろ姿は新妻然としていた。
ベッドにだらりと横になったまま、眠気に支配されつつある頭で考える。
こんな生活悪くない。というか、良すぎるくらいだ。
だが、一方的に世話されるばかりで、俺はこいつに何を与えてやっている?快楽か?寄生出来る場所か?
このままでーーいいのか?
重い瞼に抗えず目を閉じると、それに気付いた絢斗がそっと俺に触れた。
「おやすみなさい、スバルさん」
いいいはずがない。と、分かってはいるが、今日は思考を放棄し眠気に身を委ねた。
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