10

1/1
46人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ

10

 井口さんは昨日と同じく、変わっていないようで素っ気無い。が、そんな事を気にするのはもう止めた。  恋人ーーと呼んでいいものかは分からないが、俺には一応孤独を埋める存在がいるのだ。 「、はようございます」 「おはようございます、芥川さん」  井口さんが目を逸らすより早く背を向け、足を踏み出す。  トラックの助手席では、スマホが相変わらず他愛もないメッセージを知らせて震えていた。  仕事が終わり、帰る途中に鍵屋に寄って部屋の合鍵を作る。  出来上がりを待つ間、そういえば元となったカノジョには渡す前に終わったな。と、ふと思った。  積極的に家に上がりたいタイプではなかったのか、それとも最初から誰かと天秤に掛けられていたのか。今となっては知るすべもないし、どうでもいい。  だが、あの捨て犬系毒蛇野郎には渡しておいた方が良いだろう。ヘマをするようには見えないが、玄関を開けて自分よりデカい男が立っているのは正直心臓に悪い。  暫くして出来上がった合鍵を受け取り、一応一呼吸置いて玄関を開く。 「おかえりなさい」  当然のように顔を覗かせた絢斗が立っていたのは、リビングでもキッチンでもなく、ユニットバスの前で、家のバスタオルで濡れた髪を拭きながらの出迎えだった。 「ただいま」  靴を脱いで絢斗が出たばかりのバスルームへ入れ違いに入ろうとするが、長い腕がそうさせてはくれない。 「やっぱりスバルさんの汗の匂い好き。昨日興奮し過ぎて抑えるの大変だった。……今もだけど」 「はいはい。いいモンやるからちょっと離れろ」  と、ポケットをまさぐって作ってきた合鍵を見せる。 「……いいの?」 「いらねえならやらねえ」 「いる!」  若者の反射神経たるや。一瞬で鍵を奪われ、大きな手の中に包み隠された。 「ありがと、スバルさん。大好き」 「ぐぇ」  そう体格差は大きくないはずだが、加減なく腕に力を込められると息が詰まってしまう。 「毎日来てもいいですか?」 「学校ちゃんと行くならな」 「行きますよ、勿論。将来的には俺がスバルさんを養うわけだし」 「やめろ、将来的にはとかお前が言うと絵面が完全に介護じゃねえか」 「看取りますよ、俺が」  冗談ではなく、こいつは至極真面目に言っているから余計にアレだ。と、思わず頭を抱えた。 「はー……シャワー行くわ」 「メシ用意するんで、ごゆっくり」 「おー」  顔も良くて身長も高くて頭も良い。ってーのに思考とか嗜好がーーってのが、天は人に二物を与えずってやつなんかね。と、汗臭い服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びる。  可愛い笑顔で言われた『毎日見てますから』を振り切るために、伸びてきた髭をさっぱりと剃り落としてやった。  いつもと違うシャンプーの匂いにボトルを手に取ってよくよく見ると、それは激安のメンズシャンプーではなかった。 「こんなもんまで持ち込みやがったのか……」  はたと気付いて洗面台を見れば、歯ブラシとコップも増えている。 「怖……」  と、大きな水音に掻き消されるように呟き、手早く全身を洗ってバスルームを出た。  髪を吹くたびに、甘いような軽いような、とても自分とは思えない匂いがして、もう一度洗い直せばよかった。と後悔する。  一日の疲れをシャワーで流し、誰かが作った温かいメシを食べ、ビールという名の発泡酒を飲んでベッドに横たわる。 「幸せにする、か……」  皿を洗いつつ洗濯機を回し、ついでに乾いた洗濯物を畳む後ろ姿は新妻然としていた。  ベッドにだらりと横になったまま、眠気に支配されつつある頭で考える。  こんな生活悪くない。というか、良すぎるくらいだ。  だが、一方的に世話されるばかりで、俺はこいつに何を与えてやっている?快楽か?寄生出来る場所か?  このままでーーいいのか?  重い瞼に抗えず目を閉じると、それに気付いた絢斗がそっと俺に触れた。 「おやすみなさい、スバルさん」  いいいはずがない。と、分かってはいるが、今日は思考を放棄し眠気に身を委ねた。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!