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3
「また連絡くれるって思ってました」
以前と同じく、ラブホテルの一室の入口で封筒に現金を入れつつ、律は笑みを浮かべる。
「この前会いましたよねーースバルさん」
背を向けた瞬間後ろから腕を回され、耳元に唇を寄せられた。
「あーーって、ねぇよ」
「一緒にいた女の子、カノジョじゃないですから」
否定しきれていない否定をした俺に対し、律は「本当ですよ」と目を細める。
そのまま手首を引かれ、ろくな会話もないまま俺はベッドに転がされていた。
「俺の本当の電話番号教えたら、お金抜きに会ってくれます?」
じ、っと真っ直ぐ俺を見つめる瞳は、曖昧な明るさの照明も相俟って真意が全く読み取れない。
「ーー嘘ですよ。そんな怯えた顔しないでくださいーー興奮するんで」
ふ、と口元を緩め、目を泳がせていた俺に律はそっと目を閉じて顔を近付けた。
「ホストじゃないですけど、まあそれに近いっていうかーー逆援助交際的な?」
水奢ってください。と、行為を終えた律は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して喉を潤す。
「へー……」
「でも、どっちかっていうと男の人の方が好きですよ。特にーースバルさんみたいな人が」
ペットボトルを傍らに置き、律はすっかり冷めて賢者タイムの俺に再び身を寄せて来る。
「言ったじゃないですか、俺が幸せにしてあげるって」
「そういうのは俺みたいな客のおっさんじゃなくて、ちゃんとしたそういう相手に言ってやれよ……」
勿体ねーことしてんなこいつ。と思いつつ、小さく息を吐いて寝返りを打つ。
「……スバルさんて、一目惚れとか信じます?」
「どーだろうなー……」
「じゃ、今から信じさせます」
「は?」
思わず振り向くと、律はスマホを耳に充てていた。
「……あ、店長?俺今夜このまま泊まりで。……あー、そっちは連絡入れときますから。……はい。それじゃ」
何やってーーと言いかけた俺に、律は人差し指を口元に当て静かにするよう促す。
そして続けてまたどこかへ掛けたスマホを耳に充てた。
「こんばんは。今夜の予定ってどうなってます?……あぁ。いや俺急に予定入っちゃって。……そう言ってもらえると助かります。……はい。……はい。……それじゃ、また指名待ってます」
そう言って電話を切ると、律はスマホをソファーに放り投げこちらに視線を向けた。
呆気に取られていた俺だが、一気に現実に引き戻され思わず後退る。が、ベッドの枕の向こうは当然壁で、すたすたと歩いて来た律は悠々と俺を跨いで両手を壁に付く。
「スバルさん、明日休みって言いましたよね?俺も明日予定入ってないんで」
「ぇあ……」
「分からせてあげますよ。俺がどれだけスバルさんの事が好きなのか」
頬を両手で挟み込まれ、近付いてくる顔に目を閉じる。
「男とする趣味はないって散々言うくせに、ちゃんと目は閉じるんですね」
ふふ。と笑いながら言われ、しまったーーと目を開ける。
「そうやって俺を興奮させるの、ズルい」
間近で見た瞳は今までより熱を帯びてギラギラと光っていて、落とされた唇に抵抗する力を奪われてしまった。
たった十時間かそこらで、見える世界は変わってしまったような気がする。
いや、変わってしまった。
「若いって怖ぇ……」
隣で平然とスマホを眺めている男に、うつ伏せに抱き込んだふかふかの枕から顔を上げられないまま本音が零れ落ちる。
一晩中、という言葉が比喩ではなく、本当に本当だった。
目から、耳から、身体から、「好き」とか「大好き」とか「俺から目逸らさないで」とか。
正直、三十も後半になろうかっておっさんに向けられるものとは到底思えない言葉を浴びせ続けられ、身も心もどうにかなってしまったかもしれない。
「……絢斗」
ごろりと寝返りを打って見上げると、即座に視線がこっちに向いた。
「何?スバルさん」
口角を上げ、目を細めて俺に手を伸ばし、髪に指を絡めてくる。
「りーー」
「次、その名前口にしたら怒るよ」
笑顔のまま声のトーンを落とし、反応を窺っていた俺をじっと見返してきた。
「……一目惚れ、ねぇ」
身体を重ねる行為は、まぁ、慣れているーーというか、流石プロフェッショナルのそれ、というか。とにもかくにも一方的に悦くされてしまう。
見上げた天井が鏡張りで、色白の美形にアレソレされているおっさんという間抜けな図すら意識させないほど、夢中にさせられている。
「好きっていうか、愛おしいっていう感覚かな」
少し目を伏せただけで目元に影が出来るほど長い睫毛。だが、決して女性の綺麗な目元とは違う。
律ーー本名は絢斗というらしい。それが本当に本名かどうかは知らん。
絢斗は、綺麗で、美しく色々整っているが、どこを取っても男らしい男だ。
最近では珍しくなくなった、どこから見ても女性にしか見えない男とは違う。
「独占欲とか、庇護欲とか、そういうのを刺激してくるんだよね、スバルさんて」
「……それ、俺がダメ男だって言ってるようなもんじゃねえか」
「いっそ養いたい」
「やめろ、そろそろ本気で泣くぞ」
自分が社会に出た頃に漸くランドセルを背負い始めたような相手に養いたいとまで言われると、流石に心が抉られ過ぎて吐きそうだ。
こうなると逆に養ってと言われた方がダメージが少なかったようにすら思えてくる。
「俺、別にお金が欲しい訳じゃなくて」
ぽつりと零された言葉のトーンが先程より暗く、枕に埋めていた顔を上げざるを得なかった。
「俺を受け入れてくれる存在が欲しい」
どこへ向けた言葉なのか、遠くへ視線を向けたまま言う絢斗の横顔は彼の中の絶望をひしひしと感じさせた。
気の利いた言葉一つ浮かんでこない頭をがしがしと掻き、今度は年齢より幼く見える横顔に手を伸ばして抱き寄せる。
もしこれが演技だったとしたら、こいつは俳優になってアカデミー賞だかなんだかってやつを獲ったほうがいいと思う。
初めて驚いたように目を開いて、しかし引き寄せられるがままに俺の腕の中に収まる。
「不意打ちズルい」
胸元に顔を埋めたまま、絢斗はピアスを光らせた耳をじわりと赤くした。
「先に言っとくけどな、こんなおっさんのとこにゃ幸せも金も何もねぇぞ」
どうかしてる。そう思いながら、この小悪魔的な野郎を俺は突き放すことが出来なかった。
「違うよ」
何故か少し睫毛を濡らした絢斗はじっと俺を見据え、今までで一番口角を高く持ち上げる。
「スバルさんが俺に幸せをくれるんじゃないーー俺が、全部の幸せをスバルさんにあげるんだってば」
悪魔の笑顔越しに天井に映る自分と目が合い、しまったーー。と深く深く後悔した。
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