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 雨の日も風の日も、仕事は仕事で休みになどなるはずがない。  雨に濡れた身体をタオルで拭きつつ、車内に暖房をかけて誤魔化しながらドリンクの補充を続けていく。  少しずつの遅れは積み重なると大きな遅れとなり、ステーションに戻れたのはいつもよりも二時間ほど遅い時間だった。 「お疲れ様です、大丈夫ですか?」 「あー……まぁ。それより、井口さん、残業っすか?」  いつもなら帰宅していてもおかしくない時間で、井口さんが帰宅していた場合は机の上に置いておくのが暗黙の了解だ。 「ちょっと、書類溜めちゃって」  ふにゃ、と困ったように眉を下げた表情に、どき、っと心臓が大きく鳴った。 「帰りーー大丈夫、っすか?もう暗い、し……」 「そうなんですよねー……駅までなんで、多分大丈夫だとは思うんですけど……」  ちら、とまた上目遣いに見上げられ、息が止まる。  下心じゃない。下心じゃない。下心じゃないからなーー。  そう言い訳をして、思い切って息を吸い込み口を開く。 「駅まで、送りましょうか?その、俺で良ければーーっすけど」 「本当ですか?じゃあお願いします」  やった。と小さな声が聞こえたのは、聞き間違いかもしれない。そういうことにして、事務所の外で帰り支度をする井口さんを待った。 「お待たせしてすみません」 「いや、大丈夫」  二人で並んで歩く時、小柄な井口さんを置き去りにしないようゆっくりゆっくり足を踏み出した。  ステーションに戻る時まで降っていた雨は、今はすっかり止んでいる。 「今日傘壊れちゃってて」 「え」 「帰るに帰れなかったんですよねー」  止んでて良かったー。と、のほほんと言う井口さん。言われてみれば、確かに手に傘らしきものは持っていない。 「事務所の傘パクっちゃえば良かったのに」 「えー、そしたら誰か困るかもしれないじゃないですかー」 「井口さんになら、多分みんな傘貸したいって」  こつ、こつ、こつ、と響いていた靴の音がぴたりと止まって、つられるように俺も足を止めた。  複雑そうな表情の井口さんが、じっと俺を見上げている。 「芥川さんもーーですか?」 「へ?」  長いくるんと上向きの睫毛。瞬きをする度にぱさぱさと鳥の羽ばたきのような音がしそうだ。  少し目じりの下がった女の子らしい目が、街灯をキラキラと反射させながら俺に向けられている。 「芥川さんも、傘ーー貸したいって、思ってくれますか?」  リュックを背負っていた背中を、一筋の汗が流れて落ちた。 「お、もうーーよ」  こんなに空気中に水分が溢れているのに、喉はからからに乾いている。 「わたしーー」 「ちょ、っと、待って」  言いかけた言葉を遮り、少し空いた距離に一歩を踏み出す。 『女の子に恥かかせんな』  先輩に言われた言葉を思い出し、逸らし続けていた視線をキラキラの瞳に向ける。 「俺ーー」  肝心な言葉の前に、ポケットのスマホが音を立てて震える。  そして間が悪い事にどうやら電話のようで、定期的なリズムで震え続けて止まらない。 「あーーわたし、電車の時間、なので……送ってくれてありがとうございました」  井口さんは小さく頭を下げ、小走りに横を通り抜けて行ってしまう。  はーー。と深く息を吐いてスマホを取り出すと、液晶には絢斗の文字が浮かんでいた。 『なんだよこんな時に……』  と、心の中で悪態をつきつつ、出ようとした瞬間に画面は不在着信一件の表示に切り替わる。  続けざまに表示が留守番電話一件に変わり、ロックを解除して留守電を確認する。 『会いたい』  たった一言。  もう一度深く息を吐いて、絢斗に折り返しの電話を掛けた。
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