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別れの言葉はいつもチープなテンプレだ。
『ごめん、他に好きな人ができたの』
『昴は優しいから』
『すぐにもっといい人見つかると思う』
『ごめん。ホントにごめん』
ポンポンと連続でメッセージが送られてくるスマホの画面を見ながら、待ち合わせ場所を離れてコンビニに足を踏み入れた。
カゴを手にしてビールやストロングチューハイ、ハイボール缶を適当に投げ入れついでにつまみも目に入ったものを次々に放り込む。
会計を済ませるまでの間にも、スマホは小刻みに震えながら元となった彼女からのメッセージを知らせ続けていた。
コンビニを出て、自己弁護を続ける空虚な言葉にスタンプを一つ送りミュートをかける。
タクシーを捕まえて告げる行先は、『行ってみたい』とせがまれ予約していたラブホテル。
深く息を吐いて、スマホで検索を始める。
久しぶりに会うのだから、と貯めていた金を使い切るべく、片っ端から出て来るデリヘルのページを眺めた。
そんなことが今から一時間ほど前にあり、現在俺の目の前にはモデルか芸能人かーーというくらい色白で、サラサラの黒髪で、細身で、足が長くて、スタイルの良すぎる、ハタチを超えたばかりの年頃のーー
男が立っている。
「ーーということで、お会計前払いで二万五千円になります」
「……あ、あぁ。二万五千円ね」
財布から取り出した現金を手渡すと、男はそれを封筒に入れ肩に掛けていたボディバッグに戻した。
「それじゃ、中失礼しますね。名前何て呼んだらいいですか?」
端正な顔立ちだが、笑みを浮かべるとまだ少しだけ幼さが感じられる。
正直、こんな世の中の女という女が放っておかなさそうなイケメンと呼ばれる生き物がゲイデリヘルという闇の中から現れると思っていなかった俺は、すっかり面食らってしまって酔いも覚めてしまっていた。
「名前、あ、名前な……えっと……」
「そんな緊張しないでくださいよ。いきなり襲い掛かったりしないですから」
手慣れた様子でボディバッグをソファーに置き、脱いだジャケットをハンガーに掛ける。
困ったように笑う顔も整いすぎていて、明らかに十以上は年下だというのに完全に主導権を取られてしまっていた。
「スバル」
「スバルーープレアデス星団ですね。おうし座の六連星だ、カッコイイなぁ」
「お、おう……」
名前一つでこういう知的な返しをされるとは思っておらず、またしても言葉に詰まる。
これは大いに偏見だが、ゲイデリヘルというアングラな場所で身体を売る人間というのは、もっと『まともさ』を欠いたものだと思っていた。
「改めまして、律です。電話で伺った話だと、タチネコどっちでもいいっていうことなんですが、何か特別なプレイに興味あったりとかですか?僕結構何でも付き合えるんで、遠慮なく言ってもらって大丈夫ですよ」
ソファーの隣に腰を下ろし、にこにこと人懐っこい笑みを浮かべる姿に、とりあえず呑みかけのストロングチューハイを飲み干す。
「あー……のさ」
視線を逸らしたまま切り出す俺に、彼は笑みを崩さないまま長い足を組んで頬杖を付く。
動く度に甘くしっとりとした香水の匂いがして、ますます彼が俺の隣にいる理由が分からなくなった。
「俺、さ、申し訳ないけど、ゲイじゃないんだ、よな」
「でしょうね」
勇気をふり絞ったカミングアウトにも、彼は動じることなくさらりと答える。
「今さっき、カノジョにフラれてさ……クソーっつって、デリヘルだーって検索して、でもなんか、見てるうちに虚しくなってさ」
「あー……なるほど」
「で、あの、すっげー失礼かもだけど、こうなりゃ女じゃなきゃ誰でもいいわ。つって、まぁ……こうなったっつーか」
「あはははは」
ぼちぼちと泣きたくなるような現状説明をすると、イケメンは本当におかしそうに笑って手を叩いた。
お前には笑い話だろうな。と、ストロングチューハイを飲み干し、たっぷりの水滴をまといぬるくなったビールの缶を開ける。
「いや、逆にありがたいですよ。こっちからしたら、何もしなくてお金貰えるわけですから」
前のめりになっていた背を背もたれに預け、彼は笑いながら長い前髪をかき上げた。
ちらりと見えた白い耳に幾つかのピアスが光っていて、イケメンは何でも似合っていいよな。と恨めしく思ってしまう。
俺もこんなピアスとか似合うような足の長いイケメンだったら、今頃は予定通りにメシ食ってカノジョとベッドの中だったわ。と、長く息を吐きながら、苦みのキツくなったビールを煽る。
「スバルさん」
視線を落としたまま酒を煽り続ける俺をひとしきり笑った後、イケメンは突然ぐっと距離を詰めて覗き込んでくる。
「そんな女なんか忘れて、俺とイイことしませんか?」
「はーー?」
する、と流れるように俺に身を預け、首に腕を回し、下から上目遣いに見上げてくる姿に、そんな気などさらさらないはずだが一瞬受け入れてしまいそうになった。
「い、いやいやいや」
ハハハ。と首を振るが、イケメンの目は獲物を見つけた蛇のようにきらりと輝き、胸元にもたれ掛かられると香水とは違うシャンプーの匂いがする。
「スバルさん、いい匂い」
「ちょ、まじ……俺ーー」
先程までの好青年的な雰囲気からがらりと変わり、うっとりと目を細めながら蕩けたように声を掠れさせる。
そしてまるで手品か何かの様に自分のシャツのボタンをさらっと外し、石膏像の如く白く引き締まった身体を俺に見せつけた。
気が付けばいとも簡単にソファーの上に組み敷かれ、手にしていたはずのビール缶はテーブルの上に戻されている。
「俺がーー幸せにしてあげる」
ころんとした真っ黒な瞳の中に情けない表情をした無精髭のおっさんを映し、イケメンはドラマのワンシーンの様にボタンを外したシャツを脱ぎ捨てた。
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