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「先日ハ、大変申し訳ありませんデシタ」
深々と頭を下げられて、天を仰いだ。
長い身体をきっちり九十度に曲げられ、つむじが八澤の目の前にある。
なんて見事なまでの、日本式謝罪作法。
「いや・・・もう、こちらもたいがい大人げなかったんで・・・」
こうなることは、想定外だったか。
いや、こうするしかないだろう。
怠慢にもほどがある。
考えることを放棄したまま今を迎えたなんて、あり得ない。
「頭を上げてください。暫定とはいえ、私はこれから志水社長の部下として働くのですから」
「イエ、ワタシが至らないばかりに、八澤さんニハ、タイヘン不快な思いをさせてしまいマシタ。本来ならすぐにでも謝罪に伺うべきところを、大変申し訳ありマセン」
見た目が外国人だからと。
侮っていたのは自分の方だった。
彼は伝統重視の和菓子屋の惣領として今必死に努力しているのだと、どうして考えられなかった。
「志水社長」
「・・・ハイ」
「まずは頭を上げてください」
ゆっくりと、志水は姿勢を戻した。
白い額、恐ろしく端正に造形された鼻筋、そして不思議な光を放つサファイアのような瞳。
「ハイ」
彼と自分の身長差はおそらく二十センチくらいだろう。
こうして向かい合うと本当に大人と子供のようだ。
至近距離で見上げるには多少首が疲れるが、目をそらさず伝えるべきだ。
「今更ですが、謝るべきは私です。私自身のあの日の行動は学生以下でした。たくさんの人の前であなたに恥をかかせ、立場を悪くさせたのですから」
着任して日も浅く、社長としての資質を問われ続けている最中のアクシデントは、おそらく社内に知れ渡っているだろう。
「イエ、ソレハ・・・」
志水のようには綺麗な姿勢は保てない。
しかし頭を下げるより他の意思表示は思いつかなかった。
「まことに、申し訳ありませんでした」
ほんの少し間があった。
八澤の目に映るのは、飴色に光る組木の床と磨き上げられた黒い革靴のつま先。
「・・・なら、・・・オアイコで・・・」
こんな時にも、甘い。
気が付いたら顔を上げていた。
「オアイコにしませんカ?ええとeven、私の言葉、合っています?」
こんな時なのに、この人は。
「私は、これから八澤さんと仕事がしたいデス。イロイロ教えてもらいたい。だから、オアイコにしたい」
どうして見誤った。
これが、彼だ。
「寛大なご配慮いただき、いたみいります」
初めて、泣きたい気持ちになった。
「正直に言いますが、この仕事において門外漢なのは私です」
社長室のソファで向かい合いながらこれからの予定と見込みをまずは説明した。
テーブルの上には互いの書類やパソコンのほかに、従業員が差し入れした和菓子とポットに入れられたほうじ茶が載っている。
今日の菓子もまた違う趣向が凝らされ、綺麗だった。
「学生時代から今まで開業以来宮坂の仕事を手伝ってきましたが、基本的には法務、あとはせいぜい経理と庶務で、和菓子の事も全く詳しくありません。しかし、宮坂が私をこちらに派遣したのは、喫茶に関してならそこそこの知識と伝手があるからです」
ひと段落したところで事情を説明する。
「近日中に社長をお連れする予定の『蜂谷珈琲店』は、私が子供のころから親しくさせてもらっている所で、見た目はただの小さな町喫茶ですがその実は飲食関係を幅広く扱うかなりやり手の商社です」
「つまり商社が、喫茶店を出したということデスか?」
「話を聞く限りおそらく逆です。こだわりを追求していたら事業拡大した感じですね。親族がさらに事業展開して、食品関連は元よりアンティーク家具やリフォームなどなんでもありになりました」
手元に置かれた生菓子をいま一度じっくりと見つめる。
練り切りという手法で、薄紅色の花びらを一枚一枚丁寧に表現していた。
全て手作業のため、手間がかかる。
この美しさと繊細な味を未来へつなげていくために、彼は、ここにいるのだ。
「そして、先日の会議に同行していた蜂谷薫の実家でもあります。そのような事情で私共にはなじみの深い会社ではありますが、もしも社長がお気に召さない場合は別の商社をいくらでもご紹介します。宮坂の人脈はご存じの通り果てがありませんから」
「わかりマシタ。ところで、八澤サン」
「・・・はい」
向かいに座っている美青年は軽く首を傾け、唇をふわりとほころばせた。
「シャチョーじゃなくて、シミズ」
「・・・は?」
いきなりの変化球に思わずぽかんとしてしまう。
「これから、シャチョーではなく、志水と呼んでくだサイ。とりあえず」
「いや、その、志水社長それは・・・」
「しみず」
黒蜜のようなとろりとした甘い微笑みに、喉がきゅっと絞まった。
「・・・では、志水様」
おそるおそる口を開く。
「イイエ。ならセメテ、志水、サン」
『ならせめて』とかいう表現で押してくるなんて、彼の語彙はいったい。
「しかし・・・」
「ヤハリ、まだ、私のコト許していただけないのデスネ・・・」
しょんぼりと肩を落としてため息をつく依頼主に、血の気が引いた。
「いえ、いえ、とんでもありません・・・!」
机に両手をついて思わず立ち上がった。
「デモ・・・」
宝石のようにきらめく瞳で上目遣いにじっと見つめられ、八澤は一瞬天を仰ぎたくなった。
なんだ、このシチュエーション。
「・・・では、志水さんでいかがでしょう」
声を絞り出すと、ぱあっと花が咲くように笑う。
「はい、トリアエズ」
とりあえずってなんだ。
何かその先があるのか。
問うときっとさらにろくでもない展開になるのは間違いない。
「八澤さん」
「はい」
「末永くよろしくお願いシマス」
・・・この人の日本語能力について、きちんと把握すべきということだけはわかった。
今後のためにも。
即刻。
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