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「やあねえ。ほんっと大人げないなあ」
シャンパングラスを握りしめて爆笑された。
「その点はもう十分に反省した」
反発しながら適当に手前のタルトを摘まんで口に放り込んだら、予想と違う風味に思わず声を上げる。
「・・・うっま。なにこれ。スイーツじゃないんだ」
「さっき説明してくれたじゃない。全部オードブルだって」
テーブルの真ん中に置かれた銀のスタンドは三段に分かれて皿が載せられている。
そして意匠を凝らした料理がおおよそ一口サイズで二人分ずつ、各々が取り易いように心配りされていた。
高級ホテルの奥の間に連れてこられ、いきなり重厚な内装に目を見張っているさなか豪華なソファに座らされ、いきなりこれだ。
給仕してくれる人の言葉なんて聞き取れるわけがない。
「そりゃ聞いたけど。だって苺がのってるし土台タルトだし見た目でどうしても甘いものを連想させるじゃないか。何のフェイクなんだよ。へえ、本当に苺の下フォアグラだったんだこれ」
メニューカードをたどって、たった今自分の食べたものを再確認する。
「怒ってるの、喜んでるの」
「喜んでるさ。美味いからな」
一瞬目を丸くした後、うふふと少女のように首を傾けた。
「なら、良かった」
真っすぐで長い髪がさらりと肩から零れ落ちる。
白磁のような頬がふんわりと桃色に色づき、ぱあっとあたりに花が咲いたような錯覚を感じた。
「萌」
「なあに」
「相変わらず可愛いな、お前」
「なによ、それって俺って可愛いなって言いたいの」
「そんなわけないだろ。全然似てないんだから」
萌と八澤は双子だ。
二卵性双生児で異性だからか、生まれた時から容姿が全く違う。
自分は漆黒、萌は明るい茶色の髪と瞳。
きつくとっつきにくいと言われる顔つきの兄に比べ、妹は愛らしく癒されると誰もが言う。
まああえて挙げるなら、共通点は骨格が細めで背が低めな所ぐらいだろう。
「それよりもこんなの、女友達と来るもんじゃないのか」
シャンパン、ヨーロッパの高級茶器、とりどりの洒落た料理、のちに給仕されるであろうたっぷりのスイーツ。
これはイブニングハイティーと言うらしい。
平日の夜ではあるが席は程よく埋まり、女性客がほとんどでわずかな男性客は自分と同じく連れといった感じだ。
「この歳になるとね。女性はなかなか都合がつかないものなのよ」
切り分けたサンドイッチをフォークで口に運びながらさらりと答えた。
「・・・そういうもんなのか」
高校から別の進路を選んだため、互いに知らないことはたくさんある。
萌は美容師になり、二十代前半で結婚し、今は独りだ。
そして、仕事も変えていた。
萌が人生の決断をいくつも行った間、八澤は渡米中だったので詳しい事情は分からない。
だけど再会した時、妹はうつろで明らかに傷ついていた。
両親に何度質しても言葉を濁すだけなので追及をあきらめ、とりあえず時間を置くことにした。
「うん、そう」
お互い、もうすぐ三十歳を迎える。
誰よりも近い存在なのに、八澤は彼女の傷の理由のすべてを知らない。
語ってくれる時が来るのを、ただひたすら待っている。
果たして、待つだけでいいのかと自問しながらも。
しかしこうやって綺麗な笑顔を見せてくれるようになったからそれで十分だと、何度も己に言い聞かせている。
「それよりも、その晶のやらかしを宮坂さんは叱らなかったの?そこで商談がひっくり返ったら懲戒ものよね、ふつう」
若干二十三歳とはいえ、社長に恥をかかせたことにもなるのだ。
「・・・なんか、そのまま和やかーに話が進んで、はい締結、これからどうぞよろしくお願いしますねーってなったんだよ」
「ほんとに?」
「ほんとに」
あれは老練な番頭のなせる業なのか、宮坂の魔力なのか、それとも・・・。
「その、超絶美形若社長のフェロモンの仕業なのかとか?いやいや、そういうことじゃないでしょう。そんな展開面白すぎるし」
「だよな・・・って、俺の頭の中のぞくな」
「ふふふー。お・み・と・お・し・よ」
ふいにその時のことを思い出す。
仕切り直しの後は、こちらもビジネスに徹した。
今朝打ち合わせした通りに説明をし、それぞれの契約事項について承認を得る。
予想していたよりも早い時間に締結を終えた。
その間、若社長はただ黙って鎮座していたわけではなく、頃合いを見て的確な質問を投げかけてきた。
正直、意外とやるなと感心した。
もともと、宮坂に仕事を依頼することを志水堂に提案したのは志水自身だ。
八澤のせいで少し躓いた形になってしまったが、彼は本気で経営を立て直そうとしているということがよく分かった。
「・・・まあ・・・。悪かったと思っているよ」
「あらそうなの」
商談が終わった瞬間に、まるで魔法が解けたかのようにまたあの気まずい空気が戻ってきたので、笑顔を五割増しにしてなんとか切り抜けた。
番頭が恐縮しっぱなしなのには申し訳なく思ったが、その後ろにおとなしく立つ若者のまなざしにじっと見つめられていたたまれなくなった。
「次に会った時、謝りなさいよ」
吸い込まれそうな、という表現がぴったりの碧いきらめき。
ねっとりと、甘い果実のような声。
キケン。
アレハ、キケン。
つい、攻撃に転じてしまったように。
「いや、もう俺の出る幕ないから、会うこともないさ」
そもそも八澤は代打だったのだ。
次からは庄野の領分だ。
そう思うと、ふいに楽になった。
「・・・なんだか、晶らしくないなあ」
穏やかな香りを放つティーカップを持ったまま、萌が不満げに口を尖らせた。
「それは、俺も思う」
だからだ。
自分らしくあるために。
アレからは離れたほうが良いと。
たとえ、無様であろうとも。
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