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彼と、踊ってみたい。
きっと、竹のようにしなやかなで楽しいにちがいない。
その姿が目に入った瞬間、そう思った。
墨のように黒い髪、白磁のような肌、そして意志の強さがくっきりと浮かんだ瞳。
何かを探るような鋭いまなざしに、ぞくぞくした。
存在そのものに洗練された美を感じる。
まるで、いつか博物館で見かけた一振りの日本刀のように。
ただ、彼はガラスの向こうの宝物ではなく、生きた人間だ。
でも、どうしよう。
それなのに人形のように小さくて、かわいい。
本当に生きているのか。
今すぐに声を聞いてみたくて、焦ってしまった。
なんでもいい。
自分より年下だろうか。
もしかして、学生か。
いや、今日のこの場に限ってさすがに部外者を同伴するわけがない。
でも。
人は、若く見られることを好む傾向がある。
彼の気を引くために閃いた言葉を、深く考えずに掴んで放り投げてしまった。
「おや・・・。そうデスか。インターンシップには最適デスね」
一瞬にして、周囲の空気が凍った。
「・・・なるほど」
ああ、こんな声なのだ。
予想よりもずっと低くて、深い。
耳で彼の声をゆっくり味わい、言葉の意味を脳で解釈しょうとして、ようやく気が付いた。
取り返しのつかないミスを犯したのだと。
浮かれていた気持ちは一気にどん底へ落ちた。
「突然うかがいって呼び出してすまないね。事前に確認しておきたいことがあったから」
額にかかるやわらかな髪を優雅にかきあげながら、佳人がほほ笑む。
二人きりで話がしたいとの連絡を受け、ホテルのラウンジで待ち合わせることにした。
上階のテラス席には自分たちだけで、近くに見える皇居の堀と木々の緑に都心だと思えない解放感を感じる。
「いえ・・・。コチラもお会いシタイと思っていたノデ」
文法も間合いもそうだが、なかなか日本語の発音に寄せるのは難しい。
敬語はこれで良いのだろうか。
「相変わらず、きみは努力家だね。ずいぶん上達したなあ、日本語」
彼と出会ったのは十年位前だろうか。
即座にプロポーズしたら、あっさり断られた。
今のように、慈愛に満ちた笑みを浮かべたまま。
宮坂誉。
あの時は違う名前だったが。
「早速だけど、メールで提案した件はどう思う?」
「ああ・・・」
確か、喫茶室の改善提案と新規の納入業者紹介が主な内容だった。
「タシカニ、現在のコーヒーはイマイチ、デスネ」
とにかく、印象に残らない。
香りも味も、まずくはないが格別美味しいわけでもない。
茶器にしてもそうだ。
まずは視覚に訴えるものものない。
「この蜂谷珈琲店は、表向きはただの喫茶店だけど飲食業界では名の知れた会社で、総合商社のレベルと言って良い規模な上、品ぞろえも知識も豊富だからご満足いただけるかと」
「わかりマシタ。お任せシマス」
と、そこで彼がふと目を上げた。
「そこで、選んでもらいたいことが一点あって」
優し気な笑みは変わらない。
物腰も柔らかで、親しみやすい雰囲気も。
しかし、瞳の奥の光がそうでないことを明確に物語っていた。
「業務内容の兼ね合いで明日より担当スタッフを一部変更するのだけど、最後の一人を選出するにあたり、君の希望を聞きたい」
「希望?」
「そう。まずは、御社へ一名出向させ、しばらくの間この件に関する秘書として補佐させることを承知してくれるかな。『志水堂』に関しては社内の方々が十分に務めておられるけれど、身内だとつい取りこぼすことがあるでしょう。だから、我が社及び蜂谷珈琲店との連絡係業務及び、君自身のこれからへ向けての指導役が必要かと」
先日の不始末は、うちうちの事だから流して済んだ。
いや、専務の鈴木が取り繕い、宮坂が目をつぶっただけのこと。
社長がこれではいずれ舟が沈む。
「お気遣い、ありがとうございマス・・・」
出向させれば、宮坂のオフィスから戦力がそがれるということだ。
亡くなった兄の縁を頼って彼に相談したが、これはあまりにも・・・。
「で、どちらが良いかな?飴と鞭」
「・・・ハ?」
「いい方を替えようか。なら、優しいお母さんと厳格な父」
「・・・アノ」
宮坂の言わんとすることがわからない。
「カイル、これはまあ、Old Maid程度に思って気軽に決めて欲しいんだけど。要は君の家庭教師の候補が二人いる。名前はとりあえず伏せて、君の好みに合わせたい」
伏せられた二枚のカードが今、目の前にある。
「家庭…教師?」
「そう」
試されている。
度量などではなく、運を
「ん~。特別にヒントをあげよう。ジャックのクラブとスペード、どっちがいいかな」
ランスロットか、オジェ・ル・ダノワか。
頼れるのは、直感。
「ナラ、スペードで」
答え終えるや否や、何かがパチンとはじけた音がしたような気がした。
「・・・なるほど」
唇の端をあげて、宮坂がふっと笑う。
「やっぱりそうなるか」
ソファに背中を預け、繊細な指先に顎を乗せた。
「誉、サン?」
運命の女神が、宣告する。
「きみが選んだのは、八澤晶」
名前を耳にした瞬間、ぞわりと身体の中で血が巡る。
「ランスロットを選んだ方が楽だったのに」
呪文のように繰り返された暗示。
春の日差しか、冬の風か。
何度も繰り返された誘惑。
彼は、面白がっているのだろうか。
それとも。
「モウ一人は」
「蜂谷薫」
名前を告げられてもぴんとこない。
「多分、君覚えていないだろうけれど、先日ぼくの護衛に連れてきてた背が高い子。要するに薫が社長の実子で、晶は養子・・・って感じかな。籍は入れてないけど」
申し訳ないが、全く覚えていない。
あの日は、頭がいっぱいだった。
「彼ハ・・・。八澤サンガ・・・。イヤなのでは」
彼は、怒っていた。
そして、軽蔑していた。
「まあそうかもしれないけれど、晶もたいがい大人げなかったと反省しているはずだからね。それに、これは仕事だから」
身を乗り出して、宮坂は囁いた。
「君に。・・・いや。君たちに、機会をあげる」
風に乗って、彼の音が流れてくる。
「そろそろ考えて良いころだ」
綺羅綺羅と輝く旋律。
「君の中の『竜』は、どうしたいのか」
今はただ、眩しさに目を閉じた。
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