空白

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空白

 ココロは表情一つ変えなかったが、僕の呈した疑問に即答はしなかった。それが彼女なりの動揺の表れであることは何となく察しがついた。  僕の頭に浮かんでいる半分妄想とも言い換えられるような突飛な考えは、どうやら彼女が僕に隠している真実によく似た形をしているらしい。 「もしかすると、僕は君を作ってからすぐに記憶障害を発症していたんじゃないのか?」  またもや彼女は能面のまま何も返さなかった。僕は沈黙を抉るように続ける。 「正直なところ、僕は君を作ってから丸二日程の記憶が薄ぼんやりとしている。漠然と君と過ごした記憶の外型だけが脳に居座っているんだ。もしかするとこれもここ数日間の記憶消失の一部なのかもしれないけれど、あの二日間の出来事だけほとんど思い出せないのはどうもおかしい」  僕は無表情のココロに語りかけるように、閉じ込めていた疑問を打ち明けた。  ココロは数秒黙りこくってから、小さく息を吐いた。その様子は、彼女が何かを決意したようにも見えた。 「博士のおっしゃっていることは、半分正解です。しかし、もう半分は全くの見当違いですよ」  彼女はそう言いながら、手元にあるリモコンで空調を操作した。  もう底冷えする季節だ。僕が感じていないだけで、この時間帯は家の中でもかなり冷えているに違いない。  しかしながら、何故このタイミングで彼女が暖房を入れたのかは少し不思議だった。ただ単に会話に小休止を入れたかったのだろうか。それとも僕の体調を気遣っての事だろうか。どちらにせよどうでもいいようなことを、ここで僕は考えてしまう。 「半分は正解っていうのは……僕の記憶が抜け落ちていったのがここ数日に始まった話ではないということかな? もう半分の不正解については皆目見当もつかないが」 「いいえ。既にその時点で正解は半分です」  空調に青いカーテンが揺れる。ピンぼけしたような視界の隅で蠢くそれが、僕の不安を増長させているような錯覚をさせた。  考えてもどうしようもないことを悟ったのか。脳は思考を諦めていき、僕はあまりにも滑稽な程、彼女の言葉に釘付けになっていた。 「――九月八日。僕は少女を拾った。何故拾ったのかは覚えていない。ちょうど月に一度の会合に参加した帰路での出来事だったので、少しばかり気が病んでいたのかも知れない。持ち物を見る限り、少女は十八歳かそこららしい。少女の外傷を記録しておく。胸部から腹部にかけて重度の火傷、加えて全身は擦過傷や打撲痕で素肌の部分が見えない程凄惨な……」 「待て」  ココロが突如始めた暗唱に、僕は無意識のうちにそう口を挟んでいた。 「待ってくれ。それは誰の事で、一体何の話をしている」 「博士が忘れてしまった、私と博士の話です」 「何を言っているんだ? そもそも君が完成したのはつい先月のことじゃないか。今は十二月だぞ。その日付に君と僕が出会うわけがない」 「だからそれがそもそもの勘違いだと言うのです。私は博士に作られた人造人間などでは無く、元々は純粋な人間だったのですから」  彼女の口から告げられた事実に僕は震撼した。僕は確かにこの手で彼女を一から作り上げたのだ。何年という月日と技術を掛けてようやく完成したのが彼女だという記憶が、僕の頭の中に確かに存在している。  もしも、万が一彼女のいっている事が真実なのだとしたら、脳に植え付けられたこの映像群は一体何だというのだろうか。 「僕は何を信じたらいいのか分からないよ。何よりも信用がおける筈の自身の記憶さえ事実ではないだなんて」 「そうなるようにしたのは博士自身なのですよ。もっとも、それら全ての原因は私にあるのですが」  ココロはここで始めて、固まっていた表情を崩した。久々に見た彼女の微笑みは、退廃的なニュアンスを含んでいた。何かに失望しきったような、そんな投げやりなものだった。 「私が自分の事を元々は純粋な人間と呼ぶのはそのままの意味で、今の私は半分程自分の体ではありません。本来なら死ぬ運命にあったはずが、偶然博士の手によって繋ぎとめられた命なのです」  いい終わると彼女は服をめくって、僕の前に素肌を晒した。僕はそれを目の当たりにして、自身の記憶が虚偽のものである事を知覚した。  まるで生糸のように透き通った白い肌を引き裂くように、彼女の小さな身体には、あまりにも巨大な施術の傷跡が所狭しと並んでいたのだ。 「私が失った胃や肺などの臓器は、全てあなたから貰ったものなのです。……つまり、あなたの体の中には本来必要な臓器が半分以上欠けている状態なのです」  彼女がやっとの思いで口に出したであろう真実を、僕は案外すんなりと受け入れられた。  僕の感情は驚きというよりも安堵に近かった。 「ですから、博士は何の病気にもかかっていません。……全ては私に下さった臓器の欠損による当然の現象でしか無いのです」  留め金が外れたように涙を流して声を押し殺す彼女を、僕は慣れない手つきで抱き締めた。 「なんだ。それだけの事だったのか」  完全なる人間だという事を理解しているからか、腕の中の彼女は僕が知るココロとは少しだけ別人のように思えた。  しかし、この体温を僕は知っている。それが恐れる対象ではなく、僕の下らない話に相槌を打ってくれる事を知っている。 「博士は……私が憎くはないのですか。私がいなければ博士はもっともっと生きていられたのに。何であなたはそんな風に優しくするのですか」 「そうでも無い。君がいなかったらきっと、僕は残り僅かな人間性すら失っていたさ」  ココロの体温を胸に感じながら、僕はまた強烈な睡魔に襲われた。しかしそれは今まで感じた事のあるような品物ではなく、まるで体が睡眠を強制されているかのような脱力感が僕の身体を支配した。  とても立ってはいられない。このままだとココロを押しつぶしてしまいかねないと彼女を解放しようとしたところで、肝心の彼女の身体の方が先に崩れ落ちた。支えを失った僕もほぼ同時に床に倒れる。  かなり強く床に頭をぶつけたが、まるで痛く無かった。麻酔がかかっているかのように、感触だけが鈍く残っているような感覚だった。 「かなり濃度は薄めたんですけど、さすがは博士の作った子ですね。まるで力が入りません」  まだ赤い目元を細めて、ココロは笑っていた。彼女のいうことがどういう意味か、僕は既に分かっていた。 「エンドを使ったんだな」  ココロは口を結んで、ゆっくりと頷いた。 「でもどうやって。あれは研究室にしか置いてないはずだ」  そしてその研究室に入る為のパスワードは、もう僕にすら分からない。 「博士の日記なら十二冊、全て読みましたから」  ココロは悪戯っぽくそういうと、僕が彼女を助けた時の経緯について話し始めた。
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