出来損ないの恋

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出来損ないの恋

 瀕死だった彼女が目覚めたのは、僕の記憶が朧げである日付から更に一日前のことだった。  彼女が目覚めた時、彼女の頭にはヘルメット型の機械が被せられており、僕は研究用のベッドの上で彼女と同じ型の機械を被せて眠っていたという。激しい頭痛で、彼女は数時間うなされていたらしい。 「恐らくは、記憶操作の副作用のものだと思われます」 「記憶操作?」  初めて聞くはずの単語に僕は何故だか覚えがあるような気がした。 「博士は人こそ作り上げてはいませんが、人の記憶を操作する為の研究を成功させておられました」  その後の彼女の話は、まるで他人の伝記を又聞きしているかのようだった。  僕はここ数年間の間、政府の兵器庫として化学兵器を生産しながら、人間の記憶についての研究を秘密裏に行なっていたらしい。  そしてその最初の実験材料として選ばれたのが、ココロだという。 「私は、ここに運ばれてくるまでの記憶を一つ残らず消去されていました」  ココロはおもむろに、ぐしゃぐしゃになったメモを取り出して見せた。 『すまないが。僕の事をよろしく頼む』  無責任な文字列が、ひどく乱暴に書き殴ってあった。 「きっと記憶の操作を始めてから、慌てて書いたんでしょうね。これじゃ何も分かりませんよね」  そういって彼女は微笑んだ。 「これは、僕が?」 「他に誰が書くんですか」  頭痛が収まってから彼女は研究室内を物色し、僕の日記帳とエンドの試作品を見つけたのだという。  日記帳には、彼女と僕それぞれの記憶操作の内容が記されていたらしい。  彼女はここにくる以前の記憶を消去され、僕は自分がココロという人造人間を作ったという記憶を上書きしたと書かれていた。 「私の記憶が消えているとはいえ、まさか自分が作った人型アンドロイドという事にするとは思いませんでしたよ。それが私を守る為の最善手だと思った上での事なのでしょうけど」  彼女は僕の日記だけを頼りに、記憶操作の方法や副作用、僕が今まで開発した兵器について知った。  彼女を作ってからの二日間について僕の記憶が曖昧なのは、まだ記憶操作が完了していない僕に、更に上書きでココロが『感情を学習できる人造人間を、二日間かけて普通の会話ができるまで教育をした』という記憶を植え付けた影響らしい。  人間が無知なアンドロイドの物真似をするのは不可能だと思ったそうだ。 「博士と話すのはあれが初めてだったので、つい余計なことまで喋っちゃいました」  僕はココロから聞いた内容を、すっかり真実として受け入れていた。  こんなにも荒唐無稽な話に、僕は何の違和感もなく納得できていたのだ。  その上で、僕は彼女に謝らなくてはならないと思った。 「すまない。君を実験台なんかにして」 「いいえ。それも、しょうがないことなんですよ?」  口先だけではなく、彼女は本当に僕の謝罪を意にも返していない様子だった。まるで僕が謝るのは見当違いとでも言いたげな反応だった。 「私本当は、博士を殺す為だけに育てられたんです」  別に驚かなかった。彼女がアンドロイドではないと聞いてから、何となくそんな気がしていたのだ。  彼女に少しだけ似た男を、僕は知っていた。 「君はもしかして、彼の……」  全てを言いかけた僕の口元を、彼女の人差し指が抑えた。 「いいんです。もうすっかり忘れちゃいましたから」  いや、よくない。いいわけが無いのだ。  もしも僕の考えていることが正しいのならば、僕が地下室に幽閉したという女性はつまり。 「博士は本当に人が良いのですね。でも、全て私が選んだことです。何も後悔は……ありませんよ」  彼女の声が、微かに震えて小さくなっていく。エンドの毒が体内に循環し始めたサインだ。 「ココロ、まだ少しでも身体が動くうちに部屋の外に出ろ」 「もう手遅れですよ。博士も言ってましたよね、少しでも吸えばおしまいだって」  こんな時に、あの夜のことを僕は思い出す。僕の弱さを始めて他人に打ち明けた、あの夜のことを。 「……なんだって君まで死ななきゃならないんだ」 「それは、あなたのことが好きだからですよ」 「今はそんなことを言ってる場合じゃ……ない」  僕もかなり意識が朦朧としてきた。あと、もっても二・三分かそこらで僕の意識は暗闇に呑まれてしまうだろう。そして、きっと彼女ももう助からない。 「いや、やっぱり最期に君と話がしたい」 「奇遇ですね。私もなんです」  既に顔の筋肉の半分程がエンドの影響で麻痺した状態でも、彼女が笑ってくれたのははっきりと分かった。 「じゃあ何の話をします?博士自慢の、冷えたトーストの話でもしますか?」 「いいね。丁度今、その話をしようと思ってたんだ」 「……冗談でしょう?」 「何だその反応は。君が言い出したんだろう」 「ふふっ、何ででしょう。こんな時でも、博士と話すのは楽しいです」 「何でだろうな、僕もなんだ」 「あの、博士」 「何だい?」 「私の料理は本当に美味しかったですか?」 「ああ、本当に美味しかった。特に君の作るカボチャのポタージュは、ある種の違法薬物に指定されてもいいくらいだ」 「それは随分……大げさですね」 「大げさなもんか、食事が楽しみだなんて思うようになったのは、君と出会ってからだよ」 「それはまた……とても嬉しいです……」  これが正真正銘人生最期の会話だというのに、僕らの話す内容はいつかの午後と何も変わらないようで、まるでこれから先の終末がフィクションかのように思えてしまった。 「なあ」 「何でしょう?」 「君は……幸せだったかい?」 「はい。大好きな博士と、最期まで一緒にいられましたから」 「僕はそれがずっと疑問だったんだ。何で君は僕のことが……いや、恋に理由なんていらないんだっけ? またそうあしらわれるのがオチか」 「……博士を好きな理由はちゃんとありますよ」 「何?」 「いや、そんなに知りたがりますかね」 「本音を言うと、そんなに知りたくかもしれない。言われると変に意識してしまうと思うから」 「意識って、それこそ今更何を改めようと?」 「君が僕の笑顔が好きだというなら……せめて最期は……満面の笑みで締めよう……とか」 「……確かに博士の……笑……んて……生まれ変わ……ても見れ……にありませ……ね……」  僕の聴覚が停止しようとしているのか、彼女の言葉が形になっていないのか判別がつかなかった。  もう、時間が来てしまったらしい。 「……なあ」 「は……い……」  殆ど視界には白い靄がかかっているような状態で、彼女のこともシルエットとしてしか認識できない。 「聞いて……くれ。多分……一度……か言……な……から」  彼女からの返事は無かった。  僕も僕で、肝心の台詞はきっと声にすらならなかったと思う。  それでもきっと、彼女は僕の言おうとしたことくらい、分かってくれただろう。  彼女は、僕よりも僕のことを知っているのだから。  遂に、視界が黒に包まれた。  先程まで微かに感じていた床の冷たさも、何の音も、もう僕の耳には聞こえない。  果てのない、夜の中。僕は唇に感じる彼女の暖かさだけを、離さないように抱き締めていた。  その日、僕と彼女は恋人になった。
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