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望まない来客
「博士、誰かいらしたようです」
ココロの声で空想から現実に戻ると、鳴り止まないベルの音が研究所内を埋めていた。
「なんだ? 来客の予定はなかったのに」
僕は監視カメラで来訪者の姿を確認した。あまりはっきりとは見えないが、体つきからしてココロと同じくらいの背丈の女性のようだった。年齢は僕よりひと回り上くらいだろうか。
当然のごとく、僕はこの女性に全く心当たりがなかった。彼女の服装を見る限り、普段訪れる国の政治家共でもないようだ。
「あの、すみません。そこから先は立ち入り禁止なんです。ですから、その……お引取りを願います」
やはりどうにも、人間に対して何か喋ろうとするとスムーズに言葉が出てこない。使い慣れたはずの道具が、初めて握る刃物のように危なっかしく思える。
少ししてから、監視カメラのマイクが来訪者の声を拾った。
「お願いします、中に入れてください。私にはお腹を空かせている子供がいます。せめて何か食べ物だけでも」
こういう経験は、実は初めてではなかった。数年前も、同じような理由で一人の男性を敷地内へ入れたことがある。
彼は一歩その足を踏み入れるや否や、仕込んだナイフで僕を刺し殺そうとしてきた。幸い、ナイフの刃が僕に届く前に自動警備システムが働き、彼はすぐさま小型マシンガンの餌食となったが。
よくよく後で調べると、その男性は僕が化学兵器を提供している国の敵対国の国民だったことが分かった。
もちろん僕が負け戦に助力する筈はないので、当時起きていた抗争の敗戦国の国民というのが正しいか。
僕はそのことに対して特に動揺はしなかった。相手の国の立場となって考えれば、たった一人の人間の命で相手国の化学兵器の生産ルートを絶てる可能性があるというのなら、迷わずそうするべきだろうと納得がいった。
お互いすべきことをした上で、彼の執念よりも僕の科学力が勝った、ただそれだけの話だ。
「博士、彼女はきっと帰らないつもりですよ」
ココロはどこか冷たくそう言った。彼女は僕が突然の来訪者にあまり良い思いをしていないことを察しているのだろう。
「分かってる」
今ベルを鳴らし続けている彼女も、かつての彼のように僕の命を狙っている可能性は充分にあった。
しかし彼女が敵対国の国民だったとして、どのみち他の国の連中に見つかれば彼女の命は無いだろう。要は自分の手で片付けるか、他人に任せるかの違いでしかないのだ。
僕は机の引き出しから護身用の拳銃を取り出してポケットに忍ばせた。ココロには部屋で待っておくように言い聞かせ、訪問者の元へと向かった。
「早く開けてください、お願いします。早く開けてください、お願いします」
扉の向こうからは、ひたすら同じ要求の繰り返しと、次いで壁を叩く音が聞こえる。
「申し訳ないのですが、どうかお帰りください。これ以上こんな所にいると、あなたの安全は保証できません」
喉を振り絞るようにして、最後の忠告をする。なんとなく、答えは分かっていた。
「帰れません。せめて、せめて少しだけでも食べ物をいただけませんか。私達は明日を迎えられるかも分からない状態なんです」
彼女は壁を叩くのをやめ、弱々しい声でそう語った。その言葉が虚偽であろうことは分かっていたが、これ以上の説得がなんの意味もなさないことも事実だった。
僕はセキュリティコードを入力し、扉を開けた。ギィギィと音を立てて金属の壁が二つに割れて、声の主が姿を現した。
「……それ以上は一歩たりとも足を踏み入れないでください。あくまで食べ物を渡すためだけに解錠しただけですので、セキュリティは切っていません。もしもあなたの右足が数センチでも前に進もうものなら、一秒にも満たないうちにあなたの体は灰になるでしょう」
こんな説明をした所で、来たるべき結末は微々たる範囲でしか変えられないことは知っている。僕はコードを入力してからすぐ、右手に拳銃を確保していた。
「お心遣いに感謝致します。そして――こんな私をどうかお許し下さい」
微かな金属音を僕は聞き逃さなかった。
彼女が武器を構える前に、僕はセーフティーの外れた銃口を彼女に向けていた。
「動かないで」
僕の言葉通り彼女は動きを止めた。確実に外すことのないよう、僕は照準を合わせて引き金に指をかけた。
「ありがとうございます」
僕の指が引き金を引ききる瞬間に、彼女はそんなことを言った。およそ彼女にとっては人生最後になるかも知れない一言で、彼女は僕への感謝を綴っていた。
僕が撃った弾は命中し、反動で彼女の身体は跳ね上がって倒れた。
「殺したのですか?」
スピーカー越しにココロがそう尋ねてきた。分かってはいたが、監視カメラでここの様子はダダ漏れらしい。
「いや……麻酔銃だよ。確実に意識を飛ばせるように強力に改悪してはいるけど、人体に害のないレベルの薬量しか使ってはいない」
「眠らせてどうするのですか?どのみち彼女は……」
「分からないよ」
僕はココロの声を遮った。
彼女が言おうとしていたそこから先を、僕はとうに理解していた。
自分でも、持ってくるべき銃を間違えたのではないかと少し混乱しているほどだ。僕は開きっぱなしだった扉を閉じ、昏倒している訪問者を家まで運び入れた。
ひとまずの対処として、彼女は地下室に閉じ込めておくことにした。もちろん餓死させる気も、生涯面倒を見る気も無かったが、今の僕にはそれ以外の持ち合わせが無かった。
暫くは様子を見て、それから適当なタイミングで彼女の処罰を決めよう。幸運な事に国の連中も僕のラボには深入りしたがらない。下手を打たない限り気付かれはしないだろう。
「それにしても、無計画なもんだ」
僕は先程、本気で彼女を撃ち殺すつもりだった。自分の撃った弾丸が彼女の命を奪ってしまう事を理解した上で、引き金を引いた。
しかし僕は銃弾が彼女に命中してからやっと、自分が握っているのが麻酔銃だということを思い出したのだ。このような無意識下の行動は、ココロというイレギュラーが僕にもたらした影響なのだろうか。
そんなことを思案しながら、未だに監視カメラを眺めているココロの元へ戻った。
「彼女はどうしたのですか?」
ココロは僕を見るなりそう言った。
「少しの間地下室にいてもらうことにした」
僕はありのままを答えた。
「そうですか。なら私が彼女の面倒を見ます」
「面倒?」
「せめて食事や水は与えないと、人間なんて脆いんですから」
アンドロイドの君が何を知っている。と言いかけてやめた。そんな言葉で彼女は傷ついたりしないだろうが、僕が考えられる上で一番の嘲りに平気な顔をされるのも不快だ。
「勝手にするといい。あと、今後はもう僕の面倒をみなくていい」
「それは分かりかねます」
思わぬ彼女の反抗に、余計に僕の心は乱される。
「命令は絶対だ。次に拒否したら、迷わずお前を解体する」
「私と博士は主従の関係ではありません。信頼はしておりますが、服従したいとは思っていません」
彼女は何も間違ったことを言っていない。全て僕のプログラミングに則った言動でしかないのだから。自分で作り上げた人間に、僕は首を締め上げられているような気分だった。
「……分かった」
「理解いただけたなら、幸いです」
彼女の顔はもう微塵たりとも笑っていない。成程、人間らしい。
「冷蔵庫の食材は勝手に使っていい。基本的に僕が君に何かをお願いすることはないから、何か用がある時だけ話しかけてくれ」
僕はそう言ってから、鈍痛の最中にいる頭を抱えながら寝室に向かった。
「おやすみなさい、博士」
背中に投げかけられた言葉は、僕の頭痛を増幅させた。
まるで機能しない頭をベッドに放ると、僕は一呼吸のうちに眠りに落ちた。
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