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本当に下らない身の上話
僕はあっという間に殆どの料理を平らげてしまった。空腹だったとはいえ量が量だ。腹部は極限まで圧迫され、酸素の入るスペースまで侵食されているような息苦しささえ感じた。
「本当に美味しかった。久々に自分が生きている事を思い出したよ」
「それはそれは、大変喜ばしいことです」
すっかり大きくなったお腹を抱えている僕に、彼女は食後のコーヒーを淹れてくれていた。
「それにしても、僕は不思議なんだ」
「何がでしょう?」
彼女は自分の分のコーヒーに砂糖を加えながら、僕にそう尋ねた。
「君はなんで僕に見切りをつけないんだ。僕みたいな人間といたところで、君にメリットなんてないだろう」
彼女は少し考えてから答えた。
「それは、私が博士に好意を持っているからです」
「だからそれが分からないんだよ。確かに僕は君に、僕の事を周りの人間と比べれば信頼のおける存在と認識するようにプログラミングしたけれど、それはあくまで初期設定に過ぎない。いまの君は、君自身の感情に基づいて僕を切り捨てる事だって出来るはずなんだ」
こんな事を懇切丁寧に説明することに、今の僕はなんの抵抗もなかった。そんなものよりも未知への興味の方が勝っていた。
「そんなことは考えなくても良いんですよ。ほら、無償の愛ってよく聞くじゃないですか。恋や愛なんてものに理由なんていらないんです」
僕の作り上げた彼女は、既に僕の有していない感情を有しているらしい。その事実に、僕は少し目眩を覚えた。
「君の話を聞いていると、僕の過去の恋愛観を全否定されているような感覚に陥る」
「博士の恋愛には、メリットがあったのですか?」
「僕にとってはメリットしかなかったよ。相手が何を思っているかなんて考えたこともない。君に言わせればあれは、恋というよりも知識欲みたいなものなんだと思う」
欲という点では、恋や愛と非常に類似してはいるが。
「やっぱり私は博士の苦手な昔話というのが気になります」
ココロは湯気の立つカップを僕の前に置き、遠慮がちにそう言った。
「僕の過去なんて知りたくないだろう」
「知りたいですよ。博士のことならなんでも」
少しだけ、訴えかけてくる彼女と昔の自分が重なって見えた。好意のあるものを深く知りたいという点で、僕は彼女に初めて共感を覚えたのだ。
「……僕の恋愛は、相手のことを知ることだけで完結していた」
そうして生まれた心の隙間のようなものから、愚かにも僕はつらつらと自分の過去について語り始めた。
本当に下らない身の上話を、彼女は楽しそうに頷きながら聞いていた。時折僕が言葉に詰まったりするのを見ると、「ゆっくりで構いませんよ」と笑いかけてくる始末だった。
「――四人目の彼女は医学書だったけれど、彼女がそこに至るまでのプロセスは実に論理的で……」
「スケートボードの中にも、社交性のある者とそうでない者がいるんだ。急な斜面での走行はその二つを見分けるのに本当に適している。まず……」
「当たり前の事なんだけど、道路の交通標識だった彼女は、何十年もの間そこに立ち続けていたんだ。季節や天候なんて関係ない。ただ同じ光景を同じ場所で眺め続けていたんだ。自分に置き換えて考えると想像もつかないよ。彼女にとって僕との出会いは刹那的なものに過ぎないんだけど、僕にとっての彼女は限定的ではあっても確かに半永遠的な存在だった」
誰にも打ち明けたことのない恋愛譚は、一度栓を抜くと中々止まることを知らず、あっという間に僕は覚えている範囲の人生経験を全て曝け出したのだった。
「……一応、僕が覚えているのはそんなところだよ。長々と聴いてくれてありがとう」
一人の人間の半生を話すのにはそれなりの時間を要するようで、とっくの昔に日付は変わっていた。
「博士は、私が思っていたよりもずっと恋愛経験の豊富な方なのですね」
何時間も僕の話を聞き通しだったのにも関わらず、ココロはまだ冗談を言う元気があるようだった。
「夕飯の片付けは僕がやるよ」
「そんな寂しいことを言われないで、一緒にしましょう」
僕の全てを知って尚、彼女は僕に対して何も変わらずに接している。
「ああ、そうしようか」
ココロの心情は未だに理解できないままだったが、僕は心のどこかで、このまま理解できないままでも構わないと思い始めていた。
二人で食器を洗う時間、何の気なしに昔話をする時間、今までの僕とは正反対とも言える時間のことを、案外僕は嫌いではないのだと気づいた。
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