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エンド
片付けを終え、入浴を済ませた僕は寝室に横になっていた。
過剰とも言える睡眠で目は冴え切っていたが、眠ることが本懐ではないので構わない。
眠るわけでもなく僕がベッドに横になっているのは、先程夕飯の片付けをしている際、ココロと交わした口約束によるものだった。
「今夜は少し、お話に行ってもいいですか?」
唐突に隣で寝転ばれているのも大概だが、そんなふうに前もって言われると、何だか気恥しい気分になった。
「いいよ。どうせ僕も眠れないだろうから」
二つ返事で僕はそれを許諾した。今日はとことん、自分らしくない事をしてみるのも悪くないと思ったのだ。
まだ何も書いていない日記帳を開いて、何を書けばいいのかと思案する。何も書くことが無い訳ではなく、書きたいことが有り余って困るなんて事は初めてだった。
結局、僕は今日も日記をつけることを諦めた。毎日続けていたはずの習慣も、現実の慌ただしさに埋もれてしまっていた。
閉じた日記帳をオレンジ色のライトの近くに置くと、ほぼ同時のタイミングで部屋をノックする音が聞こえた。思わず僕は上体を起こして気構える。
「入っていいよ。普段はそんな風にしないだろう」
僕がそういうと、扉の向こうから寝間着に着替えたココロが出てきた。
「すみません。何だか恥ずかしくて」
彼女も僕と同じく、どこか緊張しているというか、ぎこちなさを隠しきれていなかった。中々こちらにこない彼女をベッドに誘導し、僕は彼女に話を振った。
「さて何から話そうか。とはいえ、僕が語れる話なんてさっき殆ど話してしまったんだけど」
「私は博士に、もう一つ聞きたい事があるんです。私の質問を聞いて、お気を悪くされるようなら答えられなくても構いません」
やけに大掛かりな彼女の言葉に僕は相槌を打ち、続きを待った。それから何度かの躊躇いを飲み込んで、彼女はやっと残りの言葉を口にした。
「博士がお作りになっているのは、人殺しの為の道具ですか?」
単刀直入な質問に、思わず僕はたじろぐ。
正直、今更そんな質問を彼女の口から聞くとは思わなかった。彼女の感情学習を持ってすれば、そんな疑問の答えなどはとうに出ているはずだからだ。
その上で改めて、僕の口から真実を知りたいというのだろうか。
「そうだね。僕が作っているのは、全て人を殺す為の道具で間違いないよ」
端的に、そして一切の誤解のないように付け加える。
「もっと言ってしまえば、僕がいくらこの頭を捻ったところで、それが人の命を奪えなければ全く評価に値しないらしくてね。僕が生きていく為には、人殺しの道具を作り続けるしかないのさ」
ココロは僕の弁明を受けて、明らかに暗い表情を浮かべた。薄ぼんやりとしていた真実が、僕自身の手によって決定的になってしまったからだろうか。
暗闇の中で照明で照らされた彼女の顔を、僕は直視出来ないでいた。それは後ろめたさからではなく、彼女に同情したのだ。こんな人間に恋に落ちてしまったという彼女に。
僕はここでふと、誰にも打ち明けたことのない秘密を話してしまおうと思った。なぜそんな考えに思い至ったのかは、自分でも理解していなかった。
「少しだけ、僕の独り言に付き合ってくれるかい?」
「え?あっ……はい」
ココロは一瞬戸惑った後、一転して神妙な顔つきになった。
「力を抜いて聞いてくれていいよ、そんなに重篤な話じゃない。というのも変だけど、国の犬である僕が、その国の連中にも黙秘理に開発した、ある殺人兵器の話をしようと思う」
僕は机の引き出しから、数十枚の紙束を抜き取って目の前に並べた。
「僕が二十三歳くらいの頃だったかな。突然大学院の廊下に軍服を着たお偉いさんが来て、当時まだ学生だった僕に対人用の毒ガスを作れと命令してきたんだ。もちろん僕はその場で快諾した。従わなければどうなるか、そんなことは考えたくもなかったんだ」
僕は乱雑に散らばった資料の群れから一束、ひときわ分厚いものを右手に持って見せた。
「これが僕が最初に作った殺人兵器の概要をまとめたものだよ。僕はこの兵器に名前なんて付けた覚えがないけど、軍の中ではエンドという名称で通ってるらしい」
淡々と説明を進める僕をココロはまっすぐな目で見つめていた。その二つの眼球の中で、僕はどんな風に映っているのだろう。
「通り名の通り、この兵器が相手国にもたらすのは絶対的な終わりだ。自動操縦が可能な無人機のタンクに、致死量を大幅に上回る毒ガスが圧縮されている。二つ搭載しているタンクの片方だけでも、百人以上の人間の命を溶かすことができるんだ」
それぞれの機構を指差しながら、僕は自身の人生における汚点そのものを曝け出していく。この話を続ける事で、彼女の中にあるという僕に対しての好意が形を変えてしまっても後悔は無かった。
「国の連中は、なるべく苦しんで死ぬような毒ガスの開発に熱心だった。最期の瞬間に、これまでの人生の全てを後悔するような苦痛を与えたいんだとも言っていたよ。まるで神の啓示かのように悠然とした態度でそんな台詞を吐くものだから、当時の僕はこの世界の仕組みそのものに疑念を抱かざるを得なかったね」
僕はエンドの機構が事細かに書かれた資料を漁っているうちに、やっと目当てのページを見つけた。
「エンドに搭載された毒ガスを吸った人間はまず、呼吸器官が麻痺する。完全に呼吸が出来なくなるわけでは無く、徐々に麻痺が全身へと進行していき、地獄のような苦しみの中、ゆっくりと確実に死に向かっていく」
ココロは僕の解説を相変わらずの能面で聞き込んでいたが、さすがにこの部分に関しては僅かながら眉を曇らせ始めていた。
「――というのは、表向きの設定に過ぎないんだ。……僕が実際に開発したのはそんなものじゃない」
「博士は、国の命令に逆らったという事ですか?」
ここで初めてココロが口を挟んだ。
「まあ、本質的にそうではあるんだけど。人を殺めるという点では結局奴等の思惑通りに働いただけだよ」
彼女は今ひとつ理解出来ていないようだった。僕は遂に秘密の核心的な部分に触れることにした。
「僕が最終的にエンドに搭載した毒ガスは、言ってしまえば強力な睡眠薬のようなものだ。それを吸った人間は強烈な睡魔の中でゆっくりと意識を失っていき、身体は次第に生きる事を放棄し始める。痛みも苦しさも感じず、つい眠るように死んでいくんだ」
何も死の間際まで苦しまなくても良いのではないか。この毒ガスを開発したのはそんな思いつきのようなものからだった。
「国の連中が思い描いていたような化学兵器を最高位のバッドエンドとするなら、僕が開発した殺人ガスは申し訳程度に用意されたトゥルーエンドみたいなものだよ。結局のところは、安らかな死を押し付けるだけの傲慢な毒に過ぎない」
こんな物はただの自己満足に過ぎないことは明白だった。自国の連中から見れば、人間を殺すことが出来る兵器に変わりはないのだから。
だから僕は僕の生き様を誇るつもりなんて無いし、自身の行いを正当化できるだけの大それた正義も持ち合わせていない。
「やはり私は、そんなあなたが好きですよ」
全てを聞き終えたココロは、そんなふうに軽く微笑んだ。それはあまりにも自然で、僕はすんなりのその言葉を飲み込んでしまった。
目の前の少女のそんな言葉で少し救われたような気になるのは、とんでもない思い上がりだと理解していた。
しかしそれでも僕はその瞬間に、心の底から確かに救われたのだ。僕はずっと、無意味に思っていた自己満足を誰かに肯定されたかっただけなのかもしれない。
胸の中には、未知の感情が渦巻いていた。
「ありがとう」
気付いた時にはそんなことを声に出していた。
「好きですよ、博士」
「分かったから、そう一日に何度も言わないでくれよ」
ココロは僕の反応を楽しんでいるようで、僕も僕で柄にもなく緩んだ表情を隠す気になれなかった。
そこから何を話したか、あまり覚えていない。きっと大した話など何もしていなかったと思う。
一つ得たものがあるとすれば。僕はこの夜、誰かの声を聞きながら眠ると、悪い夢を見なくて済むことを知った。
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