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空が澱めば、何もかも、優しくなくなる。
湿った風はカビ臭く、カエルの歌声は歪な不協和音。地面で弾ける水の粒には泥が目立つ。
口に残るのは、淡く、不味い苦み。
────ぜんぶ、なくなれ。
霧が立ち込める雨空の下、傘もなく、その身一つで、少年は走った。走るしかなかった。自分を取り巻く全てから逃げるために。
それでも容赦なく追いかけてくる雨は、肌からひんやり染みて、芯ごと冷やしていく。無遠慮に、罅割れた心にまで沈み込んで。
「……っきえろよっ……!」
願うたび、まぶたの裏で、忌まわしい残像がちらつく。
キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ────
「あっ……!」
突如、視界に飛び込んでくる、青。
水の群れなんか比べものにならないくらいの衝撃が、腹部へと飛び込んできた。何かに──誰かに、ぶつかった。
よろめいた身体が雨を散らす。足が耐えきれず、少年はその場にしりもちをついた。
おまけに、ぶつかった誰かの感触まで、一緒に落ちてくる。
「……ごめんなさい。だいじょうぶ?」
自身の上から問いかけてくる声は、空の泣き声さえかき消せないほど澄んでいて。
目を、見張った。
霧と雨に包まれた世界はうっとうしくて暗いままなのに、それは、ひどく眩しい。
うっすらと花の模様が揺蕩う青いレインコートを着た、やけに小さな少女が、透明感に満ちた瞳で少年を見つめていた。
────青いばらが、咲いてるみたい。
実際に目にしたことなど一度もない真っ青な花が、幼い心の奥底で、ふわりと揺れた。
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