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5.番《つがい》の夜(前)
瑞光院の応接室では、隆人と慶浄が農業のようすや、人々の信仰の厚さ薄さに地域差が出てきた等の世間話をしていた。なぜこの町の長でもない隆人と慶浄が話し合うのかは不思議だったが、遥は黙って聞いていた。
二十分ほど話は続き、隆人が締めた。
「では、引き続き情報を集め、気になることがあれば知らせてほしい」
「かしこまりました」
慶浄院主はにこりと微笑んだ。
本邸に戻ると居残りの世話係に出迎えられた。
遥が隆人と別れて自室へ向かおうとしたところ、手首を捕まれ、あっという間もなく胸に抱き込まれた。文句を言う間もなく軽いキスをされ、耳元で熱くささやかれた。
「後でお前の部屋に行く」
言うだけ言った隆人に放され、その場に残された。去りゆく背を見送るはめになり、腹が立つようなうれしいような微妙さを持てあます。
隆人は遥の元へ二週に二、三度通ってくる。しかし、いつも儀式前は休暇を取るために仕事に集中するので、遥の元へ来るのが間遠になる。
二十代の今になって性の快楽とその悦びを知った遥は、普段の生活の中でも時折無性に肉欲が体内を暴れ回る。
無論自ら慰めればいいのだが、もっと深い悦楽を知った体には物足りない。だが、隆人に「来てくれ」と頼むのはしゃくに障るというか、抵抗がある。
だから本邸行きには期待をしていた。
その望みがあっさり叶ってしまいそうで、拍子抜けしてしまった。隆人はもっと遥をじらすと思っていた。
部屋に戻って着物を脱ぎ汗を流して、隆人を迎えるために用意をする。
付いていてくれるのが俊介なので安心していられる。
履き心地のいい下着に絹のなめらかなパジャマ。ヘッドボードに丁寧な細工彫りのされたベッド。一切のたるみなく敷き詰められたシーツの上にだらしなく寝そべっている自分。
昔の暮らしからは考えられない。
隆人のために、好みのウィスキーを用意していた俊介が振り返った。
「今宵は遥様も何かお酒を召されますか?」
遥は苦笑した。
「カクテルなら自分で作るよ」
「さようでございましたね」
そう俊介も微笑う。
「実のところあまり酒は好きじゃない。飲めるかもしれないけど飲んだことがあまりないんだ」
「さようでございましたか」
ベッドの上に遥は座る。
「父さんが離婚前に、一人で父さんが泣きながらビール飲んでたのを見たら、酒が悲しいもの、良くないものに思えちゃってさ。それ以来どうもね」
俊介は優しい眼差しで遥の語ることに耳を傾けてくれる。
遥は「でも」と肩をすくめた。
「バーテンダーとして店に勤めて、お客様を見ていると、大半の人は楽しそうに飲んでいて、酒にもいろいろあるんだとわかった。
わかったけど、中には当然父さんのようにつらい酒、寂しい酒の方もいた。
結局、俺自身はほとんど飲んだことはない。下戸で通してきた。飲めば楽しいかもしれないけど」
湿っぽい話を断ち切って、遥は俊介に振った。
「俊介は? 強いの? 何か好きなのはあるのか?」
俊介が遥の方に向き直って静かに答えた。
「桜木家の当主は酒は禁じられておりますので、飲んだことがございません」
「え? 一度も?」
俊介がうなずく。
「同じように隆人様の主治医でいらっしゃる亮太郎先生も酒を禁じられております」
納得した。何かが起きたときのために常にしらふでいなければいけないのだ。
「大学でコンパとかあったろうに」
「酒の席には出ておりません。ゼミの飲み会なども教授命令を無視して出席しないので、疎ましがられておりましたよ」
「自覚していても、貫き通したんだ」
呆れたように言うと、俊介が微笑った。
「はい、それはもちろん。隆人様にお務めするのがわたくしの最重要事項でございますので」
開け放しの寝室のドアを湊がノックした。
「隆人様がおいでになります」
「わかりました」
俊介が頷き、遥に向き直る。
「隆人様のお迎えに参りますので、失礼をいたします」
程なく部屋の入り口の方で世話係の声が聞こえた。
遥はベッドを飛び降りて、深緑のビロードのカーテンの影に隠れた。ガラスの冷たさが気持ちいい。
「遥様、隆人様が――遥様?」
俊介の声が途絶えた。隆人が下がっていいと言っているようだ。ドアの閉まる音がした。
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