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恋人はいません①
母は連絡もせずいきなりやってくる。わたしは朝ドラの再放送をちょうど観ていた。
「梅雨前だってのにあっついわねえ」
そういって母はテーブルに紙袋を置いた。わたしはなかを覗き込む。惣菜のパック、底にはローストビーフの塊がふたつ入っていた。
「まーくん、好きでしょお肉」
手で顔を扇ぎながら、母はいった。男には肉を与えておけばいい、と母は思っている。
わたしの父は、昔からおかずに肉がないと不機嫌になる。とにかくちょっとでも肉があれば、なにを出されても文句をいわないひとだ。おかげでいつでも健康診断では要注意をくらっている。そんな生活改善を迫られている夫の妻からすれば、肉とは男を黙らせる唯一無二の贅沢品なのだ。
昼ごはんを食べておらず、ちょうど小腹がすいていたので、わたしはちょっとつまもうと肉の塊を手に取った。
「だめよ、まーくんがくるまでは!」
どっこいしょ、といって母は椅子に座った。
わたしの父は、団欒のさいにかならず自分が先に箸をつけないとふてくされるのであった。男とはそういうものなんだ、と母は刷り込まれてしまっている。
「はいはい」
わたしは素直に母に従った。とりあえず麦茶をついで、母の前に出した。
「で、今日はなにしにきたの」
「なにしにって、あんた。自分の娘に会いにきたに決まっているじゃないの」
母は麦茶を一気に飲み干した。
「そりゃどうも」
大学に入学して別々に暮らすようになってから、母となにを話せばいいのかわからなくなった。実家にいるときは、なんだって話した。学校でなにがあった、友達がなんといった。ちょっとかっこいい男子がいるんだけれど、と聞いてほしいことからどうでもいいことまで。一人で暮らしはじめることとなったときには、涙をこぼして駅まで見送ってくれたのだ。アパートまでついていくと主張する母を止めるのに苦労した。
「まーくん、どうなの最近」
母はやってくるたびにまーくんのことを訊ねる。
家族は誤解している。
わたしとまーくんが付き合っている、と思いこんでいる。
帰省するたびにまーくんのことをよく話していた。そして卒業してからまーくんと共同生活をする、となったとき、父は「なんで男が挨拶にこないんだ」と激怒した。わたしがいくら説明しても、納得しなかった。母はまーくんと一度会ったことがあり、「あら、かっこいいじゃない」と娘の(偽)彼氏に満足しているのか寛容だった。
たしかにまーくんはおばさん受けはいいと思う。母が昔お気に入りだった韓流スターにちょっと似ているらしい。わたしはいまいちぴんとこないのだが。
「変わんないよ。別に小説を書いているわけでもないし、本屋で働いてる」
母はそんなイケメンが小説なんてものをかいていることにも好感を抱いている。イシダイラとかヨシダシューイチとか、母は小説を読むとき、作家の顔で選んでいる。
「本屋さん、正社員にしてくれないのかしら」
と、こう続くのもいつものことだった。
しかし作家なんて一本立ちするのは難しかろう。男はとくに職を持っているべきだ、と母はいう。
あるいはツジジンセーみたいにいろんな顔をもっているほうが食いっぱぐれがないなどと知りもしないのにのたまう。
お笑いの才能あったりしないの? まーくん、などと、本人が聞いたら顔を歪ませるであろうことを娘に真剣に訊いたりする。
「どうなんだろね」
わたしはいつものごとく適当に答えた。
「だってもういい年じゃない」
わたしは、自分の母親が、そんなことをいったことに、びっくりした。母はまーくんのことを信頼しきっていた。まーくんと共同生活をする、といったとき、母は大喜びした。あんたがわたしに紹介した男の子のなかで、あの人が一番ちゃんとしている、と絶賛していたではないか。年をとってから大学に進学するなんて、しかも学費を自分で支払っているだなんて、たいした人だと絶賛したじゃないか。
「年とか関係ないから。それに、まーくんは……」
わたしは言葉を呑み込んだ。絶対にいいたくない言葉だった。それをいったら、わたしは負けたとおなじなんだ。勝ち負けんなんてないけれど、わたしのプライドが、そうさせる。なんてくだらないことだろう。
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