彼を選んだ理由

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「な、なぜ僕なんですか?」  桐山修一(キリヤマ シュウイチ)は、呆気に取られていた。 「逆に聞くけど、あたしじゃ駄目なの?」  ノエラ小谷(こたに)は、上目遣いで彼を見上げる。その顔はあまりに美しく、修一は耐えられなくなり目を逸らした。  俺は、世界で一番ツイていない男だ──  若い時の修一は、本気でそう思っていた。普段の生活はそうでもないが、ここぞという時になると、必ずわけのわからないトラブルに巻き込まれる。  己のツキのなさをはっきりと意識したのは、高校受験の時だった。第一志望の高校を受験した時、どこかの会社に勤める派遣社員たちによる暴動が起きて機動隊と衝突し、付近の電車の運行がストップしたのだ。日本では、極めて珍しい事例である。その結果、入学試験を受けることすら出来なかった。  センター試験の時は、さらに凄まじいことが起きる。国内で活動するテロリストが、とある人物の死刑執行に憤慨し、あちこちで爆弾を爆発させたのだ。これまた、日本ではまず有り得ない事態だろう。そのため、試験は延期になる。再試験の時には、風邪で三十八度の高熱……これでは、やる気になれという方が無理がある。  その後、修一はそこそこの企業に就職し、そこそこの人生を歩んでいく。高い目標を掲げ必死で努力したところで、人生には何が起きるかわからない。仮に努力が全て上手くいき、成功を掴んだとしても……翌日、いきなり爆弾テロに巻き込まれて死ぬかもしれないのだ。  ならば、そこそこのラインの目標を掲げ、そこそこの努力で余裕を持って目標を目指した方がいい。それが、修一の人生哲学であった。  ところが、彼の人生は急変する──  修一の勤める会社に、ハーフの女性が入社してきた。名前は、ノエラ小谷。顔は美しくスタイルもよく、しかも空気が読めて人当たりもいい。その上、何をやらせても完璧なのだ。  なぜ、こんな人材が入社してきたのか……社員のほとんどが、首を捻っていた。  だが、さらにとんでもないことが起きる。入社してしばらくすると、小谷は修一に興味を持ったらしく、少しずつではあるが距離を縮めてきたのだ。ぐいぐい来ているわけでもないのに、気がつくと修一と親密な友人関係を築いていた。  その時点でもう、充分に衝撃的なのだが……やがて、会社中を揺るがす大事件が起きる。小谷と修一が付き合い始めたのだ。しかも、小谷の方から「あたしと付き合わない?」と言ってきたのだという。  会社の同僚たちは、その事実を知りひっくり返らんばかりに驚いた。中には、何か犯罪絡みの狙いがあるんじゃないか……などと、真顔で修一に忠告する者までいたのだ。  そんな周囲の空気など全く意に介さず、小谷は修一との関係を深めていく。不審な点など、全く感じられない。人当たりの良さも変わらない。やがて同僚たちは、頭が切れて能力のある人間の好みは特殊なのだ。小谷は人間として高いレベルにいるが、男の趣味は変わっているのだろう……という結論に達した。  当の修一はというと、とても幸せな日々を過ごしていた。小谷は、自分にはもったいない彼女だ。外見の美しさだけでなく、周囲の ことにも気を配れる。こちらを不快にさせるような発言などは一切ない。高い能力を鼻にかけることもない。しかも、どんなトラブルが起きようが、ニッコリ笑って対処できる。怒っている顔を、修一は見たことがない。  そういった態度は、私生活でも変わらない。幸せだなあ……これが、修一の偽らざる心境であった。  ある日、修一の自宅に封筒が届いた。  中を開けると、旅行券が入っている。ヨーロッパの辺境にある小国・ザイアにて、一名様が一週間滞在できる旅行券が当選しました。おめでとうございます……という手紙が同封されていた。  修一は首を捻る。ザイアなる国は知らないし、興味もない。そもそも、こんな旅行券をもらう謂われはないのだ。  念のため調べてみると、かつて購読していた雑誌の読者アンケートの当選だという。なんらかの手違いで発送が遅れ、今ごろになって届いたらしい。  修一は、旅行は嫌いではない。だが、ザイアなる未知の国に、せっかく出来た完璧な彼女を置いて行きたいとも思わない。最初は、キャンセルするつもりでいた。  ところが、この話を聞いた小谷が、珍しく反対意見を述べる。 「せっかく当たったのに、もったいないよ。修一はまだ若いんだし、未知の世界と触れることにより得られるものは、必ずあるから。ここで行かなかったら、貴重なチャンスを潰すことになるかもしれない。どうせタダなんだし、行くべきだと思うよ」  それももっともな意見だ、と考えた修一は、休みを取ってザイアへと向かった。  着いた直後、修一は己の選択を後悔する。  ヨーロッパの辺境にある小国・ザイア。事前にネットで調べた限りでは、治安は良い部類だ。旅行者相手の犯罪も、さほど多くはない。だが、居心地は最悪であった。食事はまずいし、住んでいる人も余所者(よそもの)には冷たい。特に目玉になる観光スポットがあるわけでもない。  特に、修一の泊まったホテルは地獄……とまではいかないにしろ、長く泊まりたいと思わせる場所でないのは確かだ。ゴキブリは無論のこと、壁のひびから図鑑でも見たことがない虫が這い出て来る。シャワーは水だし、周囲はうるさい。  それだけではない。夜になると、あちこちの部屋から奇怪な音楽が聞こえて来るのだ。うるさくて、寝ることすら難しい。  かといって、遊びに行こうにも、相応しい場所がない。若者が遊ぶような施設が、この辺りには一軒もなかった。周辺にあるのは、民家と灰色の集合住宅があるだけだ。しかも、夜になると奇声を発しながら街中を徘徊する若者を多く見かける。外出する気には、到底なれない。  結局、ザイア滞在中の修一は……ホテルから一歩も出なかった。部屋にこもりきりで、日本の小谷と連絡を取るだけの毎日だった。小谷はこの件に関し「ごめんね。あたしが煽るようなこと言ったせいで……帰ったら、この埋め合わせはするから」と言っていた。  本当に、自分は幸せ者だ……と修一は思った。彼女の言っていた埋め合わせとは、いったい何だろう……そんなことを考えるだけで、今の生活のストレスが、僅かでも和らいだ。  やがて、帰国する日が来た。昼過ぎ、タクシー乗り場に向かうため町を歩く。  今まで、ホテルから一歩も出ていなかった。そこで、今日だけはね……と思い、少し長めに歩いてみた。  歩きながら町を見回すと、なんとも言えない暗い気分になる。この気分の正体はわからないが、長居したくない場所という評価は変わらない。どんよりした気分で、近くにあった店からコーラを買った。  一口飲んでみる。とたんに、吐きそうになった。缶をよくよく見れば、コーラでも何でもない。現地で売られている炭酸飲料らしい。パッと見はコーラにしか見えないが、味は最悪だった。貯水タンクの中で数十年寝かせた水に大量の人口甘味料をぶち込み、炭酸を加えたような感じだ。  この国でも、パクリ商品はあるらしい。修一は缶を投げ捨て、タクシーに乗った。  日本に帰ってきて、修一は心底からホッとした。この先、自分の人生に何があるかは知らないが、ザイアにだけは行くことはないだろう。  その後は、今まで通りの生活が待っていた。修一は、小谷との結婚を真剣に考えるようになる。結婚するなら、彼女以外いない。  修一は、何も知らなかった。彼が帰国した後、ザイアで何が起こったか──  ・・・  修一が投げ捨てた炭酸飲料の缶は、道路に転がっていく。端まで転がればよかったのだが、なぜか道路の真ん中で停止した。  次いで、そこに車が通りかかる。安全運転さえしていれば、たいした事態にはならなかっただろう。だが、運転していたのは若くて頭が悪いチンピラだった。この手の人間の行動パターンは、どこの国も同じだろう。「ヒャッハー!」と言っていたかはさだかでないが、チンピラの運転する車はとんでもないスピードを出し、路面などほとんど見ていなかった。  猛スピードで走る車のタイヤは、缶を勢いよく跳ね飛ばす。缶は飛んでいき、近くの料理店の窓ガラスをぶちやぶった。  運の悪いことに、そこには家族連れが食事をしていた。五歳の娘の顔面をガラスの破片が襲い、右目が失明し顔にも傷を負う。  この家族、実はガールーチというギャング団の一員であった。五歳の娘に一生残る傷を負わせたのは、何が原因だ……と、ギャングのメンバーたちが動いた。組織の力を活かした調査により、車を運転していたチンピラの存在が浮かび上がる。  法的には、これは事故に当たるか事件に当たるのかは難しいところだ。しかし、ギャングたちからすれば、どちらであろうが関係ない。彼らの法は「目には目を、歯には歯を」である。  ギャングたちは、チンピラの家を襲った。彼を拉致し、右目を潰し顔面に癒えない傷を負わせる。  もはや事故とは呼べない話になってきたが、事態は、さらにエスカレートしていく。    このチンピラ、実はビーノガンというギャングの準構成員であった。無能なため、ほとんど名前を知られていないが、関係があったのは確かだ。彼は、ビーノガンの主だった者たちに泣きつく。  普通なら、こんなチンピラが襲われたくらいで、ビーノガンのメンバーが動いたりはしなかっただろう。ところが、ビーノガンとガールーチには浅からぬ因縁があった。縄張りを巡る構成員同士の小競り合いから端を発し、一時は全面戦争になりかけたこともあった。すかさず双方の穏健派幹部が手打ちの会議を開き、しばらくは休戦状態となっていたのだ。ただし、火種は燻っている。何かきっかけあれば、いつ爆発してもおかしくない……という状況だった。  そこにきて、この事件である。事の善し悪しなど、もはや関係ない。二つの組織は、再び抗争状態に突入する──  まず、ガールーチ側の人間が動いた。血の気の多い若者が、相手方の縄張りの店に拳銃を撃ち込む。すると、ビーノガン側も報復する。今度は、敵側の店にマシンガンを乱射したのだ。  抗争は再開してしまった。あちこちで爆弾は破裂し、銃声音は絶え間なく続く。長く続く不況の煽りを受け、ギャングたちは異様なまでに殺気立っていた。しまいには、無関係な若者たちがどさくさ紛れにギャングを襲い、金を奪う事件まで発生する。様々な不満分子をも巻き込み、さらにエスカレートしていった。  今までのギャング同士の抗争と比べ、明らかに異常な事態である。いや、もはや抗争とは呼べない。内乱に近い状態だ。  この事態を収めるべく、国は軍隊を投入しいくつかの町を封鎖した。その結果、ザイアの経済は崩壊寸前にまで陥る。祖国を見限り、隣国に亡命する者が続出した。 「やはり、桐山修一は特異点だ」  アメリカの田舎町。昼間、B級アクション映画にでも出てきそうなガソリンスタンドの片隅で、二人の男が向かいあってひそひそと話していた。片方は東洋系の三十代、もう片方は四十代の黒人。どちらも作業員のような姿で、さほど目立つ特徴があるわけでもない。強いて言うなら、目立つ特徴がないのが特徴か。この辺りでは、ありふれた感じの二人組であった。  もっとも、話している内容はありふれたものではなかった。 「ああ、間違いないな」 「これまで調べてきたデータによれば、桐山に強いストレスがかかると、周囲の時空に異変が生じる。すると、非常に低い確率でしか起こり得ない事象が、奴の周囲で起きてしまう」 「しかも桐山の場合、破壊的な事象が多い。まさか、ザイアがあんなことになるとはな」 「ひょっとしたら、年齢を重ねるにつれ起こせる事象も大きなものになっているのかもしれないな。このままいくと、隕石でも落としかねない」 「いずれにせよ、要注意人物であることは間違いないな。まだまだ監視が必要だ」 「エージェント・小谷は、日本に骨を埋めることになるかもしれないな」 「だが、小谷がいなければ桐山をコントロール出来ないのも確かだ。今のところ、小谷が奴のストレスを上手く軽減してくれている」   
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