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2 機織り街の占い婆
リュウは弾かれたように振り返った。顔はおそらく凍りついていたことだろう。振り向くのではなかった、とすぐに後悔したが、もう遅い。やはり強かに酔いが回っていたのかも知れぬ。
一瞬、そこにはだれもおらぬかに見えた。が、はっと目を凝らすと、闇のなかにぼうっと浮かび上がる、小柄な姿がある。
「------だれだ」
低く、彼は誰何した。右手は自然に腰の長剣にかかっている。
「手をお放しなされ。敵ではございませぬよ」
呟いて、人影はすうっと闇から抜け出て来た。
それは、漆黒の長衣をまとった老婆であった。フードに半ば隠れたちんまりとした貌に、ひっそりとクレバスが広がる。老婆が、嗤ったのである。
リュウはしかし、まだ剣から手を放そうとはせず、油断なく相手を睨めつけた。
「何者かと、尋いている」
「儂かえ。儂は、ただの婆じゃよ。お前さまと同業のな」
魔法使いか、と言いかけて、リュウは慌てて言葉を呑み込んだ。そして、なおも疑い深い目を老婆に据えながら、
「しかしこの国は------」
「いかにも。したが王の厳しいお触れとは申せ万全ではない。万全なものなどこの世にありませぬでな。儂とおまえさまが、そのなによりの証じゃろうて……。どのみち問題はございますまい。儂もおまえさまも、この国の平和を乱そうとは考えておりませぬでのう」
「ではなぜ、私に声をかけた」
すると老婆は首を傾げ、かすかにため息をつく様子である。
「そっとしておいて差し上げる所存でしたのじゃ。嘘ではございませぬ。おまえさまがサウザルーンに入りなすったことは知っておったが、声をかけずにおこうと思うておった。しかしのう、おまえさまが儂を呼びなすった以上……」
「なに、私はだれも呼んだ覚えはないぞ」
リュウは驚いて言った。が、老婆はそっと首を振った。
「いいや、呼びなすったのじゃ。おまえさまのなかにある遣り場のない哀しみ、避けがたき運命への抵抗……それらをなんとかしてくれよと、たしかに儂を呼びなすったのじゃ」
「馬鹿な」
リュウは呟いたが、
「ここでは話になりませぬ。まずは儂の棲家へ来て頂こうかのう」
と、くるりと背を向けた老婆のあとを、足は自然に追っていたのであった。
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