空の碧 風の翠

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           3 銀色の呼び声  それからどのようにして外に出たのか------  気がつくとリュウはちゃんと剣を携えて、機織り街の石畳に佇んでいた。振り返り、塀のあちこちに手を触れてみたが、もうなんの変化も現れず、魔法の気配もない。  夢ででもあったのかも知れぬと、ふと思う。しかし彼の胸には深い哀しみと驚愕の余韻が、脳裏には黒々としたスノウローズ城のシルエットが、そして耳朶には老婆の言葉が、はっきりと灼きついていた。  “スノウローズ城であるじに出逢う”  それは一体どういう意味であるのか。  剣を持つ魔法使いの生涯において唯一無二のあるじに、リュウは既に出逢っている。  おのが命運の、まだ片鱗も知らぬままに生まれ故郷のサンフランシスコから問答無用で呼び寄せられた、齢二十一であったあのとき。魔法の発祥の地というグリンウィーヴァ公国は、悪しき魔法使いに攻め滅ぼされる寸前であった。それをどうにかして欲しいと、実はリュウの曽祖父であると言い訳のように付け加えてかきくどく城の魔法使いディンガーに、訳のわからぬまま当然拒絶の意志を顕にした、あのとき------  『御身の係累とは申せ、かような臆病者になにゆえ国の命運を賭けられるかディンガー殿ッ !! 』  凛とした怒りの声は、国を率いるグランディール大公でもその世継ぎたる神々に愛でられしヴァンディエット公子でもなく------  リュウは喘ぎ、咽喉をこじ開けそうになる叫びを懸命にこらえた。  剣を持つ魔法使いは、ただひとりのあるじをおのが旧き血で選ぶ。その約定を、そうとは知らぬままにリュウは身の奥底で感じ、血は選んだ。  そうして------  剣を持つ魔法使いはあるじの生命と引き換えに覚醒する------。神々の契約書の文底に押し隠されていた、最後の約定。ゆえにリュウはあるじを選び、喪ったのである。  なんという矛盾であることか。  絞り出すように息を継ぎながら、彼はゆるゆると首を振った。共に死んでしまおうと“サファイアの眼”の切っ先を胸に押し当てたことを思い出す------もう数えきれぬほどそうして来たように------無論魔剣が従うはずもなく、低い弔いの歌を唄いながらリュウの右手を拒むなか、左腕にかき抱いたあるじが最後の息を振り絞って言った。  『おまえの許に、必ずや戻る。ゆえに使命を担って、生きよ』  どうしようもない混沌のなか、あるじの言葉がリュウを生かせた。あれから長い歳月が流れ、姿も貌も若いままコバルト・ブルーの双眸だけが疲れ果て------それでも。  それでも、神々を呪い、運命を呪い、身裡に流れる血をも呪いながら生きて来た。ただひとつ、あるじのくれた約束だけが生命の糧であった。  いまが、ではそのときなのか。  “スノウローズ城で”  “あるじに”  “出逢う”  リュウは弾かれたように駆け出した。機織り街から抜け出し、もの皆寝静まって凍てついたかのような通りを、城を目指してひた走る。石畳はやがてスロープとなり、いかな平和な国とて当然幅の狭い造りになっていた。両側には城に従事する者のものらしい大きな屋敷もあれば、商いに使っているかのようなしもた家もある。そういえば、有事の際には官民一体となって王家を護るのだと酒場で聞いた。  最初の門に辿り着いて、リュウは逡巡した。門番に訪うべきだろうか ? しかし、なんと言って説明すればよいのか。占い婆のことを口にするのも躊躇われた。  思い巡らせたのは一瞬で、彼はすぐに闇と同化した。      
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