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それでも徒歩(かち)で往く距離は結構あって、おまけに賑やかな露天商人たちに袖を引かれるままに寄り道などもしたので、街に入る頃にはすっかり夜になっていた。
こぢんまりと建ち並ぶ家々からは、夕餉を囲んでいるらしい楽しそうな声や、美味そうな料理の匂いが漂って来る。
懐かしさに、思わず胸が締めつけられた。遥かなときを隔てたかつての故郷で、慣れ親しんでいた匂い。拒むことなどあり得ぬ約定と血の宿命に浸り過ぎたが故に、こちらではほとんど体感することのなかった、生活の匂いである。
きりきりと胸に喰い込む感傷に、リュウはしかしいつまでも立ち尽くしてはいなかった。そうして独り物思いに耽るには、この街はとても賑やかだ。広い通りにはまだ人々が溢れているし、夜だというのに市は店を開けて客を呼び込んでいる。路地のあちこちでは酔客らしい連中がひっきりなしに出入りしており、彼らは旅装束のリュウを見つけると気軽に近づいて来ては、酒に誘うのだった。
リュウはそれらを丁重に断り、まず宿を探した。ひとのざわめきに焦がれるゆえ、できるだけ明るい、賑やかそうな通りを選んだ。それへ快く通されて、気持ちのいい部屋へ女将が灯りを運んでくれる。
「食事はどうなさるかね ?」
「ああ、一休みしたら、外へ行ってみたいな。ずいぶん楽しそうだから」
「ええ、そりゃあもう。なにがお好きかね ? ここにはどんな料理も揃ってますですよ。酒は呑めなさるんだろうね ? 」
「酒、ですか」
「見れば立派な騎士さまらしいが、自戒でもしていなさるのかね」
「いや、そういうわけでは------」
酒は、実のところもう長いこと控えて来た。呑めばどうしてもおのれの心の裡を覗き込む羽目になる。そして、覗き込めば必ず悲壮な思い出を呼び覚まされて、耐え切れなくなる……。
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