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辿り着いたのは、随分と質素な雰囲気の家が建ち並ぶ一角だった。今まで見てきた区画と比べて、家ひとつひとつが狭いように感じられたけれども、どこもきちんと手入れされているようだった。
ここに着いて、ミス・ゲシュタルトは少し警戒を解いたようだ。
私はミス・ゲシュタルトに言う。
「私がなりたい庶民というのは、こういう生活をしている人達のことです」
すると、彼女は優しい声で訊ねてくる。
「どうして、この辺りが良いのかしら?
しがらみがなさそうだから?
それとも他の理由?」
その問いに、頬が熱くなる。私が庶民になりたいと思ったのは、貴族のしがらみが嫌だというのはあるけれども、それ以外にも……
「以前、馬車でこの辺りを通ったときに、すてきな方を見掛けたんです」
「すてきな方?」
興味深そうな彼女に、私はさらに言葉を続ける。
「沢山の布がはいった袋を抱えていて、側で転んだ子供に手を差し伸べて、立ち上がるのを助けていた人なんです」
これを聞いて、ミス・ゲシュタルトはどう思ったのだろう。私を抱く手を強めて、さらにこう訊ねてきた。
「お嬢さん、あなたは、そのすてきな方にまた会いたいのね?」
それは問いというよりも、私の内心を代弁した言葉だった。
そう、あの日あの方を見掛けるまでは、私は貴族の生活に不満なんて持っていなかった。あの日以来なのだ。庶民の生活に憧れるようになったのは。
「庶民の生活は、厳しいわよ」
そう言うミス・ゲシュタルトに、私は首元に回している腕の力を強めて返す。
「それでも良いんです。あの方と同じ世界で暮らしていけるなら、私はそれで……」
彼女はこれで、私が庶民になる手助けをしてくれるだろうか。そう思ったのだけれども、ミス・ゲシュタルトは声の調子を落として私に言う。
「なるほどね。お嬢さんが庶民になりたい気持ちはわかったわ。
けれどもね、庶民になるならば、まだ知っておかなければならない事があるの。
これからそこに案内するわね」
知っておかなければならない事と言うのは何だろう。私が不思議に思っていると、ミス・ゲシュタルトはまた私を抱えたまま、家の屋根へと跳んだ。
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