Fってきっと古川くん

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 日下部さんからメールが届いたのは、二日前のことだった。  古川くんが亡くなった。古川くんは高校時代のクラスメイト。日下部さんもまたそうだった。  驚いたのだが、彼が亡くなったのは一年前のことらしい。日下部さんは彼の死を受け入れるのに人より少し時間がかかってしまったそうだ。 「お待たせ」  そう言って現れた日下部さんはすっかり大人の女性になっていた。白いブラウスに薄いグリーンのスカートをひらりと揺らす。  俺は着崩したジーパンが恥ずかしくなって、パーカの裾を引っ張ったりしていた。  特急券と乗車券を買って、電車に乗った。コンビニで菓子と飲み物も買った。日下部さんは干し梅が好きらしい。  窓の景色が変わっていく。建物が低くなり、やがて山と田んぼだけになった。 「長谷川くんは、悲しくないの」  干し梅をかじりながら日下部さんは言った。俺は「会ってみないと分からない」と答えた。  古川くんの家は、緑の屋根が目印だ。放課後よく三人でこの家でゲームをして遊んだ。  古川くんのお母さんはあの頃のままだった。白髪が増えたような気もするが、相変わらず田舎臭い白の割烹着姿で俺たちを出迎えた。  古川くんの家は、古川くんの家の匂いがする。出された麦茶は冷えていて美味しかった。  線香をあげた。写真の中の古川くんは高校生だった。俺がその写真をジッと見つめているせいか、「この写真くらいしかなくてね」と古川くんのお母さんは笑った。  仏壇には習字道具が置かれていた。古川くんは習字が得意だったことを思い出した。 「これ、良かったら貰ってちょうだい」  古川くんのお母さんが差し出してきた二枚の紙には、日下部さんと俺の名前が書かれていた。癖のない、しかし静かに踊るような文字は古川くんのものだとすぐに分かった。  しおれた紙をさらにしおれさせて、日下部さんは泣いた。大人になった彼女が子供のように泣いた。  泣き止んだ日下部さんはぽつりとこんな話を始めた。  彼女はクラスメイトの女子からいじめを受けていた。高校を卒業できたのは古川くんと俺が居たからだと話した。  ある日、机の中にこんな手紙が置かれていたそうだ。 「頑張れ。Fより」と。 美しい文字で、一言だけ。 「あのFって、きっと古川くんだと思います」  そう話す日下部さんの横顔が酷く純情そうに見えた。古川くんのお母さんは遂に泣き出してしまった。  古川くんの文字は茶封筒へ入れられて、俺の鞄へと居場所を移した。俺の思い出でなかったものが俺の思い出になった。  玄関口に立つ古川くんのお母さんは何度振り返ってもそこに居る。日下部さんと俺は振り返るたびに手を振った。 「電車で食べるお菓子、増えちゃったね」  日下部さんの目はまだ少し赤かった。俺は「菓子は食べたら無くなるから、楽だ」と言った。 「マコトくんのお母さん、元気でいてほしいね」  日下部さんの中の古川くんは、マコトくんになっていた。  窓の景色が変わっていく。建物が高くなる頃には日下部さんは寝てしまっていた。  鞄の中から、俺の名前を取り出した。 長谷川 文也  古川くんの文字は、やはり綺麗だと思った。自分の名前が自分の名前でないような感覚に陥るのは、なんとも面白い。俺の名前はこんなに立派だっただろうか。  隣で眠る日下部さんはまだ子供みたいだ。明日からまた大人の女性として生きていくのだろうと思う。  山と田んぼはもう見えない。高い建物ばかりのこの地で、俺も大人をやらなくてはいけない。子供になるには時間がかかる。思い出は思い出でなくなって、また別の誰かの思い出になったりすることもある。  古川くんと会っても、悲しいかどうかは分からなかった。  窓の景色と、古川くんの文字を交互に見ながら饅頭を食べた。それから、もう一度習字を始めようかななんて思った。
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