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ボーナスが出て、以前から欲しかったタンザナイトの指輪を買った。
5万円くらいした。ちょっと自分には不相応かなとも思ったが、どうしても欲しくて買ってしまった。
タンザナイトは、タンザニアで採れる石で、夕暮れの青紫色をしている。ティファニーが「タンザナイト」と名付けたそうだ。12月の誕生石で、仕事運と人間関係を良くする石だという。
届いた指輪を右手の薬指にはめると、カッティングのせいか、青色の中に紫の炎がちらちらしている。目がくらくらした。
奮発ついでにおしゃれして、北区の喫茶店に出かけてみた。
サイフォンで入れる珈琲を注文して窓側の席で外の景色を眺めていると、隣のテーブルにいた男の人がこっちにやって来た。
「やあ、すいません。ちょっとその指輪を見せてもらえますか?」
「え?・・・ああ、はい」
「こりゃ凄い!かなり強力な石だ」
「わかるんですか?」
「多分、石に詳しくない人が見ても、何かの力を感じるくらい強力ですよこれ」
言われて困惑する。
「くれぐれも石の力に引っ張られないように」
「・・・ええ」
男の人が向こうに行ってしまうと、私はえらいものを買っちゃったんだ、と眉根を寄せた。
窓から差す太陽光でぎらぎらしている。なんか、石の中に二つの紫の光があって、目のようにも見えた。
何かの本で石の精霊が出てくるのだけれど、本当にこの石の中に精霊でも居そうな感じだった。
「千夏ちゃん」
不意に名前を呼ばれて顔をあげると、谷崎さんが立っていた。
谷崎さんとは以前付き合っていたのだけれど、どうしても私から好きになれなくて逃げ出した経緯があった。どうしてこの人がここに居合わせたんだろう、って私は苦手意識が起きた。
「久し振り。元気だった?」
谷崎さんはいつも私を見つめて、なんともいえない表情をする。愛情を凝縮したような輝く表情。でも私にとってそれは嫌なものだった。
私には他に好きな人がいた。
誰かから好かれることはすばらしいことかもしれない。だけど私は、向こうから好いてくれる人よりも、自分が好きになった人の方が100倍良かった。
「ええ、まあ」
勧めていないのに同じテーブルにつく谷崎さん。
「何しに来たの?」って聞こうとして、あんまりひどいかなって思って、「ユーは何しにニッポンへ?」と某番組の台詞でお茶を濁した。
谷崎さんは笑って「会いに来たんだ」と言った。
軽い頭痛。谷崎さんの心の中で恋愛はどこまで進展しているのかしら?
私は泣きたかった。好きな人には振り向いてもらえないのに、好きじゃない人から想われている。
適当な話題で会話して、味わうこともなくせっかくの珈琲を飲み干して喫茶店を出た。
用事をでっち上げて谷崎さんから逃げるように別れた。
軽の愛車を運転しながら、北区から南区へ向かった。たまの休みに、もし私の好きな人と一緒にドライブできたらどんなに良いだろう?
弱気になるのはこんな晴れた休みの日だ。
赤信号で停車して、指輪を眺めた。
仕事と人間関係に悩んでる。だから欲しかった。
「指輪さん。タンザナイトの精霊さん。私の願いを叶えて」
他力本願かな?でもこうでもしないと心が壊れてしまいそう。
好きな人には告白したけれど、仕事の同僚としか思えないと言われた。
仕事は調度山場に差し掛かっていて、手掛けているプロジェクトがうまく行くことを願っていた。
その夜夢を見た。
白い燕尾服とシルクハット姿の男の人が私の指輪を見ていて、石の中の精霊と何か話をしていた。
「千夏さん?」
「はい」
「願い事を叶えるには、自分の力を精一杯出して事に当たることだ。石の精霊はその時には力を貸してくれる。だけど、ただ願うだけならば願いは叶わない」
「はい」
「現実はいろんな試練をキミに与えるだろう。だけど、キミ次第で試練も楽しみに変えていくことができる」
そう、かな・・・。
「今この瞬間を大事に生きてください」
「はい」
そこで目が覚めた。
いつもの月曜日の朝だった。でも、何か変わる前兆みたいな予感があった。
ケースにしまっていた指輪を取り出すと、タンザナイトをじっと見つめた。
きっと、多分、うまく行く。
心の中に紫の炎が燃え上がるような感覚があった。力が沸いてくる。
この力を無駄にしないように頑張ろう。
うん。指輪、やっぱり買って良かった。
〈fin.〉
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