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第一話 目覚め
チリン。
静寂な世界にさわやかな音色が流れた。それは水が滴れたような鼓膜に染み渡る心地いい音色だ。
遠くを見渡しても周りにあるのは薄い藍色の透き通った海。その水面は空をそのまま映し出している。音色が風で流れてきたことで水面に波紋が広がっていく。
その中にポツンと雲のように浮かんでいるのが桃晴社。その名の通り、桃林に囲まれた大きな社だ。
「やっとですか」
和室で書物を書いていた女の手がぴたりと止まる。この女がこの桃晴社の主である。彼女が筆を置いて隣にある庭を見れば一匹の猿が長細い手で口を押さえて大あくびをしながらとぼとぼ歩いていた。
「李猿、久しぶりですね」
呼ばれた李猿は彼女をちらりと見て、別に気にする様子もなくこぼれんばかりに実っている桃の木に手を伸ばし、大ぶりの桃を一つもぎ取ってむしゃりとかじった。
「今はいつだ?」
「2020年、そなたは千年ほど眠っていました。あの時あなたは昼寝をすると言って祠へ戻っていきましたが、まさかこんなに長い昼寝とは思いませんでした」
口元を押さえて微笑する女を鼻で笑った李猿は、むしゃむしゃと桃を食べきり種を庭へぷっと吐いた。
「そんなの俺の知ったことじゃない。俺の意志で出られるわけでもないのだから」
「そうですね。では、そなたが出てきた理由はもうわかっていますね?」
女の新緑のような色をした瞳がすっと濃くなっていく。李猿は真っ白な砂利敷きの庭に跪く。
屈む李猿を見て女は小さく頷き、再び和室へ下がる。
「行きなさい、そなたの主のところへ」
「御意」と猿は風のようにその場から姿を消した。
再び静寂の時間が流れる中、女は桃の木をよじ登る、一匹のこげ茶色の蝉を優しい眼差しで眺めていた。
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