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閃光のユーリル・アルタバク
人々を襲う異形の魔物達。奴らはそれぞれが多種多様な姿をしていた。
その内の一体である半狼に向けて、セイクリッドの幅広剣が唸りを上げる。
「ハァッ!!」
半狼は並の人間より頑強な体躯をしていたが、打ち込まれた剣はそれを一撃の元に切り裂いた。
「おお。皆見ろ、ここに凄腕の剣士が居るぞ!」
周囲の民衆が、彼の鮮やかな剣技に歓声を上げる。
ここ王都ニースライトは、長きに渡り平和を謳歌してきた。
しかし今日、突如として多くの魔物が出現し人々を襲い始めた。民衆は事態が飲み込めないまま逃げ惑っていたのである。
その流れが今、セイクリッドの行動に依って断ち切られたのだ。
「兄ちゃん、凄い剣捌きじゃないか!」
そう声を掛けてきた男に、セイクリッドは高々と剣を掲げて告げる。
「立ち向かえ! こんな出処も知れない化け物共を相手に、お前達が進んで自らの尊厳を捨てる事は無い!」
精悍な顔、力強い声に彼自身の栗色の髪が揺れているようだった。身の丈百八十四センチの長身に厚手のコートを纏い、しかし鍛え抜かれた腕は惜しみも無く晒されていた。
セイクリッドの呼び掛けに対し、何人かが名乗りを上げる。
「……よし、俺はやるぞ。お前達はどうだ?」
「そうだな。母ちゃん達を守ってやらにゃあな」
魔物に対し果敢に挑む者を目の当たりにし、その者に鼓舞されたならば、民衆の中にも戦う勇気が呼び起される。
そして勇気は、彼らが本来持つ人の知性も目覚めさせるのだ。
「俺達でも皆で一斉に掛かれば、魔物だって仕留められるさ。よし、棒切れでも何でも良い、武器になりそうな物を探せ!」
各々が熱気を帯びながら、戦いに挑むべく散開していく。
セイクリッドはそんな彼らの姿を暫し見届け、そしてその次にはもう新たな獲物を求め一人動き出していた。
状況は全く気の抜けないものである。
「……魔物の中でもあいつは大物らしいな」
眼前に捉えた一体の標的に対して剣を両手に構える。
明らかに他の魔物とは一線を画す強固な戦闘意志を放つそれは、体躯に恵まれたセイクリッドのその倍は有ろうかという巨躯を持ち、眼光鋭い牛の頭部を有していた。
その名は――。
「ミノタウロスって云うんだよな、お前!!」
――俺はお前を知っているぞ――そればかりではない。セイクリッドの目には――お前は俺を知っているのか!――と、この牛頭の化け物に向けて挑発的に告げるかのような輝きが漲っていた。
だから人の言語を解さないミノタウロスにも、目を通じて彼の意思が通じる。
「グオオオオ!!」
セイクリッドの闘志に応えるように唸りを上げて、手にした大斧を振りかざし、迫る彼へと戦意の全てを向けてくる。
「行くぞ!」
セイクリッドの剣とミノタウロスの大斧が交差した。
金属同士の激突音が響く。
剣を握る手に衝撃が走る。その衝撃を、両の足を踏ん張って堪えてみせる。
「くっ……」
――力押しという訳にはいかんか!
セイクリッドは押していた力を引き、ミノタウロスから一旦距離を取った。
「ブルルッ」
ミノタウロスは大斧を構え直す。すぐに次の攻撃に移る気だ。
「焦るなよ。すぐ決着を付けてやる」
セイクリッドは右手を離し、剣を左手一つで握り直した。
「輪廻の奔流の力を使う」
空いた左手から、青白い光が生じていく。
「グゥゥッ!」
その光を見たミノタウロスの戦意が増大したようだった。
「お前には分かるんだな、この力の危険さが」
ミノタウロスとセイクリッドが同時に動き出す。
ミノタウロスは右足を大きく前に出し、そのまま上体を捻って右半身をセイクリッドへと向けた。そしてその手の先には大斧が有る。
セイクリッドから見れば、まるで大斧と一体になったミノタウロスの右腕だけが突出してくる格好だった。これではリーチの差で、こちらの剣は奴の急所を捉えられない。
「賢いな、お前!」
そう言葉を掛けてもミノタウロスは人間の言葉を理解出来ない。
しかしセイクリッドはそんな事は意に介さずに、そのまま大斧を剣ではなく右手の青白い光で受け止める。
「爆ぜろ!」
右手の光が強くなって、まるで爆発するように弾けた。
大斧は勢いを相殺されて、その衝撃に引っ張られてミノタウロスの右脇がガラ空きになった。
セイクリッドは素早く身を翻す。そして右手での攻撃の勢いを残したまま、一気にその力を剣を持つ左手へと転換させて振り上げた。
「グオオオオォッ!!」
ミノタウロスの太い右手首が、手にした大斧ごと宙を舞った。
ミノタウロスの手首の切断部から紫紺の血が流れ出る。それを見たセイクリッドは戦意の高揚感からニヤリと笑った。
「言ったろ、すぐ決着付けてやるって。賢いお前になら分かるよな」
またそんな事を言う。ミノタウロスは人間の言葉など理解しないのだ。
しかし……。
「グオオオ、オ……」
ミノタウロスは両腕をだらりと下げて、セイクリッドに跪くように膝を突いたのだった。
「良い子だ」
セイクリッドは息を大きく吐いてから、そうミノタウロスに告げた。その時の笑みはもう戦意の高揚とは無縁の、彼自身が平時に見せる朗らかさを宿していた。
しかし、そんな彼の表情がまた強張った。
今この場に迫って来ようとしている人間の気配を感じ取り、舌打ちする。
人間の気配だと分かったのは、それが研ぎ澄まされた戦闘意志を放ちつつも、そこに殺意以外の感情も感じさせていたからである。
数は五つ――いや四つ。一つ減って四つになったのだ。
「軍が動いたか、それとも教会兵か。だが、なんだってここに来るんだ」
セイクリッドは右手を無くしたミノタウロスを見遣る。
「お前、そんな体でも他の人間とは戦う気で居るんだろ?」
「フゥ、フゥ……」
ミノタウロスの息遣いからは収まっていた筈の戦意が仄かに混じり込んでいた。
「唯の魔物ならともかく、こういう賢く分別を持ってる魔物は無為に死なせたくない」
セイクリッドは友に向けるみたいな穏やかな表情をして、次にどう動くかを決めた。
「人間達とは俺が話を付ける。お前、俺がここに居る内は絶対に奴らに手を出すなよ!」
ミノタウロスは無言だったが、その目はセイクリッドの意を汲む意思を放っていた。
ここまで目つきだけでこいつと意思を向け合ってきた訳ではないと、少なくともセイクリッド自身はそう思う。
「よし。 ――さて、鬼が出るか蛇が出るか」
この人間達の気配には焦燥や怒り、そして何か確固たる目的意識が入り混じっていた。だから、碌な事にはならないだろうという予測は付けた。
たが事態はセイクリッドのその予測を、大きく超える。
「くそっ、あれは駄目だ。あんなのが相手じゃ絶対に話が通じないぞ!」
セイクリッドの心に、軋むような感触が生じていた。
気配達の中の一つがそうさせたのだ。
セイクリッドが最初に見た者、即ち連中の中で先頭を行く者……見ずとも感じ取れた固い意思を持つその者だ。
「女――!?」
そうだ、女だ。その事実はセイクリッドが想定していた相手の姿から大きく外れていて、彼の頭を一瞬真っ白にまでさせた。
だがそんな感覚すらも、彼女が放つ戦闘意志の波動の強大さが一瞬の内に彼方へと弾き飛ばす。
「……ッ!」
女もセイクリッドを視界に捉える。
しかし彼女は何も言わなかった。
圧倒的な緊迫感――無駄口を叩くという事を完全に頭の中から排除している迷い無い眼つきだけが、雄弁にセイクリッドへと告げていた。
――この眼に留まる戦士は全て殺す!
手甲を付けた手に、抜き身の、血に塗れた長剣を持っている。
長身だった。セイクリッドと同じまではいかないが、それでも百七十八センチある。
朱に近い赤色の、腰まである真っ直ぐな長髪を風になびかせながら、全く無駄の無い動作でこちらへと駆けてくる。
戦装束、丈夫な繊維で紡がれたジャケットは燕尾を有する。脚のラインよりもややゆったりした黒ズボンは、足先に向かうときゅっと絞られ革製ブーツの中に収まっていた。長旅、いやきっと長く激しい戦にも耐え抜く程の頑丈さを誇るブーツだ。
麗人かと見間違える程の……いや、事実麗人と呼んでいい美女だった。
迷う気持ちが生じたのは、彼女の化粧が独特だった所為に他ならない。
目元にだけ施されたそれは、男を魅了する類のものでは断じて無い。
黒く濃く描かれたアイライン。その黒さの分だけ彼女の眼つきの鋭さが際立っている。
戦士のセイクリッドだからこそ理解する。これは彼女が自身の戦意を増幅させる為に施した、戦化粧であるのだと。
「あの闘気は尋常じゃない! あれは、もしかしてあれがユーリル・アルタバクなのか!?」
この国全土に知れ渡る戦闘の天才、軍の英雄。その名がユーリル・アルタバクだ。
彼女をそうだと決め付けるのは早計かとも思った。しかしここまで自分に対して危機感をもたらす女ならユーリルであって欲しいという、願いに似た思いも生じていた。
でなければ、本当のユーリルは彼女以上の化け物だという事になるのだから。
セイクリッドが、固唾を飲んでいた。
彼女の闘気に当てられたかの如く、彼の傍のミノタウロスが立ち上がる。
「おいやめろ、じっとしておけ!」
「オオオオオ!」
セイクリッドの制止が届かない程に、ミノタウロスが彼女の闘気に引きずり込まれていたのだ。
ミノタウロスが覆い被さるようにその身を押し出していく。彼女にとっては進路を大きく塞がれた形で、迂闊に避けようとすれば走る勢いを殺してしまう事になる。
そんな状況の彼女の後ろ。続く残る三つの気配だった兵士達から声が上がった。
「魔物が来る!?」
「だがユーリルが足を止めれば好都合だ!」
やはりあれがユーリルなのだ。王国が誇る戦闘の天才ユーリルが、何故か軍の兵士から追われているらしかった。
しかしユーリルは、兵士達の言葉を聞いてはいない。
「手負いが、死期を悟ったか!」
ユーリルが片手のミノタウロスに向けて発した声は力強く、また良く通った。
だからこそ、その言葉に宿る殺意が激しく露出されている。
迫るミノタウロスはユーリルの体を掴もうと左手を伸ばす。
しかし彼女をそれを避け、そのまま即座に翔び上がった。
常人離れした飛翔力。
ユーリルはミノタウロスの右膝に着地した次の瞬間にはまた跳んでいた。
胸板を蹴り、その反動で今度は宙返りする。
その一連の動作に、セイクリッドは見惚れてしまっていた。
――まるで閃光だ!
そして、
「ハッ!!」
ミノタウロスの頭上から、長剣を両手持ちに一気に振り下ろした。肩口から鮮血――彼女はその巨躯を、いとも容易く斬り裂いたのだ。
「ガフッ!」
ミノタウロスが前のめりに崩れ落ちた。ユーリルはその足の間を潜り抜け、まるで何事も無かったかのようにまた駆け出す。
「うわあ!?」
「ぎゃっ!?」
彼女の後ろに居た兵士達はこの一瞬の内にミノタウロスが倒される事を、まるで想定出来ていなかった。
だから倒れてくるミノタウロスへの対処が遅れてその下敷きになってしまう。あの巨体の重量に圧迫された状態から這い出るのは、軍の兵士であろうと困難だろう。
「これで追撃の手は全て――!」
ユーリルの口からそんな言葉が出た。恐らく彼ら以外にも追っ手が居たのを、ここに来るまでに排除してきていたのだろう。或いはその手の血に塗れた長剣で。
だが彼女が掛ける先には、セイクリッドが居る。
「……!」
ユーリルは手にしたままの剣をセイクリッドに向けて構えた。殺意もまたそのままに。
「魔物でも人でも構わずに、か? ――気に入らないな!」
セイクリッドは左手持ちのまま剣をユーリルに向ける。
膂力で女に打ち負ける気は無かった。
剣と剣が重なり合う。
何度かの打ち合い、そして互いに力を込めた強き一撃。
……想定通り、こちらは受け止め切ってまだ余力が有る。
「――ッ!!」
しかしユーリルは姿勢を低く落とし、長剣の刃を下へと滑らせてきた。それはセイクリッドにとって完全に想定外な挙動だった。
「くっ!」
刹那の内に、セイクリッドの膂力よりユーリルの剣の圧力が上回る。セイクリッドには何が起きてそうなったのか理解出来ていなかった。
ユーリルは腰を深く落とした事で力のぶつかりを、真正面同士の関係から上下で押し合う関係へと変えたのだ。
また両脚を大きく開いて地を踏み込む力を増大させて、それを長剣へと集中させていた。
その一瞬の変化に、セイクリッドが対応しそびれたというだけの事だった。
一瞬長く真正面へと力を向けたばかりに下がガラ空きになり、そこをユーリルに掬われたというだけの事だった。
そして戦闘では、その一瞬が命取りとなる。
今ではユーリルの長剣がセイクリッドの剣を圧している。腕ごと押し込まれている状態にされ、押し返す為の力を出し切れずにいる。
これは長剣だからこそ出来る芸当だ。
そして長剣という得物の特性を繊細さと強引さ併せ持つやり方で引き出してみせる彼女の戦い方が、セイクリッドに冷や汗を搔かせてゆく。
膂力の優位さなどは最初から無かったのだと知る。そして今では『遅れを取った!』と、そう思わされている。
ユーリルは優れた体幹をしている。その優れた体幹が張り詰めて、全身から力の息吹が解き放たれている。
まるで戦う事の為に特化した体だ。
セイクリッドの眼下に在るユーリルがこちらを見上げている。
ギラついたその鋭い眼光は純然な破壊衝動で動く魔物では持ち得ない――人だからこその、浮き彫りとなった明確な殺意を滾らせる。
このままでは死ぬ。だからセイクリッドは躊躇わなかった。
「ハッ!」
右手を彼女の顔面に向けてかざした。その手に生じる青白い輝きは、輪廻の奔流の力というらしい。
かざした右手の指の隙間から、ユーリルの眼が大きく開かれる。
ユーリルは、セイクリッドの輪廻の奔流の光を直視していた。眼光が更に鋭さを増していく。
増していったのだ!
――彼女は、この光を見知っているのか!?
セイクリッドにそう理解が走る。
「貴様ァァッ!」
ユーリルが叫ぶ。口紅を付けていない、その桃色に寄った薄赤色の唇が、憎しみという感情を湛えて震えていた。
だがそれはセイクリッド自身の右手に依って覆い隠されていて、彼が見知る事は適わない。見えるのは殺意放つ眼光だけ。
「……喰らえよ!」
セイクリッドはユーリルに向けて、彼女の叫びに対する返事のように叫び返して力を解き放っていた。
半ば無意識だった。すぐやらなければ逆にこちらがやられてしまう事の焦りと、彼女に『覚悟を決めろ』と促したい思いとが入り乱れていた。
力が爆ぜてユーリルの額に直撃して、衝撃で彼女の顔が大きく仰け反った。
「ぐぅっ!」
その額から鮮血が散る。
セイクリッドはこの一瞬を逃さなかった。ユーリルの肩口から心臓目掛けて一気に剣を振り下ろす。
しかし、剣はその途中で止まる。
セイクリッドのみぞおちに激しい衝撃が走ったのが、彼女の体に剣が届くより先だったからだ。
「こい、つ……!?」
セイクリッドは驚愕した。声にならない呻きになったのは、みぞおちを打たれ呼吸が途切れたからだった。
ユーリルが、手甲の拳を彼へと叩き込んでいた。
ユーリルは、虚空に目線をやっていた。そのままで、割れた額から顔中血塗れにして爆破の衝撃で視界が定まらないままで、的確にセイクリッドの急所を打っていた。
「フッ!」
大きく息を吐いて腹に力を入れて、その力でセイクリッドに回し蹴りを放つ。体躯で勝る彼の体が吹っ飛ばされる。
「あ……がっ……!」
なんとか踏み止まったが、彼には既に死線を越えたという感覚が生じていた。
この適度に開いた距離がまずい。寧ろ距離を詰めていなければいけなかった。
今の距離は、ユーリルの長剣が繰り出される時に最も力が乗る間合いなのだ。
――こいつは目に映るものを見てるんじゃない。相手の力の流れる先を感じ取って戦っている!
セイクリッドはユーリルの、更に強くなる眼光を見てそう思った。最初から視界に頼っていないのだから、見えてなくても彼女には関係が無いのだとそう理解をした。
彼女の額の血は、自分の前に立ち塞がる全ての敵を打ち倒すという絶対の意思に彩られた瞳を流れ、頬を伝い滴り、唇で受けて広がっている。
まるで濃く引かれた口紅のように、深紅の煌めきを放つ。
セイクリッドはユーリルの眼がそっと、彼の眼を捉えたのが分かった。
彼にはそういう風に分かったのだ。実際はそっとでは無かったかもしれない、彼女の眼に見入った所為で生じた幻視だったかもしれない。
「そのチカラァ!!」
ユーリルが絶叫した。その叫びに呼応して、彼女から発せられる闘気が一層膨れ上がっていた。
ユーリルの右手持ちとなった長剣が大きく振り抜かれ、セイクリッドの左手の剣を弾き飛ばす。最初に打ち合った時より彼女の力は増していた。
――本物の化け物か!
この状況でセイクリッドが更に理解した事が一つ有った。それはこのユーリルが輪廻の奔流の力を激しく憎んでいるらしい事だ。
手が痺れる感覚は、彼女がその闘気をこちらへと浸食させ縛ってきている幻視をも伴わせた。
戦闘では肉体と精神が強く結び付く。だからそこで感じた事は、例え幻視だろうと己にとって紛う事無き真実である。
女でありながらここまで凄まじい剣の圧力を繰り出す事と、女でありながら顔中を血で濡らした事を一切気に留めない事の二つはどうでも良かった。
女だからどうだ等と、そんな事を気に掛けたりしない。ほんの一瞬でもこの化け物を他の女と比べている時間が勿体無いからだ。
今は何が何でも乗り越えてみせるという気迫だけ持てば良い。例え化け物染みた女が相手であろうとも。
自分が男だからこそ、尚更に。潰し合うしかお互い道が無いのだから、全力で!
「そのチカラァ、必ず叩き潰す!!」
ユーリルが怒号と共に長剣で突きを放った。強靭な体幹を生かした必殺の突きだ。
――よっぽど重大な恨みだっていうんだろ。……まったく、うるさいんだよ!!――
セイクリッドは心の中で、ユーリルが吐き出した言葉をそう受け流していた。セイクリッドという男のこのらしさ加減が、彼自身にとっては光明となる。
やる事とその覚悟が決まったのだ。その覚悟の精神が全身に力を漲らせて、セイクリッドの呼吸を蘇らせる。
セイクリッドが右手を再び輝かせた。
ユーリルがその光を見遣る。
その光を見る内にやがてユーリルの憎しみに満ちた眼光が、微かに変化を起こしていった。
ユーリルの視線の先で、光は線上に伸びて一つの明確な形を成す。その姿は……。
――槍!?
ユーリルの予測は正しかった。光は一本の槍と変化して、現実に存在する物質の様相を呈していく。
「ゲイボルグだ」
セイクリッドはその槍の名を彼女に教えた。彼の槍がユーリルの胸の下に突き刺さるその前に。
「グアッ……!」
ユーリルは自分の体にゲイボルグを貫かせながら、それでも――。
「オオオオオアアアアア……!!」
長剣で、彼の横腹を刺し貫いた。
……そこで遂に、彼女の闘気が霧散した。
「くっ……」
セイクリッドは横腹の焼けつくような痛みと血の流れと共に、はっきりとそれを感じ取った。
戦闘意志の収まったユーリルは張り詰めていた糸が切れたようにうな垂れて、血の紅で染まった唇でただ一言だけを発する。
「ゲイボルグ……?」
ユーリルは輪廻の奔流は見知っていても、この槍の事は知らないようだった。今では戸惑いの眼で見つめてきてすらいた。
「……お前、この槍を綺麗だと思ってくれるんだな」
セイクリッドはユーリルの様子を見て、そう口走っていた。
「き、れい?」
無感情な声だった。まるで彼女の中の憎しみが、別の何かに依って掻き消されていっているような、そんな様子だった。
戦士は戦いの中で幾度も己の思いを得物に籠めるものだ。だから相手の得物を見て自分が心に感じたものは、即ち相手の心の内に対して感じたものに等しいといえる。
「……分かった。恨み事は置いて、もう休め」
セイクリッドはそう呟き、手にしたゲイボルグを再び青白い光へと変化させて霧散させた。
「あ……」
体に刺さっていたゲイボルグが消えて、ユーリルは思わず声を漏らした。
うな垂れていた体にとっての支えが無くなり、彼女は前へと倒れそうになる。もう長剣を握り続ける力も残ってはいなかった。
倒れゆくユーリルを、セイクリッドはまだ長剣が刺さったままの体でそっと抱き止めた。
背中に回した腕に掛かる彼女の髪の感触、それは幻視ではない。
「……何故、急所を外したの?」
こちらの胸に顔を埋めているユーリルから、そう言葉を掛けられた。セイクリッドより出血は薄く、喋るのもそこまで苦では無いようだった。
「俺のゲイボルグを、綺麗だと思ってくれたから、だな……」
セイクリッドの言い方はとても素に近い感じだった。
ユーリルが、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……そう。……そういう気持ちが分かってしまうのが、腹立たしいわね」
穏やかな声色だった。彼女の素の喋り方はこうなのかもしれない。
セイクリッドはユーリルに文句を言われているのだろうなと、そう思った。
余りにもさっきまでの様子からは想像も付かない声色で返されたから、その事だけをなんとなく理解するのが精一杯だったのだ。
「私はあくまで、殺す気で貴方を突いたわ」
ユーリルは、自分が向けた思いをセイクリッドに拒否されたと感じて、だから腹を立てていた。
戦闘なのだから、ぶつかり合うならぶつかり合うで良いじゃないかと、そういう風に……。
「そうだろうな。しかし俺だって、これで潰れてしまう程度の強さじゃない」
セイクリッドは横腹から激しい痛みを感じながら、それでもそう言ってみせた。
「貴方……」
ユーリルは何かを言い掛けたが躊躇いを見せてもいて……。そして口を噤んで、それ以上は言わなかった。
代わりに――。
「私はここで立ち止まる訳にはいかない」
唐突にそう告げた。
セイクリッドは彼女がゆっくりと自分の胸から顔を離して目線を長剣に向けた事から、その言葉の意図を理解した。
「すまないが、流石に今この剣を持って行かせてやるのはご免だ」
急所を外れたユーリルの傷とは違い、セイクリッドの傷は長剣を抜けば血管が開いて血が噴き出てくる事になる。体から血が減れば、例えどんな屈強の戦士でも命を落とす事になる。
「……そう、よね」
ユーリルはそれは尤もだと言わんばかりに冷静だった。彼女は人の体の死にゆき方というものを戦場で知ってきたから、きっとそういう態度になるのだろう。
そんなユーリルが冷静に、思慮を巡らせている。
「私、追われてるの。貴方と一緒に行くからお互い傷をなんとかしましょう」
どうやらそれが彼女の出した、最も安心出来る道らしかった。
「俺にも軍に追われる身になれって言うのか?」
「応急処置を済ませて体力を取り戻せば、貴方の傷が癒えるまで、向かってくる敵は誰であろうと全て私が排除する。回復に時間が掛かるのは貴方の方だもの……」
笑えない回答。しかしそこから感じる彼女の本気さ。――それをセイクリッドは、無下にはしなかった。
彼はユーリルを支えながら、ずっと自分も彼女の体を支えにしていたのだから。
「条件はなんだ?」
「条件で成り立つような関係を、今の私は信用していないわ。だから貴方は何も不安に思わなくていい。私がそうしたいという気になっただけ」
『これ以上の言葉は邪魔だ』と断じる言い方をされてしまう。だから、セイクリッドはもう折れてやる事にしようと決めた。
「分かった。お前の厚意に甘えさせて貰う」
「……有り難う」
ユーリルが告げた感謝の言葉は、彼が折れてみせた事に掛かっていた。
散々こちらの上に立とうとしておいて、いざ立ったら今度は即座にこちらの面子を立ててくる。
――こいつ、悪女なのか?
セイクリッドはそう思ったが、同時にそんな彼女を悪くないと感じもした。
「身を隠せる場所に着くまでは倒れてくれるなよ。何度も手を差し伸べなきゃいけないような相手では俺も信用出来ないからな」
「そういう言い方をするのは、優しい男である証だと思っているわ。その心を、頼りにさせて貰う」
――甘い言葉を掛けるより、女自身に覚悟を付けさせてやる事を、こいつは優しいっていう風に考えるんだな。
戦闘の天才であるユーリルは、しかし女としても手練れなのかもしれない。セイクリッドは自分の心を彼女に掴まれたような気がしていた。
「私の名は、ユーリル・アルタバク」
「最初からそうだろうとは思っていた」
「何故?」
「この国でお前以上の強者が女の中に居たら堪らない」
「……そう」
ユーリルは何やら複雑な面持ちだったが、しかし変わらない穏やかな口調で続ける。
「貴方の名は?」
「セイクリッド。名字は無い」
「へえ。でも何となくそんな感じがするわ」
「そうかよ」
二人はまるで気心が知れた友人のようになっていた。生死を分けた戦いを経た者同士には、時にそんな事が起こり得る。
互いの全力の思いを知る機会というものは、寧ろ平常時では得難いものなのだ。
――終――
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