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二 大燕国の残滓
慕容沖は燕国の皇子、であった。
のちに五胡十六国と呼ばれる時代の中葉。三國志として知られる魏呉蜀三国の鼎立より、およそ二百年後のことである。
三國志は、魏より皇統を簒奪した晋が天下を統一することで終わった。しかし、かの国の権力基盤はきわめて脆弱なものであった。統一後間もなく、皇族が権力を求め、争い合った。八王の乱と言う。八人の皇族が、互いに殺し合ったのである。これにより、晋帝国の武威は大いに阻喪した。それを好機と見たのが、五胡。即ち匈奴、羯、氐、鮮卑、羌と呼ばれた諸部族であった。
かれらは大挙して中原に進攻、都・長安にて殺戮の限りを尽くした。そのため、晋の首脳らはほうほうの態で南に逃れねばならなかった。このときの惨劇は永嘉の乱、と呼ばれている。五胡十六国時代の端緒である。
晋の貴族らは、亡命先の旧呉勢力圏にて、臨時の政府を建てた。以降捲土重来を期し、幾度もの北伐の軍を起こすことになる。
一方中原では、晋を追い落とした五胡が覇権を巡り争っていた。はじめ匈奴が、次いで羯が強勢を誇るも、共に優れた指導者を失った途端に崩壊。そしてこの頃、氐には苻堅、鮮卑には慕容儁と、それぞれに優れた指導者が現れていた。両族は、次なる中原の覇者候補として成長する。これが秦、そして燕である。
英主の元で勢力を拡大した二国と、あわよくばその相克を衝き、中原を奪回せんと目論む晋。かくて中華に、改めて晋秦燕三国の鼎立が成立した。
慕容沖は、燕都・鄴にて、慕容儁の第八男として生を受けた。早くより文武に才を示し、またその容貌の甚だ秀麗たること余人を絶していた、と言う。何せその幼名が鳳皇である。慕容沖を得たこと、そのものが鮮卑慕容部の瑞祥であった、とすら宮中では見做されていたようである。
だが大いなる燕国の命運は、慕容儁の死によって急転する。大小の揺乱を経て、やがて秦による併呑の憂き目に遭うのである。それは秦王・苻堅の英邁さ故であり、また、後に残された燕人たちの愚かしさ故でもあった。
慕容儁には幾人かの弟がいた。中でも、特に二人の勇名が鳴り響いていた。
一人は慕容恪。一人は慕容垂。
二人は慕容儁の息子、慕容暐を次なる皇帝として盛り立てた。大帥・慕容恪が描いた戦の形を、驍勇・慕容垂が実現する。両名の活躍により燕は、ひとときは慕容儁在世時以上の強勢すらものとした。だが間もなく慕容恪も病死。また慕容恪という大きな後ろ盾を失った慕容垂は、その図抜けた武勲が危険視され、排除されかけた。
結果、身を危ぶんだ慕容垂は秦に出奔。燕の誇った鋭刃が、内訌を契機に、今度はその喉元を狙うに至ったのである。
この時、慕容沖は十二歳。いくらその才を愛されたとはいえ、いまだ一軍を率いるほどの大権は実質持ち合わせていなかった。大挙して押し寄せてきた秦軍が鄴の都を攻め滅ぼすさまを、ただ眺めることしか許されなかった。
燕は滅び、慕容沖は秦の都・長安へと、兄弟もろとも連行された。
そして姉とともに、苻堅の閨へと召し出されたのである。
〇
あてがわれた部屋の窓から、慕容沖は外を見る。
しとと降る雨を眺め、在りし日のことを思い出す。
――雨の日は遠乗りが叶わぬ。鬱々とする。
だが、悪いことばかりでもない。叔父の慕容垂が、このような日には囲碁に付き合ってくれるのだ。
兄たちでは相手にならぬ。近習たちはどうにも手心を加えてくる。ただ一人、慕容垂のみが慕容沖の全力を受け止め、撥ねのけてくる。敗北は悔しい。一方で喜ばしくもある。おれは、まだまだ強くなれる。
「また打ち筋が鋭くなったな、鳳皇。我もうかうかしておれぬ」
盤上の石の数のみで言えば一手、二手の差。その若干が遠い。渾身の一手が、無数の策の前に絡め取られたように思えてならぬ。
「光栄です。ですが鳳皇は、いくら手立てを尽くそうとも、叔父上の足元にすら辿り着ける気が致しませぬ」
盤面を眺める。
慕容垂は、石を取られることにさほど頓着しない。だが、気付けばあらゆる活路を潰してきている。挽回しようと慌てふためく内に、もう趨勢は決している。諦めるまいぞと妙手を見出そうにも、もうそこには叔父の石がある。
「慕容の将たるもの、勇猛であるは良い」
慕容垂が空地を指差した。慕容沖がいちど、大きく石を取った箇所だ。
「だが、局面は戦場を作る一部でしかない。将を統べる帥として、常に広く、盤面を見よ」
慕容垂が、空き地周りの石を示す。逃げの一手と思っていた石が、ことごとくこちらの連絡を絶つための布石となっている。先を読んでいたというわけではない。誘い込まれたのだ。
「精進致しまする」
思いがけず、ふて腐れた声が出てしまった。「素直なことよ」と慕容垂が笑う。
だがたちまち、その顔が曇った。
「元来であれば、お主にも年頃の遊びを楽しんで貰いたいものだがな。儁大兄の容態も優れぬ今、我ら血族が一丸となり、晋、そして秦に当たらねばならぬ。恪小兄も我も、いつまでも壮健ではおれまい。やがて来るお主らの世に向け、備えは、幾らしてもし足りぬ」
慕容垂が近習に示し、何枚もの碁盤を持ち寄らせた。
何事かと訝る間もなく、それらが慕容沖の周囲に配された。
「叔父上、これは?」
「小兄が目の当たりにしておるものだ。帥は一枚の碁盤に注力さえすれば良い。だが、王の扶翼たる大帥は、数多の碁盤に目を配さねばならぬ。王は王のみにて王足るに非ず。お主の兄、暐が皇統を継げば、鳳皇。やがてはお主が、暐と共に、之を負うことになる」
慕容沖は唾を飲んだ。
「鳳皇には、荷が重く御座います」
ただ一枚の碁盤すら支配が叶わぬと、容赦なく突き付けて来られたは叔父上ではありませぬか。駄々にも似た逆恨みを、険の載った言葉に託つ。それを汲んでか汲まずか、慕容垂が肩に手を乗せてきた。
「なに。今すぐ負え、というわけではない。その荷は小兄も負う。我も負おう。お主が、燕を負うに足る膂力を養えるようにな」
――あの時の慕容垂の微笑みは、やさしさと、力強さにあふれていた。
長安入りして以来、慕容沖は一度も慕容垂と見えることが叶わずにいた。
それは、どこかで叔父を避けていたからでもあった。
この期に及んで、どのような顔をして会えようか。片や燕を裏切り、亡国に追い込んだ張本人。片や燕と運命を共にすることすら許されず、あろうことか敵国の君主の寵を受けるに至った、こちらもある意味では裏切り者である。
かぶりを振る。今更、そう、あまりにも今更なのだ。
「ご神容、麗しからぬご様子ですな」
背後より、ぬたりと慕容沖に語り来る者があった。
振り返れば、見ぬ顔でもない。宮中における紅顔の誉れを、一身に浴びていた宦官である。とは言えその目鼻立ちは、慕容沖にはのっぺりとした陶磁器のようにしか見えなかったが。
「麗しからねば、何だ」
「せめて大司馬が荊棘に枕する痛み、我が身にても受け請いたく」
陶磁器が、歪んだ。真後ろにまで擦り寄って来ると、その手を慕容沖の陰部へと延ばして来る。
そういう肚か、さしたる感慨もなく、思う。
大司馬。燕の国がまだ健在であった頃、慕容沖の肩に乗せられていた官名である。その職掌は燕軍全騎の統帥。無論、ただの名誉職でしかなかった。しかし、故にこそ、故国が灰燼と化すのを見送るしかなかった無力を苛んで来る肩書でもある。
「卿は、何を目論んでいる?」
「目論むなどと。衷心より、大司馬の不遇に悲嘆の念を禁じ得ぬので御座います」
言葉とともに、表情を大袈裟に曇らせる。整った眉をわざとらしく下げ、口を突き出す。発する一言のごと、体がくねくねと揺らぐのが、背中越しに伝わってきた。
「おれは、不遇か」
「中原に冠たる勢いを得た大燕国の皇子が、今や秦王の寵童のごとき扱い。鬱屈を晴らそうにも、大司馬の御身周りには、我々宦官しかおりませぬ。これでは、いつ大司馬の情が暴発するとも知れませぬ。愚臣めが、せめてもの慰みになりますれば、と思い立ちたる次第に御座います」
慕容沖は、その凍てついていた顔つきを、何とか解きほぐそうと努めた。果たして思い描いたような、端正な笑みを形作れたであろうか。
「そうか。気遣いをさせてしまったようだな」
腕を解き、身体ごと向きなおる。一度、宦官を軽く抱き締める。縛めを解くと、陶磁器にほんのりと朱が差した。
宦官の帯を解く。机に手を置かせ、尻を剥き出しとさせる。
そして、後ろから。
首に、その帯を巻いた。締める。
「! ――ッぐ!」
対手は白面の書生、慕容沖は馬上にて日々膂力を培った身である。今更その意図に気付いたところで、もはや宦官に逃れるすべは無い。帯を解こうと足掻き、次いで慕容沖の腕に縋りつこうとするが、何もかもが能わぬ。苦悶の呻きを上げ、暴れ、まもなくその肩が、落ちた。
慕容沖が力を抜くと、死体が机を押し倒した。徳利、茶杯が床に落ち、音を立てて割れる。
「――不快、極まりないな」
赤い跡の付いた首筋に靴を乗せ、踏み折った。宦官の帯を捨て、着衣の乱れを直す。
音を聞き、慌てて駆け付けた別の宦官が、死体に驚きの声を上げた。その恐慌を気にも留めず、慕容沖は「そこな残骸を片付けよ」とのみ命じる。もの言いたげなその目つきにも一切取り合わぬ。
再び、窓から外を見る。
「馬も、矛も持てぬ身の上では、ヒキガエルを潰すのにも一手間だ」
雨足は、いや増していた。
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