四 姉に見えて

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四 姉に見えて

「睦み合え」 「――は?」  既に苻堅は全裸でいた。  慕容沖の隣には无考がいる。初夜以外では初めてのことであった。幾度となく呼び出しはあったが、その折は常に余人なく、ただ苻堅に貫かれるのみであった。  苻堅の言葉を理解できずにいる――ふりを、した。いつか命じられる事もあるだろう、と思っていた。だが今は、その見立てを示すことこそが愚挙である。  横目にて姉を見る。固まっている。  一度目を伏せた。誰にも、この憤怒を見られてはならぬ。  苻堅よりの寵を得て以来、慕容沖の待遇は虜囚のそれを脱し得た。行き来を許された箇所でさえあれば、何をするも咎められぬ。書にも事欠かず、その気になればいくらでも学びを得ることも叶った。  だが、女がいない。  慕容沖とてひとかどの男子である。苻堅に貫かれたからと、女への欲が失われたわけではない。だと言うのに、側仕えはすべて宦官であった。かの白面を思い出すまでもない。もとより宦官の尻には、汚らしさしか覚えられぬ。  逼塞の日々、その起こりに、男女の交わりを突き付けられたのだ。果たして日夜、姉と苻堅の艶姿が慕容沖を苛んだ。或いは妄想の苻堅を、慕容沖が取って代わりもした。手淫には、常に嫌悪と懊悩が付きまとった。 「此度は、いかなるお戯れに御座いましょうか」  顔を上げれば、苻堅の紫瞳が慕容沖を射抜いてくる。 「身中に、龍が在る」  苻堅が自らの胸を示す。 「日夜吠えるのだ。解放せよ、と。慕容の皇統を引く汝らは、龍の器である。だが、足りなんだ。故に、時を待った。今宵の汝らは陽の極、陰の極である。易に曰く、陽三爻(さんこう)にて(けん)、陰三爻にて(こん)。和合により地天混交し、(たい)()を生ず。斯くして汝らは、我が龍を受け容れるに足る器と化す」  何を言っているかは、皆目見当がつかぬ。  わかるのは、徒に戯言を垂れ流すつもりの顔ではない、と言うこと。だがその虚真に何の意味があろう。詰まる所、弄びたいのだ。目の前の、この男は。自らが滅ぼした国の遺児を蹂躙する事で、己が至高たるの証としたいのだ。  改めて、頭を下げた。 「御聖望、感服の到りに御座います。愚人の不明に恥じ入るばかりです」  慣れぬ口上は、思った以上の棒読みとなったことだろう。それでいい。このひとときの憤激さえ悟られなければ。いま、自分は苻堅の掌上で転がされ、姉とともに戯れるツバメの雛でなければならぬ。  面を上げ、姉と向き合う。  しばし離れている間に、ずいぶんと女になったものだ、と思う。燕の宮中にも宮女はいた。幾人かを抱いたこともある。だから、それなりに女と言うものは知っているつもりでいた。  だが、違う。  禁忌のゆえだろうか。あるいは積み上げた妄想の果ての虚像と結びついたからか。それとも姉が、苻堅の手によって、女とさせられたからか。  すぐにでも貪り付きたい。止めどなき欲望が持ち上がり、それが間を置かずに己の矜持を蝕む。歯を食いしばる。おぞましき苻堅の企てに乗る、と決めたのは、他ならぬ自分自身である。 「姉上、参ります」  掻き抱く所作が、自分でも驚くほど乱暴なものになった。  鼻一杯に、久しく味わうことのなかったふくよかな香りが立ち込める。  日夜思い描いてきた身体が、腕の内にある。細き腰と、薄き肩。はじめ固まった姉も、やがて躊躇を交えつつ、慕容沖の背に腕を回してきた。  唇を合わせ、そのまま押し倒す。  舌を絡め合う。姉の鼻から甘い嘆息が洩れ来た。  彼我を隔てる衣が煩わしい。唇を離さぬまま帯を解く。薄衣の下に手を差し込む。絹のごとき肌触りである。一度吸い付けば、容易に離れること能わぬ。  慎ましきの盛り上がりを示す、胸上の双丘。頂の碑にまで辿り着くと、姉の身体が、僅かに跳ねた。  矢も楯も堪らぬ。そのまま、慕容沖の手は秘所にまで伸びる。既に蜜が溢れていた。驚き、手を引く。  唇を離し、姉の顔を見る。大いに濡れそぼった瞳、紅潮した頬。慕容沖の手がもたらしたものでないことは明らかだ。いったい、苻堅は姉にいかなる方術を施したというのか。 「後生です、鳳皇」  无考の手が、慕容沖の陰茎に伸びた。握る。強すぎず、弱すぎず。敢えて言えば、若干強かろうか。人差し指が竿と陰嚢との継ぎ目を薄くなぞる。全身に、寒気にも近しい悦が走る。 「姉――上っ!」  もはや獣となるしかなかった。逸る気持ちで秘所へと陰茎をあてがう。突き入れると、姉は唯々と、しかし妖艶に絡まりながら、慕容沖を受け容れた。  そこまでだった。  ひと突きすら叶わぬ。押し寄せる悦の波は瞬く間に一点へと挙り、大いに、散った。  信じられぬ量が噴き出た。上手く腰を保つこともできぬ。あえなく无考の胸上に顔を埋め込む。早鐘のごとき拍動は自分のものか、はたまた。 「若きよな」  苦笑を交じえた、苻堅の呟き。 「それは、それで良い。繋がったままでおれ。若きゆえにこそ、時を置かずに再び高まろう」  苻堅は慣れた手つきで慕容沖の菊門に蜜を塗り、そして剛き杭を打ち込んで来る。接合より内側にめくれ上がるかのような心地。幾度となく打ち込まれてきた杭である。そこにもはや痛みはない。 「っぐ!」  菊門より総身に、悦が駆け巡る。  痺れかけた意識を、どうにか慕容沖は嫌悪と憤怒とで押し留めた。浸ることは許されぬ。ようやく、どのような形であれ、姉との再会を果たしたのだ。この好機を、逃すわけには行かぬ。  无考の耳の側に、顔を寄せる。 (――姉上、ご返事は嬌声にて)  んっ、鼻にかかるような、甘い声が漏れた。  自らの陰茎が、姉の中で早くも硬くなり始めたのを感じる。  苻堅の突き込みは、やや激しい。幾度かに一回、痛烈に勘所を抉ることがある。その折には、慕容沖も声を漏らしてしまう。長い言葉を喋ることは能わぬ。 (韓延(かんえん)なる者の伝手にて、外と繋ぎが取れました)  苻堅の動きは、そのまま慕容沖の腰を通じて姉にまで伝わっている。姉の身体が小さく跳ねた。んうっという声は返答か、或いは。 (暐大兄との連絡は叶いませんでしたが、(おう)小兄とは二、三の文を交わしております)  う、っん、と、細切れの声が上がる。  慕容沖を抱きしめる腕に力がこもった。姉からの熱が、苻堅よりの責めが。徐々に慕容沖からも冷静さを奪う。  ああ、と声が漏れた。  悦は白きに、そこはかとなしの赤きを交える。その奥に、蒼黒とした陰が横たわっている。悦が高まれば高まるほど、その陰もまた、色濃くなる。 (今は、踏みとどまり下さいませ。この思い上がった氐賊めは、必ずや覆滅して見せまする)  无考の声が高まった。苻堅の腰の動きも、ますます激しくなった。  姉上――姉上。  涙を流しつつ、慕容沖も、頂へと至った。  寵にて得た禄を元手として勢力を養い、燕室の再興を図る。  慕容沖の描いた絵図であった。  だがその志は、果たせずに終わる。王猛、苻融両名の再三の諫言により、慕容沖の身柄は、北部の町、平陽(へいよう)へと遷される事になったのである。  ただし苻堅は、諫言に従いこそしたものの、慕容沖との別離を惜しんだ。長安城北西の離宮、阿房宮(あぼうきゅう)に十数万本もの竹を植えたのである。竹林は伝説の霊鳥「鳳凰」の住まいとされる。また鳳凰は、竹の実以外は食さぬ、とも言われていた。  衆人の目からも、阿房における植林の意図は明らかであった。故に長安の人らは、またも歌った。  ――鳳皇、鳳皇。阿房に止まれ。
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