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一 慕容冲と苻堅
慕容沖は跪礼こそ崩さねど、しかしその身体をひどく強ばらせていた。
元来であればその面持ちは柔和な花弁にも比され、その奥に確かな精悍さの始まりをも見出しうる、そのような少年であった。その顔に、いまは深く憂苦が刻まれている。
広い室内に溜まりこむ漆黒を、幾本もの蝋燭がか細く切り拓いていた。部屋の中央には寝台が鎮座する。その麓には蝋燭番の宦官らが土下座し、ヒキガエルのごとき背中を浮かび上がらせている。
「天王、お戯れを仰いませぬよう」
震える拱手で訴える。だが繻子の向こう、寝台に佇まう天王、苻堅は動じない。返しはただの一言「くどい」である。
唇を噛み、俯く。
もとより奴婢にも等しい身の上である。抗弁だけで死を賜ることすらあり得た。ならば、天王がただ却下のみを宣べたことは僥倖、と呼ぶべきなのだろうか。
「鳳皇……」
寝台より姉、无考が、か細い声で慕容沖の幼名を呼ぶ。端々に潜む、その吐息が荒い。つい先程まで苻堅に激しくかき抱かれていたのだ、無理なからぬことであった。
顔を上げれば、苻堅の手が无考へと向かっていた。寵愛する動きではない。喉元を締め上げるためのものだ。慌てて立ち、制しようと思った。だが声は出ない。その代わり、息の塊を吐き出していた。
首を振る。
意を決し、帯を解く。
上着の下には、薄衣一枚すら纏っていない。なのでそれさえ脱いでしまえば、もう全裸となる。
ほう、と苻堅が声を上げた。
物心つく前から馬と親しみ、草原を駆け抜けていた。余分な肉はすべて風が削ぎ落とした。慕容沖にとっては当たり前のことであったが、どうやら中原の緩い風にしか曝されてこなかった者々には、この体つきがたいそう珍しいらしい。
「失礼致します」
繻子をめくり、寝台に上る。膝を乗せれば、たちまち膝が深く沈み込む。どれだけの羽毛がつぎ込まれているのか。故地でもこれだけの布団には包まった覚えが無い。
苻堅と姉、二人の間には赤い染みがあった。
天王と、その妃が迎えた初夜。どちらにとってもただ事でない筈の場に、何故か自分がいる。これは一体、なんの冗談だというのか。
いや、冗談であればまだ良い。つい今し方まで、姉が陵辱される様をまざと見せつけられていたのだ。せめて悪夢であってくれと、空しきを承知で願わずにはおれなかった。
苻堅に相対すると正座し、深々と頭を下げる。大きな手が乗る。頭から耳、首、そして肩へ。先程の有無を言わさぬ言葉とはまるで違う、宝玉を慈しむかのような、柔らかな動きであった。
「背」
言いつけに従い、頭は上げぬまま、苻堅に尻を向ける。その手が腰周りを掴むと、わずかに力がこもった。
「蜜」
次いでの声は、姉に向けてのものであったようだ。軽い衣擦れの音が寄ってくると、小さな手がおずと慕容沖の臀部に触れてきた。ぬる、とした感触もある。苻堅の言う、蜜であろう。
はじめ蜜は臀部に広く塗りつけられた。そこから中心に寄る。動きは、飽くまで固い。
無体なことを、どこか他人ごとのように、慕容沖は思った。破瓜の痛みも引き切らぬまま、弟の尻と向き合わされるなど、いかなる辱めであることだろう。
手指はやがて、慕容沖の菊門にまで伸びる。一点に向けて集う襞、その一つ一つの奥にまで蜜をすり込むかのように、丹念に、細やかに、指が動く。――誰が責められようか。この異様きわまりなき場において、慕容沖が微かな悦を得てしまったことを。
覚えず、声が漏れた。
蜜は菊門にのみ留まるわけでもない。ぐい、と奥にまで侵入する。始めこそ拒もうとしたが、その細い指を一気に根元にまで埋め込まれてしまえば、もはやどうしようもない。
後背に受ける姉よりの熱が、胸元にまで上ってきた。堪らず、息を吐く。まだ満足に毛も生え揃わぬ陰茎が、これ以上無い剛直を示した。
膝立ちを維持することすら覚束ぬ。膝が笑う。腰を姉の指に擦りつけそうになる。
訥々と蠢く柳指が慕容沖の内側をなぞれば、腰から肩にかけて、痺れにも似た感覚が走る。
何と無様な有様だろう。大燕国の正統なる血統を継ぐ者として、他者に見せてはならぬ痴態である。しかもそれを見るのが、仇敵とも呼ぶべき、苻堅。だが、いまの慕容沖に苻堅を殺すだけの力はない。
「好し」
腰に掛かる手を制することも許されぬ。
菊門に当たる、苻堅の陰茎を止めることも。
また、その侵入を阻むことも。
「――くっ!」
身体を、縦に割かれたかのようだった。
苻堅は、奥まで突き入れるといったん止まり、ゆっくりと引く。そして今度は、ゆっくりと分け入ってくる。
進まれるにせよ、退かれるにせよ、伴うのはひたすら激痛である。こめかみを脂汗が伝った。胸が詰まり、満足な呼吸も能わずいる。
腹に、腰に、不自然なほどの力が入ったのがわかる。太腿も吊りそうだ。だが苻堅に、斟酌の様子は一切ない。それどころか、徐々にその腰遣いは激しくなってゆく。
九浅一深もあったものではない。ひたすら乱暴に、まるで慕容沖の臓腑すべてをえぐり出さんとでもするかのように、突き込んで来る。
「なるほど、慕容、龍の器よ」
呟きとともに、動きはさらに激しくなった。
そして、果てる。腹の中をすべて満たされたのではないか、と訝りたくなるほどの精が、慕容沖に解き放たれた。
苻堅が離れる。
体の緊張という緊張が解け、布団に倒れ込む。ようやく呼吸を取り戻せた気がした。
姉より杯が差し出される。酒である。故地のそれよりも、だいぶ、きつい。喉が焼けるかのようだ。だが枯れ果てたこの折、贅沢は言っていられない。
「无考、沖。佳き心地であった」
苻堅が同じ酒を一気に呷る。そして早々と上着を着、帯を締める。
「余は閨を外す。汝らは良く汗を拭き、身体を冷やさぬようにせよ」
苻堅の物言いは、先程までとは打って変わって、いたく柔和なものとなっていた。姉が「畏れ多く御座います」と平伏の上告げると、苻堅は寝台より降り、退出した。
菊門の痛みを堪えつつ、慕容沖は何とか身体を起こす。主が去ったあとも、无考は頭を垂れたままでいた。
その肩が、細かく震えていた。
「――姉上」
その胸には、いかなる思いが渦巻いていることであろう。だが、それを口にすることは許されぬ。宦官どもは路傍の石だ。しかしながら、物言う石である。
「今は、命あるを喜びましょう」
か細き肩に、手を掛ける。
「鳳雛は、羽ばたく時を待ちまする」
たたずまう闇に、姉の嗚咽が染みこんでゆく。宦官どものわずかに荒くなった呼吸が、妙に耳障りに響く。
――力が、要る。
慕容沖は、虚空を睨んだ。
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