新しい住人

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【新しい住人】 1 ほんの小さな敷地まで乗っ取ろうとする、卑しい隣人が住み着いたようだ。 間友和也は自分の家が所有する土地を侵略しようとする隣人の家を向き、息をもらした。 姿の見えない隣人は、間友の土地に農作物のカスを置くという暴挙に出ている。 間友家の隣――以前、そこに住んでいたのは梶間という一家だったはずだった。 梶間夫婦とその息子。確か三人で暮らしていた。 梶間家は本業農家ではないものの、大きな畑を持っていた。 その畑には、季節野菜や果物の木などが植えられていた。 たまに、間友の作った野菜と、梶間の作った果物を交換するような付き合いもあった。 あの家族で食べるには、多すぎる量を作っていたようなので、どこかに卸していたのかも知れなかった。 そこまでは干渉しなかった。 梶間の旦那さんが亡くなって、間友家もお葬式に参列した。 その後、梶間の奥さんと息子の出入りはなくなっていた。 奥さんがそのまま家を売ったのか、いつの間にか新しい住人が住み着いていた。 新しい隣人は挨拶に来なかった。 週に二回の生ゴミの日と、月に二回の資源ごみの日、そばのゴミ置き場に出てくるようだが、 その姿をじっくりと見たことはなかった。 大人しく暮らしている分には、別に構わない。 でも、このようなことをされるのは困る。 間友は敷地に置かれた野菜のカスをゴミ袋にまとめた。 ある時期から、急激に、人付き合いを嫌うタイプの人間が増えてきていた。 隣の家だけじゃない。 高齢化で、家主は老人施設に入居し、ほかの家族や親類関係が新しく引っ越してくることが多くなっていた。 世代交代だ。 新しい家族たちは、近所の人間に挨拶をしない。 というよりも、姿すらあまり見せない。 家のカーテンも開けない、窓を開けて換気をしている様子もない……といったあんばいである。 世代が違う。 それぞれの価値観があり、構わない。 間友は隣人のゴミを集積所に捨てた。 もともと、人間が生活のなかで困るのが、火事だ。 近所の助けがいるのはそれくらいだろう。 昔から、村八分という仲間はずれのような状態でも、火消しと、死体の処分だけはやってもらえたのだ。 今は、葬式は業者が一から十までやってくれる。 火事だって、消防がやってくれるのだから、もはや、なんの付き合いも要らない時代といえばそうだ。 でも間友のような古い、旧式の人間は、それじゃあ寂しいと思う。 農作物がたくさん採れれば分けてあげるほうがいいし、クズ野菜にして捨ててしまうのはもったいないことだ。 今はみずから村八分、いや村十分のような状態になりたがる新しいタイプの人間が増えたということだ。 もはや、そういう新しい時代に、間友が紛れ込んでいるのかもしれない。 高齢化した主が消え、次に入ってきた新世代の人間たちを、間友はみんなひっくるめて《新しい住人》と呼んでいた。 新しい住人たちは、社交を好まないが、マナーは悪くなかった。 ゴミの分別も正しいし、夜間に騒ぎ立てたりもしない。 とても静かなのだ。静か過ぎるくらい。 あの家も、新しい住人。 こっちの家も、新しい住人。 散歩をしながら、間友はさまざまな家をぼんやり眺めた。 隣人は、住人が梶間の家族なのか、親類なのか、他人なのか分からなかった。 「ねえ、あなた、またお隣さんが……」 帰宅すると、間友の妻が眉根を寄せていた。 間友家が以前、車を置いていた小さな敷地に、隣人はさまざまなものを置いた。 置いたものを見ると、新種なのか奇形なのか、見たことのある野菜が妙なかたちに変形したものや、ひとくち食べて投げたのか、甘い汁の滴っている果物などが山積みになっている。 こんなんじゃ、虫も寄ってくるし、獣類も集まる。 案の定、電線の上にカラスが集まっている。 蟻も嗅ぎつけたようだ。 間友はいつも、隣人が置き去るゴミを袋に入れてゴミ集積所に出してやった。 そして、その場所に、自分の家のものを置いた。 (ここは我が家の敷地です) という意思表示である。 だが、今回はあまりに腹が立ち、ゴム手袋をはめた手でクズ野菜を抱え、隣人の家の入り口に山積みにしてきた。 昔、梶間が暮らしていた頃にはよく手入れされていた門付近も、今は行き届かず、荒れていた。 ふと覗くと、庭だった場所にも、なにやら果実の木が植わっている。 大きな木を買って植えたのか、本当にいつの間にか、果樹園のような様相になっていた。 小さいビニールハウスも建っていた。 裏の畑にも、さまざまな野菜がなっている。 農業のプロなのだろうか。 農家なのか、プロなのかが、この家を買い取り、ただ農作物をつくるために使っているのかも知れない。 もしかしたら、別荘のような使い方をしているのかも知れないなぁ、と間友は感じた。 間友は自分の所有する畑に出た。 小さな畑だが、野菜ゾーンと果物ゾーンを作っている。 特に、果物づくりには凝っていて、ちょっと前に、長年続けてきたある実験にやっと成功した。 間友は果実をもいだ。 味はマンゴーに近く、もっと甘い。 割った見た目はピンク色をしている。 外見は紫と淡いミントグリーンの渦まきのような柄だ。 新種を作り出すことに成功したのだ。 間友は完熟した実をもいで家のなかに持ち帰った。 「お父さん、これ売れるよ!」 今年21歳になる娘が言った。 「ちょっと貸して」 娘は新種の果実の角度を整えて、スマートフォンで写真を撮った。 「あぁ、もうダメだ、このスマホ。壊れかかってるし。オークションで安く買えるかな」 なにやらぶつくさ言っている。 間友へのおねだりかもしれない。 「ほら。めっちゃ綺麗でしょ!」 娘はスマートフォンの画面を間友に向けた。 確かに、写真に撮ると色が映える。 早速、妻と娘と一緒に、果物を味見した。 「う~ん」 「すっごく甘い! 美味しい!」 たしかに、味もとてもいい。 娘はあっというまに10個近い実を食べてしまった。 合計12個の種は、また来年植えよう。 間友は種を集めて決まった場所に収めた。 間友はこの果物を売り出す気はなかった。 間友に野心や器用さがあったなら、この果実はブランドになるだろう。 それくらい、美味しいのだ。 でも、売り出しをかける積極性は間友にはない。 商売人にはなれない。 そもそも、今は特に種に関する規制が厳しい。 下手をすれば、法に触れたことをしたと罰せられてしまうかも知れない。 そして、あっという間にこの果物の商標も取られてしまうだろう。 間友はもともと本業農家ではないのだし、自分の手柄は自分の家だけで楽しむと決めた。 もともとの果物の遺伝子を勝手にいじったのだ。 それは、果物の命を冒とくしたようなものなのだ。 間友には喜びと同時に、それ以上のうしろめたさがあった。
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