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――素肌を這う、しっとりと汗で湿った指に吐き気が込み上げてくる。
そんな嫌悪感に苛まれながら、これは夢なのだとぼんやりとした思考で理解する。
今の自分は、こんな風に己と意思とは無関係に弄ばれたりしないのだから。
くすくすと、四方八方から欲望を滲ませた甲高い笑い声が鼓膜に浸食してくる。
辺りに立ち込める多種多様な香水の匂いに、噎せ返りそうになってしまう。
一つ一つの香りは良いものであるはずなのに、こうも混ざり合ってしまうと、ただの悪臭でしかない。
辺りには僅かな橙色の灯りがあるだけで、薄暗い部屋にはひどく淫靡な雰囲気が漂っていた。
ベッドに横たわる四肢には枷が嵌められており、少し身じろぎするだけでもそこから伸びた鎖が、じゃらりと耳障りな音を立てる。
背に伝わるベッドの感触は弾力があり、シーツも上質で心地よいものであるはずなのに、ヒースにとっては拷問道具の一つのように感じられた。
生地の薄いランジェリーを身に纏っているだけの女の一人が、気まぐれにヒースの長く赤い髪を指先でそっと掬う。
そして、戯れに弄っていたかと思ったら、愛しむように毛先に口づけを落とす。
髪には神経が通っていないはずなのに、その光景を目の当たりにした途端、背筋に怖気が走る。
「……やめ、ろ……」
やっとの思いで口に出した声は、無様なほど掠れていた。
それでも必死に訴えたというのに、ヒースを取り囲む女たちは楽しげに笑うだけだ。
女たちにとって、ヒースの抵抗など意に介する価値もないのだ。
そんな、ここでは常識とでも呼ぶべき事実を思い知らせるように、誰かの手が頬を撫でてくる。
歯を食いしばって目を瞑り、心を無にして全てをやり過ごそうと諦めた、その時。
不意に、周囲から女たちの気配が消えた。
鼻の奥に痛みさえ与えてきた香水の匂いも、枷の感触も消失していく。
茫然と目を開いた先では、こちらを見下ろす一人の少女の顔があった。
「――貴方がいるべき場所は、こんなところではないでしょう?」
先程まで耳の奥まで滑り込んできていた不快な笑い声とは違う、涼やかで透明感のある声。
指通りの良さそうな白銀の髪も、全てを見透かしてしまいそうなエメラルドグリーンの瞳も、どこか人間離れしており、神聖なる生き物を彷彿とさせる。
少女はヒースの手首を掴むと、予想よりも遥かに強い力で上体を引き起こしてくれた。
「貴方は……自分の意志で生きていいの」
その言葉を皮切りに、少女は静かにヒースから手を放していく。
まるで、自分が手助けをするのはここまでだと言わんばかりに。
少女はくるりと身を翻し、どこかへと一目散に駆けていく。
咄嗟に手を伸ばすが、空を掻くだけで彼女には届かない。
少女はこちらに一瞥もくれず、相変わらず前に向かって走り続けている。
そんな少女を引き留めたくて、声の限りに彼女の名を叫ぶ。
「――ディアナ……!!」
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