Chapter1. 『揺れる心』

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「――大体お前は、異性への許容範囲が緩過ぎるだろう。お前がそんな調子だから、あの従者は調子に乗るんだ。少しは分を弁えさせろ。甘い顔ばかりしていても、どちらのためにもならないからな」 ヴァルの言葉をおっしゃる通りですと聞き入れつつ、心の中で早く終わってくれないかなと呟く。 最初は怒りに突き動かされるまま怒鳴っていた彼であったが、次第に年頃の娘としての心構えと、主として従者とどう接するべきかという講釈を、延々と垂れ流すようになってしまった。 注意して見ていなければならない幼子ではないのだから、放っておいて欲しいと、胸中で吐き捨てる。 そんなディアナの心の声を見透かしたかのごとく、ヴァルがぎろりと睨む。 「……あの赤髪と一緒に寝ているところを目撃した俺の気持ちが、お前に分かるか?」 「……申し訳ございませんでした」 視線を落とし、飲み終わったティーカップの縁を撫でる。 既に食後の紅茶も飲んだというのに、まだ解放してくれない。 確かヴァルはバスカヴィル国からの招待に応じるため、ここしばらくは忙しくしていたはずなのだが、今日は時間に余裕があるのだろうか。 そっとヴァルの様子を窺えば、彼は時計を見遣ってすぐに溜息を吐いた。 「……とにかく、これからは夜は絶対にあいつを部屋に入れるな。それくらいは約束できるか?」 「……うん、できる」 ヴァルの問いに、小さく頷く。 彼の予想以上に長かった説教につい反抗心が芽生えてしまったものの、よくよく考えてみればひどいことをしてしまった。 ヴァルの好意を知った上で他の男性と同衾するなんて、惨いことこの上ない。 (ううん……よくよく考えなくても最低だよ……) いくら放っておけなかったからといえ、あそこまでするのは普通ではないのだろう。 ヴァルの叱責からも、あの行動は非常識極まりないのだと、ひしひしと伝わってきた。 今までのディアナは、他人に迷惑をかけているか否かで、その行動を取るべきかどうかを判断してきた。 でも、ヴァルみたいな立ち位置の人はいなかったため、こういう時はディアナの判断基準はまるで役に立たなくなってしまう。 (普通の人の感覚通りに、歳相応の考え方をする……) 何でもないことのはずなのに、ディアナにとっては途方もなく難しく感じる。 そう思ってしまうのは、ディアナが普通からかけ離れているからなのか、それとも心が未熟だからなのか。 自然と俯いて真剣に考え込んでしまっていたら、不意に頭上からやや当惑気味の声が降り注ぐ。 「いや……さすがに、そこまで真面目に受け止めて悩むことじゃないだろう」 顔を上げて首を捻れば、ヴァルがばつの悪そうな面持ちで、こちらから目を逸らす。 「その……俺も悪かった。自分の意見や価値観をお前に押しつけ過ぎたな。さっきのは聞かなかったことにしてくれ」 「……別に、ヴァルは悪くないと思う。だから謝らないで。私こそ……本当にごめんなさい。私が今まで平気でしてきたことは、ヴァルにとっては普通じゃないんだよね……」 生まれも育ちも違う人と生活するのは大変なことなのだと、改めて思う。 とりあえず、約束通りヒースに夜間の部屋の出入りを控えてもらおうと心に決める。 そんなディアナに、ヴァルは複雑そうな眼差しを向けてきた。 「……また、失言したか?」 「え? 全然そんなことないけど……」 どうしたのだろう。 急に遠慮がちな態度になったヴァルに虚を突かれてしまったが、即座にその理由に思い至る。 「――ヴァル、私は大丈夫。ヴァルのおかげで、ちょっとずつだけど過去のことは引きずらなくなってきたから」 鏡の世界で、ディアナの生々しい過去を見せつけてしまった日以来。 ヴァルは時折、ディアナを傷つけてはいまいかと、過度に心配するようになってしまった。 優しいヴァルのことだ。 きっと、これ以上ディアナの心の傷を増やしたくない一心で配慮してくれているのだろう。 その気持ちを嬉しいと思う反面、ヴァルにまで苦しい思いをさせたくはない。 控えめにはにかみ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。 「私、確かに弱いけど……ずっと弱いままでいるつもりはないから。だから、あんまり過保護にならないで。ヴァルとの距離を感じて、寂しくなっちゃう。だから、私は今まで通りがいいな」 少しだけおどけた調子で頼めば、彼の表情がほっと緩む。 「そうか……そうだな。悪い、変な気の遣い方をして。それと……そう言ってくれて、ありがとうな」 「ううん、こっちこそごめんなさい。それから、ありがとう」 ぎこちなくなっていた空気が、ふわりと和らいでいく。 その感覚が心地よくて、くすりと笑みを漏らす。 「……下手に遠慮されるくらいなら、ヴァルは怒りんぼのままがいいかも」 「何だ、その言い草は」 「だって、本当にそう思ったんだもの。ヴァルはすぐ怒るけど、怒っている時のヴァルは、いつもより輪にかけて自分の気持ちを飾らないで伝えてくれるから、分かりやすくていいなって」 「……それは、頭に血が上っているからな。言葉を選ぶ余裕なんかない」 「でも、ヴァルは普段から言葉を選ぶのが上手ってわけでもないよね」 「うるさい、放っておけ」 徐々にいつもの空気が戻ってきて、嬉しくて胸がぽかぽかと温かくなる。 「金輪際、余計なお気遣いはいりませんから。ヴァルはヴァルのままでいいの」 「余計な気遣いで悪かったな。……だが、あいつのことだけはよく覚えておけよ。いいな?」 「はーい」 何だか本当に父親か兄みたいな心配の仕方をしてくるヴァルが、だんだんと面白く見えてきた。 (ヴァルって、やっぱり心配性なのかなあ) 普段からというわけではないが、ディアナに対しては色々と気を配っている。 時々度を超し、苛立ってしまうこともあるが、気にかけてくれていること自体は嬉しい。 それに、加減が分からなくなってしまうのは、そういった配慮に慣れていない証拠なのだろう。 (ヴァル、女の子の扱いに慣れていなさそうだもんね。でも、それでも私には一生懸命頑張ってくれているんだ……) そう考えると、空回りしているヴァルも可愛らしく思えてくる。 得意でもないのに、ディアナを大事にしようと努力するその姿勢は、悪戯心を刺激してくる。 そんなことを考えてしまう自分は、もしかして結構意地が悪いのだろうか。 (でも、しょうがないよね。不器用なりに奮闘しているヴァルって可愛いから、ついついいじりたくなっちゃうよ) ほわんと癒された心地のまま、ぼんやりとヴァルの顔を眺める。 当たり前だが、ディアナの失礼極まりない心の声はヴァルに届くはずもなく、怪訝そうな眼差しを注がれる。 (でも、そういうヴァルもす――) そこまで心の中で呟いたところで、はっと我に返る。 今、なんて続けようとしていたのか。 「いや……いやいやいや……」 「嫌?」 思っていたことをうっかりそのまま口に出してしまい、ヴァルが僅かに眉根を寄せる。 「……ディアナ。さっきからやけに楽しそうな雰囲気で考え事に没頭していたみたいだが、何をそんなに浮かれているんだ?」 余程ディアナは挙動不審になっていたのか、頭は大丈夫かと言わんばかりの目で見られてしまった。 とはいえ、心の中に突然降って湧いてきた言葉に動揺している状態では、ろくな返事ができるわけもなく、あらゆる意味で羞恥に駆られて顔を背けるしかなかった。
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