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クラウディアから解放された時には、もう夕暮れ時に差し掛かっていた。
昼食も共に摂り、様々な会話を交わした。
恋にまつわる話題になると、こちらが必死に躱してばかりいたからか、彼女はそちらの話は断念してくれた。
その代わりと言わんばかりに、王都での流行の話やドレスやアクセサリー、化粧道具の話などいかにも女性らしい話題が尽きることなく提供されたのだ。
そういった話ができる人が身近にいなかったし、そもそもあまり詳しくなかったため、クラウディアに色々と淑女の嗜みについて教えてもらえて、楽しかった。
しかし、その分今になってどっと疲労が押し寄せてきた。
そんなこちらの様子を察したのか、彼女はバスカヴィル国を訪れる機会がまたあったら、その時に話の続きをしようと、お茶会をお開きにしてくれたのだが、帰り際に囁かれた言葉がどうも引っかかる。
――貴女の口から、ウォーレスに私が政界に復帰できるほど回復したとは、言わないで。
実際、クラウディアは女王の義務を充分果たせるほど、心身共に回復したように見受けられる。
もしかしたら、娘と同い年の自分と接することで心が慰められ、それに伴って体力も戻ってきたのかもしれない。
でも、何故ウォーレスにそのことを報告してはいけないのか。
無礼だと重々承知しているが、彼女は所詮お飾りの女王陛下だ。
政界に顔を出しても特に何かが変わるわけではないが、少なくとも大臣たちの士気は上がるのではないのか。
国の頂点の人間がいつまでも臥せっているよりも、健気に頑張ろうと奮起する姿を見せた方が、臣下は安心するのではないか。
政治に関わったことは一度たりともないため、細かいところはよく分からないが、やはり元気になったことを隠そうとするクラウディアに、違和感が拭えない。
(……まあ、何か考えがあってのことだと思うけど)
自分たちが滞在している貴賓室に戻ってくれば、ヴァルがソファに腰かけて読書をしている最中だった。
彼の隣に腰を下ろし、おずおずと声をかける。
「……ただいま」
とっくにこちらの気配など気がついていただろうに、ヴァルはようやくディアナに目を向けてくれた。
いつまで経っても戻ってこないから、怒っていたのだろうかと顔色を窺えば、意外にも彼は目元を和らげた。
「少しは、気分転換になったか?」
「うん。……偶然、女王陛下とお会いしたんだけど、お茶会に誘われて……なんて言うのかな、すっごく女性らしいお話をたくさん聞けて、新鮮で楽しかった」
「そうか」
「……怒らないの?」
「何故だ?」
「だって私、なかなか戻らなかったし……」
「別に、お前が自分の時間をどう使おうと、お前の自由だろう。……まあ、今度はできれば遅くなる時は事前に教えて欲しいけどな」
「う……気をつけます」
そこで、会話は途切れる。
だが、やはりヴァルとの間に流れる沈黙は、居心地がいい。
何となくヴァルとくっついていたい気持ちになり、ぎゅっと彼の腕にしがみつく。
「……いきなり、どうした」
読みかけの本をテーブルの上に置いたヴァルが、怪訝そうに訊ねてくる。
「……ヴァルと、くっつきたくなっただけ」
ぴとりとヴァルの腕に頬を寄せれば、頭上から溜息が降ってくる。
彼の複雑な心境は察せられるが、こうして温もりに身を委ねていると、目を逸らし続けていた想いがはっきりと形を成していく。
(――ああ、やっぱり私……ヴァルが、好き)
内心で呟けば、胸の内が温かなもので満たされていく。
弱っているところを優しくされたから、束の間の錯覚に酔っているわけではない。
きっと自覚していなかっただけで、もっと前からヴァルに恋をしていたのだろう。
もしかすると、あの強く抱き締められた日から彼に想いを寄せる予兆があったのかもしれない。
初対面の男性にいきなり掻き抱かれたにも関わらず、嫌悪感を覚えなかったのは相当だ。
そして、ヴァルのことを少しずつ知っていき、こちらが抱える闇を知っても彼は受け止めてくれた。
大人しく愛されていろと、全部受け止めるからと、強く強く抱擁してくれた。
そうした思い出を積み重ねていき、今、ようやく生まれて初めて味わう感情を噛み締めている。
本来であれば、今この瞬間にでもこの想いを伝えるべきなのかもしれない。
しかし、我儘な自分はもう少しこの優しい関係を続けていたいと願ってしまう。
相手の気持ちを知った上でこんなことを考えるのはおかしいのかもしれないが、彼が経験した片思いを自分もまた体感してみたいのだ。
「……ヴァルはやっぱり、私に甘過ぎる」
こうして惚れた女に密着されているのに、何もしないでいてくれるヴァルは、どうしようもないほどこちらに甘い。
そっと見上げれば、彼と視線が絡む。
「惚れた弱味だからな、どうしようもない」
「……本当にね」
大人しくこちらに振り回されてくれるヴァルが愛おしくて、そっと微笑んだ。
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