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大きな時計塔でラウムは仕事をしています。彼の仕事は時計を正しく動かすことですが、それ以外のことはとんと出来ない青年でした。
ラウムの祖父も父親もこの時計塔で働いてきましたから、彼もそうなることを何一つおかしいこととは思いませんでした。
今日もラウムは一人で働きます。時計塔の周りは霧に包まれています。これはいつものことですからラウムは気にしていません。バケツで雑巾を絞りロープを体にくくりつけ、ラウムの一日は始まります。
ホライズンブルーの文字盤はゴールドの針や数字の美しさをより際立てるものでした。数字の3や5はロープを引っ掛けやすいのでラウムのお気に入りです。6は少々不安定なのであまり好きではありませんでした。時計を正しく動かす為には文字盤も美しくなければいけません。父親にそう教わったものですからロープを引っ掛けやすい3と5も、不安定な6も、それ以外の数字もラウムは丁寧に拭いていきます。
二本の針が直線になる時間がやってきました。3の隣に小さな出入口があります。それはいつものことですから、出入口に置いてあるバケツは前もって端に避けてあります。これはラウムなりの気遣いでした。短針の上を歩いて出入口を開けにいきます。
開き終わるとラウムは数字の9を指す長針に腰を下ろしました。短針が揺れると人が来たことが分かりますから、それが合図になっています。いつもでしたら針の揺れは一瞬で止むのですが、今日は揺れはゆっくりとこちらへ近づいてくるようでした。
その人は美しいブロンドの女性でした。ラウムと同い年くらいに見えます。女性はラウムの姿を見て一瞬驚いた様子でしたが、
「座ってもいいかしら?」
と綺麗な声でラウムに聞いてきました。
ラウムが頷いたため、女性は短針に腰を下ろしました。
「霧でほとんど何も見えないけれど静かで美しい場所ね」
女性は辺りを見渡して言います。
ラウムは女性を座らせたことを少々後悔していました。長居をされると針が動きませんから、時間がズレてしまいます。彼の仕事は時計を正しく動かすことですからそう思ってしまっても仕方のないことなのです。
「あなたがここを管理しているの?」
女性の問いにラウムは頷きます。
「そう。若いのに立派ね」
女性はそう言って自分の長いブロンドを指先で遊ばせています。
「家族はいるの?」
ラウムは首を横に振ります。
「あなた私の息子に似ているわ。凄いのよ。大工になって立派に働いているの」
ラウムは女性の息子の自慢話を黙って聞きました。職業柄時間が少々気になるものの、女性がそれはそれは嬉しそうに息子のことを話すものですから止める隙がありませんでした。
「ごめんなさいね。お喋りが過ぎたわ」
ラウムは首を縦に振ります。女性は正直者な彼が面白くてつい笑ってしまいました。
「私この時計塔へ初めて来たのだけれど噂と違って素敵な場所だったわ。それにあなたは優しくて綺麗だわ」
ラウムは初めて人から優しくて綺麗だと言われたものですから少々困惑しました。
「ねぇ、この時計塔に名前はあるの?」
ラウムは首を横に振ります。
「時空塔なんてどうかしら? 空に手が届きそうな場所にあって、時間から切り離されているようでしっかりと時を刻んでいる場所。素敵だと思わない?」
ラウムはその名前をとても気に入りました。彼が頷くと女性は「良かったわ」と微笑みました。
「悪くないわ、悪くなかった」
女性はそう呟き立ち上がります。自慢のブロンドを風になびかせながら。
「ありがとう、管理人さん。さようなら」
そしてふわりと針から飛び降りました。
女性は落ちていきます。下へ下へと落ちていきます。霧は女性を飲み込み、その姿はすぐに見えなくなりました。
ラウムは3の隣にある出入口へと戻っていきました。人が一人も乗っていないわけですから時計の針はまた動き出します。
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