魔法少女クラウドファウンディング・ハニーちゃん

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魔法少女クラウドファウンディング・ハニーちゃん

『車炎上なう』 「助けてくれえええええ!!」  SNSでの陽気な自撮り投稿とは裏腹に、現実世界の俺はあらん限りの悲鳴を上げていた。  1カ月ぶりの有給休暇。本来なら今頃は、旅館でゆったりと観光地の風景や懐石料理の写真でもアップしているはずだった。お金をケチって高速道路を使わなかったのが、そもそもの間違いだった。  慣れない山道を運行中、急に飛び出して来た猪に気を取られ、俺はカーブを曲がりきれずそのままガードレールに激突してしまった。毎月1万円づつローンで買った新古車は、ひしゃげた鉄塊になって山の斜面を滑り落ちて行った。車は鬱蒼と生える杉にぶつかりまくり、山の中腹でなんとか停止した。だがホッとしたのもつかの間、今度は咥えていたタバコの火がシートに引火して、車内は今や黒い煙で満たされようとしていた。  まさか自分が交通事故に遭うなんて、想像もしていなかった。とにかく早く逃げなければ。壊れたシートベルトをガチャガチャと乱暴に振り回しつつ、俺は平静を保つためとりあえずいつも通りスマホで自撮り写真を取りInstagramにアップした。 「何悠長に写真なんか撮ってるのよッ!」  助手席にいた妻が、コメカミに青筋を浮かべ鬼の形相で俺に噛み付いて来た。つい1時間ほど前までバッチリと化粧を決めていたはずの顔も、今や汗と涙でぐしゃぐしゃになっている。無理もない。衝突の際鍵がイかれたのか、どう頑張ってもドアが開かない。鉄の監獄の中に閉じ込められてしまったのだ。だがこんな時こそ、焦りは禁物だ。それにYouTubeとかInstagramじゃ毎日世界中の愉快な人々が過激な動画や写真をアップしているから、車が事故ったくらいは、SNSの住人にとっちゃ別になんてことはない日常風景の1コマだろう。 「もしもし? 消防ですか?」  俺は119に電話し、急いで援助を要請した。だがそうしている間にも火の手は周り、俺は運転席で今にも火だるまになろうとしていた。人気のない山の中。今じゃ全く使われていなさそうな田舎の山道は車の量もほとんどなく、だからこそ行きは法定速度無視で快適にすっ飛ばしていたのだが、そのせいで助けも期待できそうにない。  救急車や消防隊が到着する頃には、俺は全身こんがりと丸焼きになっているだろう。持ってあと5分かそこらといったところだろうか。俺はフロントガラスに浮かんだデジタル時計を確認した。15:48。これが俺の人生の最後になるかもしれないと思うと、急に内臓の辺りがぞわぞわと蠢き始めた。 「『妻へ。愛しているよ……』」 「わざわざメールしないでッ! 隣にいるじゃないッ!?」  それもそうだ。せっかくなので『遺書』をしたためようと思ったが、こんな時にまでネットに依存している自分が少し情けなくなってくる。俺は右手に握りしめていたスマホを投げ出した。相変わらずドアは空きそうにない。不幸中の幸いと言うべきか、割れた窓ガラスから煙が外に逃げているから、なんとか一酸化中毒だけは免れそうだ。だがガソリンに引火してしまえば、一溜まりもないだろう。子供の頃はヒーロー戦隊に憧れたものだが、まさかこんな形で爆発シーンを再現することになるとは夢にも思っていなかった。 「なんとかならないのッ!? ねえッ!!」  隣で妻が泣きそうな声で叫んだ。俺は目をそらして、フロントガラスの先に見える壊れたガードレールを眺めた。なんとかしてやりたいのは山々だが、この状況で一体どうしろというのだろう。それこそ、スーパーヒーローでもない限り助けなんて……。 「なんだ?」  ふと、視界に人影のようなものが写った気がして、俺は目を凝らした。さっき俺たちの車が走っていた道路、破れたガードレールの端に誰かが立ち、こっちを覗き込んでいた。俺は思わず息を飲んだ。 「やあ! ボクは魔法少女・クラウドファンディング・ハニーちゃん!」 「なんだ??」  その人影は、寂れた山道には似合わない奇妙な格好をしていた。まるでハロウィーンの仮装にでも行くかのようなフリフリのピンクのドレスを身にまとった少女が、さっきからこっちに向かって何かを叫んでいた。 「何? あれ……」 「さあ……」  妻が少女に気づき、怪訝な顔を浮かべ俺に尋ねた。残念だが、俺にもさっぱり分からない。通りすがりの劇団員か、この付近に出る妖怪の類だろうか? なんとも愉快な人である。いずれにせよ、助け舟には違いない。俺は粉々に砕けた窓から右手を振り、必死に少女に呼びかけた。 「おおい、こっちだ! 助けてくれえ!! 動けないんだ!」 「とうッ!」  俺の声に反応したのか、少女はなんとそのまま道路の端からジャンプしてこちらに向かって来た。 「あいたたた……足グネッた……」 「大丈夫か?」  車のそばまで坂道を駆け下りて来た少女は、痛そうに顔を歪めた。近くで見るとまだ中学生か高校生くらいの、年端もいかない少女である。少女は右手に構えた魔法のステッキのようなものを杖代わりにして、暑そうにピンクの山高帽子を脱ぎ捨てた。俺は次第に多くなってきた黒煙に咳き込みながら、急いで少女に話しかけた。 「面白動画撮影中すまない」 「別に動画を撮影している訳じゃないです。ボクはスマホアプリの世界からやって来た魔法少女・クラウドファンディング・ハニーちゃんなんです」 「そうか。実は見ての通り事故ちゃって、ドアが開かないんだ。魔法少女さん、助けてくれないか」 「いいですけど……」  少女はポケットからスマホを取り出して、車内にいる俺たちをカメラでパシャパシャ撮りながら頷いた。 「でも、ここに来るまでに大分スタミナを消費しちゃって……」 「スタミナ??」 「行動ポイントが足りないですね。『ハニー石』を買って、スタミナを回復してもらわないと」 「なんだって??」  少女が困ったように眉をへの字にした。俺は目を丸くした。 「『何石』だって?」 「『ハニー石』です。1個使えば、スタミナが回復するの。1個120円。10個セットで1000円」  俺は少女以上に眉をへの字にして見せた。彼女が一体何を言ってるのか、さっぱり分からなかった。 「助けるには行動ポイントが貯まるまで待つか、石を買って回復させるか……ですね」 「ハア!? お金取るの!?」  隣で妻が素っ頓狂な声を上げた。それから窓の外で暑そうに汗を拭く少女に噛み付いた。 「あのねえ、御託はいいからさっさと助けなさいよ! 人助けにお金を取る魔法少女なんて、聞いたことないわよ」 「魔法少女だって、お金かかるもん!」  妻に負けじと、少女が少し目を潤ませて叫んだ。 「衣装代! 交通費! マカロン代! 魔法のペットの飼育料! 魔法少女だって、ご飯食べるの、お風呂に入るの! 月々のスマホの支払いがタダになったりしないの。困ってるのはアナタたちだけじゃない、ボクの家計だって文字通り火の車なの!」 「…………」 「お医者さんだって、お金取るじゃない。人助けに見返りを求めて何が悪いの? これからは魔法少女も、タダじゃないの!」 「あのねえ……!」 「わかった、払う。払うよ!」  さらに言い争いになりそうだったので、俺は慌てて財布を取り出した。 「はい。120円。これでスタミナが回復するんだろう? いいから早く助けてくれ」  こんなところで口論している暇はない。ちょっと理解できそうにもない愉快な人ではあるが、今はこの少女の助けが必要なのだ。だが少女はなぜかお金を受け取ろうとせず、俺の差し出した右手を突っぱねた。 「ダメですよ。ちゃんと専用アプリから『ハニー石購入』のボタンを押してもらわないと……魔法少女が現金を受け取ってたら、生々しいじゃないですか」 「なんでそういうとこだけ律儀なのよッ」 「そんなアプリあるのか」 「貸してください」  魔法少女が窓ガラスから車内に手を突っ込み、俺のスマホを奪い取った。それから手慣れた様子でスマホにアプリをダウンロードして見せた。 「データの読み込みまで数分かかるみたいですね……少々お待ちくださいませ」 「ちょっと! 待ってる間に死んじゃったらどうするのッ!?」  妻がイライラしたように叫んだ。 「そんなの魔法少女失格でしょう!?」 「たとえ魔法少女に失格したからって、来月の家賃が無くなるわけでもなし……」 「何だか世知辛いな……」  この歳で家賃を気にしなければいけないなんて、一体どんな過酷な環境で育ったのか。俺は少しクラウドファンディング・ハニーちゃんに興味が出て来たが、聞かないことにした。それよりも今は、助かることが最優先だ。心なしか、背中が熱くなってきた。 「よし……ダウンロードできたみたいだぞ。『ハニー石』の追加購入……あれ?」  急いで液晶画面をタッチして件の『ハニー石』を買おうとしたその時、俺は異変に気がついた。 「どういうことだ? 買えない……オイ! 購入画面に行けないぞッ!? どうなってるんだ!?」  いざ『購入』と書かれたボタンを押そうと思っても、画面が反応しない。こんな時に、スマホのトラブルだろうか? 俺は焦って液晶画面を連打した。 「反応しない! オイ嘘だろ!? ここまで来て……ッ!!」 「ああ……初回ログインしたら、チュートリアルをクリアーしないと『石』は買えないんですよ」  俺が混乱していると、窓の外で少女がのんびりと告げた。隣の席で妻が切れた。 「あのねえッ! いい加減にしなさいよ、ゲームじゃないんだから!!」 「だってゲームだもん! ボクはスマホアプリの世界からやって来た……」 「バカじゃないの!?」 「落ち着け! 今はそんなこと言い争ってる場合じゃないだろう!? 大丈夫だ、この手のゲームは何個かやったことある……よし、チュートリアルだ。あった……これをクリアーすればいいんだな……」  妻の怒りが爆発したおかげで、俺は少しだけ平静を取り戻すことができた。俺はゲーム画面をめちゃくちゃに連打しながら、フロントに映し出されたデジタル時計を確認した。15:54。すでに落下してから5分以上は経過している。事は一刻を争っていた。 「よし、よし……クリアーだ!! 助かった……!!」  俺の手のひらの中で、ドット絵の魔法少女が敵のスライムをやっつけた。チープな効果音とともに、画面に『game clear』の文字が浮かび上がる。俺は安堵のため息をついて背もたれに体を預けた。俺はバックミラーをちらと見上げた。車内は今や黒煙に包まれ、火の手は後部座席全体に広がっていた。危なかった。この状態じゃいつ爆発してもおかしくない。間一髪だ。 「さあ、クラウドファンディング・ハニーちゃん。クリアーしたぞ。早く助けてくれ……」 「ダメです」 「は……?」  俺はぽかんと口を開けた。少女はさも当たり前のように、不思議そうな顔で俺を見た。 「最低でも3人パーティで、出撃ボタンを押してもらわないと。あと2人、仲間を入手してください」 「仲間!?」 「何いってんの!?」 「だって、そういうゲームなので……最初の仲間は、第1章のゲームクリアー後に追加されます。2人目は第3章の後ですね。2人目のクラウドファンディング・アクアちゃんは、とっても便利なスキルを持っていて……」 「第3章って……今更そんな時間ないよ!!」 「そしたら……『仲間ガチャ』で魔法少女を追加購入してもらうしかないですね」 「またお金!?」 「ああもう、分かった! 払う! 払うから早く助けてく……」  俺は急いで『仲間ガチャ』のページを開こうとした、その時だった。突然、鼓膜を突き破らんかの如き激しい爆発音が車内を包みこみ、俺の意識はそこでプッツリと途切れてしまった。 □□□ 「あれッ!?」 ……そして気がつくと、俺は山道を車で駆け抜けていた。急カーブの手前、俺は慌ててブレーキを踏み込んだ。 「一体……!?」  夢でも見ていたのだろうか? 確かに俺はさっき、ガードレールに突っ込んで車ごと山を転がり落ちていったはずだが……。俺は助手席にいた妻と目を合わせた。妻も、まるで狐に抓まれたかのような顔をしていた。呆然としたままバックミラーを覗き込むと、後ろの座席に出発する時はいなかった人物が載っていた。 「君は……!」  その子は、先ほど俺の目の前に現れた愉快な少女・ハニーちゃんだった。ハニーちゃんの両脇には、なぜかマグロとイノシシが跳ねていた。 「ボクは魔法少女クラウドファンディング・ハニーちゃん。どうやら間に合ったようですね」  ミラー越しに目が合うと、ハニーちゃんはにっこりほほ笑んだ。 「おかげで車が爆発する寸前、仲間を募り、3人パーティで出撃できました。魔法少女の力で車が事故を起こす前まで時間を遡ったんです」 「魔法……!?」  俺は思わずフロントのデジタル時計を見た。15:13。確かに記憶の中の時間より、前に戻っている。俺は後部座席で飛び跳ねる3人組に視線を戻した。 「マグロじゃないか!」 「マグロじゃありません。彼女はクラウドファンディング・アクアちゃんです」  ハニーちゃんがピンクのフリフリの衣装を無理やり着させらせたマグロとイノシシを撫でた。一体どんな組み合わせなのか知らないが、どう見ても炎上目的の面白動画を撮影しているおかしい集団としか思えない。この3人組……いやこの3匹に、俺は助けられたのだろうか?  「またお困りの際は、ぜひ財源を提供して呼んでください。ボクの活動は皆さんの協力で、支えられているんです。お金次第で、どんな時だって動きますから!」 「絶対呼ばないわ」  妻が鏡越しにハニーちゃんを睨んで、憎々しげに言葉を吐き捨てた。何が何だかさっぱり分からないが、どうやら命だけは助かったみたいだ。俺は急に力が抜けたように、ヘナヘナとハンドルに顔を埋めた。 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「あの……」 「なんですか?」  俺は後部座席に座るハニーちゃんにおずおずと話しかけた。 「帰らないの?」 「ああ……」  するとハニーちゃんは、少し照れたように頬をピンク色に染めてはにかんだ。 「実はさっき助ける時にスタミナ消費しちゃって……申し訳ないですけど、帰りの分、また『石』を買ってもらってもいいですか?」
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