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豊久は藤右衛門に離別状を手渡した。
豊久と豊晴の仇討ちは幕府公認の正式な仇討ちとなっていたが、万が一にも池尻家に害が及んではいけないという配慮であった。
「どうしても行くのかね」
藤右衛門が顎下の髭を触りながら呟いた。
「どうしてもだ。おやじは偏屈で強情な人だったが、殺されるほどの罪過ある人ではなかった」
ならば報いを受けさせねばなるまい。
父親を殺した傷は背中からの刀傷であったらしい。切り口は美しく、剣才溢れるその太刀筋に迷いはない。父の命を奪う為に振るわれた一撃であったのはまず間違いなかったと、豊晴からは聞いていた。
「とはいえ、このご時世に仇討ちとは」
藤右衛門は食い下がった。奉行から認められ張付けされ許可証まで下りた案件である。お上の認可した事項に藤右衛門ごときがどうこう言える訳でもないが、藤右衛門が気にしていたのは妹おちいのことであった。
「おちいはどうするね」
「俺は病に臥せたと伝えておいてくれ、しばらくした後に死んだと」
「いかんな」
藤右衛門は眉間にしわを寄せた。
「せっかく茶の淹れ方や作法を教えたのだ。君に死んでもらうのは困る。いつでもいい、ほとぼりが冷めたその時に戻ってきてくれよ」
豊久は答えず頭だけ下げた。
仇討ちの旅に出立する日まで豊久はおちいと頑なに会おうとしなかった。
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