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豊久と豊晴は、北陸へと向かった。
父を殺した男は大井蓮也という浪人だという。この男は衆道を生業とするものであるらしかった。この時代では男同士の色恋沙汰を厳重に取り締まる流れが強く、それらを衆道などと蔑称し、それらにかかわる者たちをきつく罰したと記録に残っている。
そういった背景から衆道にかかわる人間の情報は、至る所から密告や陰口という形で響いており、仇討ち御免状を携える豊久たちは簡単に大井なにがしの居所を知ることができたのである。
大井蓮也と父親がどういった関係だったのか。
豊久も豊晴もつとめて考えないようにした。
北陸の埴生八幡を参拝したのち、くりから峠を越え、金沢に入った。志茂屋戸吉という呉服屋に宿を借り、一晩を明かすことにした。俳人なども句を詠みに訪れると噂に聞きし金沢の夜の天蓋は美しく静かに透き通っていた。
豊久は寝床を這い出て、庭へと出る。
おちいのことを思い出していた。
「どうか、おやめになってください」
出立の前夜、おちいは豊久の胸にすがった。
「ここで行かせてしまえば、貴方はもう戻ってこない。そうなのでしょう」
おちいはこの時15歳だった。豊久は賢い娘だと思った。
「俺は死にません。きっとここへ戻ってまいります」
「いいえ、うそ、うそです」
「嘘ではありません」
豊久はおちいを抱きしめた。
「香の香りがするでしょう。何か分かりますか?」
「分かりません」
「笹百合です」
おちいの手にそっと掛香と共に金子を握らせた。
「この香りがなくなった頃、俺は戻ってきます」
金子は豊久が身の回りの物を整理した時に出た金と仇討ちの支度金のほとんどであった。
「豊久様」
「俺は貴方を愛しています。だから……必ずここへ」
戻ってくると豊久は言わなかった。おちいも口にはしない。
「はい、お待ちしています。おちいは豊久様をいつまでもお待ちしていますから」
おちいと豊久は唇を重ね合った。
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