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元禄1年(1688年)。
新田豊久という男がいた。
この男、佐賀藩24石馬廻り役の次男に生まれた男であり、7歳の時に剣術へと没頭して、京に上ったのち山口卜真斎に師事を受けた。
大概の者が30歳の大台が見えた頃に免許皆伝の許しを得るところを、19歳の時に山口卜真斎から皆伝の許しを得たといえば、新田豊久の腕前もある程度把握できる。
豊久は近江国岩尾山、油日岳、垂仁天皇創建とされる敬満神社にて祈誓したのちに、東海道遠江周りでの武者修行を終えて、のちに江戸へと至った。
廻国を終えて江戸へと到着した豊久はしばらく松平讃岐守下屋敷と立慶橋の東詰めとの通りをへだてた南側にある堀内道場の門派、池尻藤右衛門の世話となった。
藤右衛門の世話となっていた豊久は藤右衛門の妹である、おちいとの恋慕の情が深まりつつあり、ゆくゆくは池尻家13石に連なる者になるかと思われていた。
ところが豊久の道を大きく分かつ、報せがやってきた。
「兄い様」
久しく忘れていた呼び名と声に、豊久は目を瞬かせた。
「はるではないか」
豊久の眼前に現れたのは新田豊晴。8つ下になる豊久の弟であった。
故郷にいるはずのはるがどうしてここに。豊久はそう思うと同時にはるの蝋のように青白くなった顔色を見て、確信めいた悪寒を感じた。
「おやじ様が殺された」
この時、豊久は29歳、豊晴は21歳であった。
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