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「浅海くん」  帰る手前で呼び止められて、ドアノブを掴みかけていた手を止めて振り返る。玄関先まで見送りに来てくれていた八瀬が、「はい」となにかを手渡してきた。  思わず受け取ってしまってから、我に返る。 「あ、あの、これ」 「ないと困るでしょ。俺、家にいないこと多いから。それで勝手に入ってくれたらいいよ」  困惑を隠せないまま、浅海は手の中のものに視線を落とした。八瀬の態度はいかにもあっさりとしているのだが、これは彼にとって「ふつう」なのだろうか。  判断しそこねて顔を上げると、八瀬がにこりとほほえんだ。 「大丈夫。俺も信用してるから。浅海くんのこと」  この人がよく知る昂輝の友人だから、ということなのだろうか。そんなふうに思ってもらえることはうれしいとは思うけれど。  迷った末に、浅海はぎゅっと鍵を握りしめた。 「ありがとうございます。なくさないように気をつけますね」 「そっちか」 「そっち?」  失笑された気がしたのだが、見上げた八瀬の顔に浮かんでいたのは優しげな微笑だけだった。 「なんでもないよ。楽しみにしてる」  じゃあ、また木曜日にね。  そう送り出されるままマンションのエントランスを抜けたところで、浅海は立ち止まってしまった。  ……もしかして、また変なこと言ったかな。  幼馴染みに妙な顔をされることがあるので、そういうところがあるらしいと自覚してはいるのだが。 「……ま、いいか」  たぶん、一基さんは迷惑だと感じたら、距離を取るタイプだと思うし。  そう思われないうちはがんばらせてもらおう、と思い直して歩き出す。もう夜は深かった。  お礼になったのかどうかはわからないけれど来てよかったな、と今日のできごとを反芻しながら。  このことを話せば、昂輝はバイトなんてやめておけと言う気はするのだけれど、やっぱりいい人だと浅海は思う。  大人で頭がよくて、だから距離を測るのが抜群にうまい、やさしい人。  そういう人が、浅海は好きだ。深入りすることも、させることもない、ちょうどいい関係を築いてくれるから。
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