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「上がる前に、片づけときますね」  忙しない雰囲気の厨房に一声かけてから、浅海はビールケースを抱えて裏口を開けた。途端に、むわりとした熱気が肌を苛んでいく。酒と騒音の混ざった、夜の街のにおい。  このにおいが浅海は嫌いじゃない。そう言うと、似合わないとでも思うのか、不思議そうな顔をする人もいるけれど。  どんな人間も弾き出さないように感じる場所だから落ち着くのかもしれない。  ――なんだ、またか。  鼻にかかった甘い声に、路地裏にあるゴミ置き場に向かいかけていた足が止まる。  そういう店が多いからしかたないのだろうが、遭遇する頻度が高いから嫌なのだ。  うんざりとしながらも、浅海は息をひそめた。  今にもやり始めそうな雰囲気だったら物音でも立てて追い払うが、そうでないのなら立ち去るのを待ったほうが賢明だ。できることなら早々にいなくなってはほしいが。  悶々としているうちに、「八瀬さん」という声が聞こえた気がして、あれと首をかしげる。  ――八瀬って、そう多い苗字じゃないよなぁ。  暗がりに目を凝らしてしまってから、浅海はおのれの好奇心を呪った。まちがいなく、八瀬だった。  慌ててうつむいたものの、意識は完全に八瀬たちのほうに向いてしまっていて、甘ったるい声が次々に飛び込んでくる。  隣にいたのは、遠目でもわかるくらいきれいな女の人だった。八瀬の恋人なのだろうか。そんなふうに思ってみたものの、すぐに浅海は思い直した。  たぶん、そうじゃない。  女の人の声は甘い媚を含んでいるけれど、対するもうひとつが、とてもそういうふうには聞こえなかったのだ。  ――喋り方がきついとか怖いとか、そういうことじゃないけど。  聞き慣れた声とは、どうにも違う感じがする。  自分が子どもだから、わかりやすい「優しい」声を出してくれているだけなのかもしれないが。
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