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「誰に対しても、そういうふうに思ったことないから」
ぽつりとこぼれた本音に、浅海は内心で驚いていた。自分がそんなことを言うとは思わなかったからだ。けれど、八瀬は変わらない調子で「へぇ」と相槌を打っただけで。その態度に、意味もなくほっとした。
八瀬はいつもそうだ。過度な関心を示さない。だから、口を滑らせてしまうのかもしれない。こんなふうに。
「まぁ、俺も、女でも男でも、そこに拘りはないかな」
「へぇ……」
まじまじと八瀬を見上げてから、浅海は呟いた。
「なんか、すごい……ですね」
大人というか、なんというか。
自分には縁遠すぎる世界だったせいか、嫌悪感はまったく湧かなかった。この人だったらありえそうだな、とは思ってしまったけれど。
「じゃあ、試してみる?」
試すという言葉の意味を理解し損ねて、きょとんとした目を向ける。その視線を受けて、八瀬がうっすらとほほえんだ。
「浅海くんが男もいけるかどうか」
「え……、っと」
いつものやさしげな笑みのはずなのに、違うものに見えた気がして戸惑う。
怖いとわけではないのだが、悪い顔というやつなのだろうか。よくわからないが。
わからないなりに、足が勝手に後じさる。詰められた距離のぶんだけ後退すると、すぐに背が壁に当たった。
目の前には八瀬の顔がある。いつもと違う甘い香り。
顔のすぐ横につかれた手に、完全に逃げ場を塞がれた気分になって、浅海は声を上げた。
「あ、あの」
「なに?」
「……からかって、ますよね?」
「ごめんね」
にこりと見慣れた顔でほほえんで、八瀬が手を離した。
「浅海くんがあんまりかわいいこと言うから、つい」
「かわいいことって……」
それは、まぁ、この人からしたら信じられないような馬鹿なことを言ったかもしれないけれど。
この年の男がわからないだとか、そういうふうに思ったことがないだとか、なんとか。
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