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「って、できてなかったら、なんの意味もないんですけどね」
「かわいいね、浅海くんは」
ふっと、なんでもないことのように八瀬が笑う。あ、と思った。また子ども扱いをさせてしまった。
隣を行く八瀬の横顔から視線を外して前を向く。
人にかわいいだとか、そういうふうに言われることは好きではない。けれど八瀬の言うそれは、外面ではなく内面を指しているように感じられるからか、不思議と嫌ではなかった。
とは言っても、褒められている、というよりは、そう言う以外に評しようがない、というふうではあったのだけれど。
だから、つまり、まるきりの子ども扱いということで。
――でもそれも、あたりまえのはずなのにな。
なんで寂しいように思ってしまうのだろう。この人といると、予想していなかったところに感情が揺れ動いてしまう。
少し前の話だ。八瀬にゲイなのかと問われたとき本当にわからなくて、わからないと浅海は答えた。
女も男も恋愛対象として考えたことはないから、誰かを好きになることを考えたことはないから、わからない、と。今まで誰にも言ったことのなかった本心を。
けれど、今は、即答できないかもしれない。
「浅海くん?」
「……なんでもないです」
つくりなれた笑みを浮かべて、浅海はそっと首を横に振った。
今だけだから。心の中でそう言い聞かせる。この人は不要だと感じたら、あっさりと捨ててくれる人だ。そうやって最初から最後まできちんと線を引いて、踏み込み過ぎないように教えてくれる、いい人。
この家にはじめてやってきたとき、たしかに自分はそう思ったはずだ。だから。
――それなのに、俺が踏み込みたくなったら意味ないだろ。
誰も好きになりたくない。特別なんてつくりたくない。だって、人の心は永遠じゃないから、いつか離れていってしまう。そのときに自分ばかりが好きだったら、すごくつらいし、苦しい。もう、そんな思いはしたくない。
だから、ちょうどいい距離でいたい。この人の望む距離にいたい。この人に、捨てられたくない。
だから。駅になんて着かなければいいのに。
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