プロローグ

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プロローグ

[ 序 ]  やさしさというものは、麻薬によく似ていると八瀬一基は思う。  虚実のものだとわかっていても、一度味わってしまえば離れられなくなる。人間とは、そういう弱い生き物だ。  進行方向の信号が赤色に変わる。八瀬は次第に速度を落としていくネオン街に視線を向けた。  この街の夜は長い。そうしてその終わらない夜に蔓延っているのは、優しさや愛に飢えた操りやすい人間ばかりだ。  雑多な人の流れを追っていた視線が、ひとりの少年で止まる。妙な既視感を覚えたのだ。記憶をたどって、あぁ、と八瀬は得心した。  ――どこかで見たと思ったら、坊ちゃんのお友達か。  数日前に会長宅で出くわしたばかりの高校生。どおりで見覚えがあったはずだ。  八瀬には、二人組の男に絡まれているようにしか見えなかったのだが、当の本人にそう思ってはいないらしい。整いすぎたきらいのある顔には、愛想のいい笑みが浮かんでいた。  物おじしないと評せば響きはいいが、警戒心の足らない世間知らずと相違ない。愛されて育った人間特有の無邪気さと言ってやってもいいが。  思い返せば、会長の家で出会ったときもそうだった。職業柄、初見の相手には怖がられることがほとんどなのだが、あの子どもは友人に対するものと同じ柔らかな笑顔を自分にも向けていた。  だから、記憶の片隅に引っかかっていたのだろうか。  ――藤守浅海、だったかな。  名前を思い出したタイミングで、八瀬は短くクラクションを鳴らした。助手席側の窓を下ろすと、夜の喧噪とともに初夏の生暖かい夜風が入り込んでくる。
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