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おにいさんらは今日もどこかで
月曜日は取っている授業がほとんどないので、午前が終われば早々に大学を後にする。
決まって足を運ぶのは、大学からそう遠くない大手スポーツジム。近所では唯一24時間営業の大型店で会員数も他とは桁違い。人手が多い分、管理やサービスに関してはかなり隅まで行き届いていて、年々リピーターが増えているそうだ。
ここが出来てすぐくらいから今現在までほぼ毎週通っている俺は、普段めったに利用することのない貯まりに貯まったポイントの使い道を考えながら筋肉を温める。
(レッグプレスは……まだ空かない)
新規が増えている中、それでもこの時間から己をいじめ抜くような輩はそこそこのヘヴィユーザーだ。なのでどこを見渡しても黒光りする屈強な肉体だらけ。やりたいマシンが埋まって順番待ちになるのが少し残念だけど、これはこれでとっても良い目の保養になる。
「あ、のっちゃんだ。調子どう?」
休憩中に常連の柿崎さんが声をかけてきて、思わず身体が強張った。彼は首にかけたタオルで爽やかに汗を拭きとり、この男の群れの中では目立つ白めの肌を惜しみなく見せつけている。
「どうも……それなりです、よ」
「今日も混んでて大変ですねぇ。ほら、ちょうど三日前くらいに新しいマシンが入ってさあ……僕もあれやりたいんだけど、みーんな先に取ってっちゃう。勘弁してほしいわ~」
柿崎さんとの何気ない会話の間、俺はずっと彼を見ていた。いや当たり前なのだけど、話の内容は半分くらい頭に入ってこなくて。
(相変わらずかっこいいなあ)
憧れ、という言葉が一番適切だと思う。漢らしく身も心も逞しいマッチョ仲間と比べると、彼は所謂「イケメン」という顔立ちだから珍しいということもあって。自分と同い年か少し上だろうか。多分とんでもなくモテるんだろうなあ。整った顔を見るたびそう思う。
「最近は女の子も増えたでしょ。レディースデーとか言ってさ、専用メニューまで作ったらしいよ?のっちゃん知ってた?……のっちゃん?」
「……ぁ!はい、あの……」
「アハハ、僕の話聞いてました?のっちゃんってだいぶ天然入ってますよねぇ。大学でも言われるでしょ!」
「~~……」
「まあ、そのくらいぽやぽやしてた方がいいよねぇ。のっちゃんはどっちかっていうと可愛い顔してるから余計にウケ良さそうですし……」
恥ずかしさを隠せず思わず目をそらすと、レッグプレスから人がいなくなったのが見えた。お先に、と慌てて席を外すと後ろから「頑張ってね~」と呑気な声が聞こえた。
俺は多分、ああいう人に対していつも羨ましさを感じている。
どうやら俺は「綺麗寄り」な顔らしい。あまり自分できれいなんて思ったことはないけど、言われてみればがっちりとした顔つきをしているとも思えない。柿崎さんやジムにトレーニングをしに来る男の人達を見ていると……それをより強く感じてしまうのも事実。
(それでもって、この性格だし……)
恥ずかしがり屋で、あがり症で、友達ともあまりまともに話せない、こんな性格。いつも明るくて誰でも気さくに話しかけられる柿崎さんは、まるでお手本みたいな人で……。
「……んん」
集中力を無くした俺は頃合いを見てトレーニングを止めた。シャワールームで軽く汗を流し、お気に入りのサラダチキンを頬張りながら、明日提出予定のレポート課題をざっと見返す。
***********
……筋トレは趣味だ。
別にボディビルダーを目指しているわけじゃない。ただ身体を鍛えることが好きだから。いつ頃からそうなったかは、もう覚えてないけど。
でも本当は、もっと男らしい人がこういうことした方が似合ってるんだ、というのもなんとなく分かっている。
真っ直ぐ帰ろうと公園の横を通り過ぎようとして、奥の方でスーツの女性がふらりとベンチに座ったのをたまたま見かけた。もちろん面識はない。けれどもこんな時間にあの身なりの人間が公園に行くだろうか、という些細な疑問が頭をよぎる。昼休憩にしては少し遅い気がするけど……。
(……知らない人だし)
余計なお世話だ、と思う。たとえあの人が訳ありだったとしても、わざわざ自分から不審に思われるようなことをしに行かなくても……と思った矢先、何やら怪しげな男がその女性に近づいていった。何か話し合っている、というより一方的に話付けているような。遠目で見ても分かるくらいに女性が困惑している……。
「……あ、」
あれは、どう見てもトラブル。多分。どうしよう、でも。でも……。
「…………っ」
「な、なにして……るんですか……」
思わず駆け出したはいいが、そもそも人見知りの自分がまともに声を出せるわけもなく……細々とした声に気付いた男が不審そうにこちらを見る。
「あ?なんだよ。おたくら知り合い?」
「ち、ちがう、けど……」
「関係ないならいいでしょ別に」
「そ、そう、ですけど……」
苛立ち睨む男の顔と不安げにこちらを見上げる女性の顔を交互に見て混乱する。あわわ、どうしよう、穏便に、最善策は……!?
「あのさ、用ないなら行ってくんない?」
薙ぎ払うように目の前に振られた男の手。驚いた自分は反射的にその手首を掴み軽く防御した──つもりだったが、そのまま勢いよく捻り潰してしまったようだ!
「いいっっつ!!」
「……はっ!」
咄嗟だったから力加減もできず思いがけない力が出てしまった。慌てて掴んだ手首を離せば痛みに怯えたか、「カマ野郎が!」と捨て台詞を吐き男はその場を去った。
(……穏便に、いけなかった……)
心の中でそっと謝罪の言葉をかけると、後ろから小さくお礼の言葉が聞こえてきた。
「すみません、助けてもらっちゃって……」
「今日は午後休だったんです。ちょっと失敗して落ち込んで、まだ家に帰りたくなくて……」
たまたま公園で休んでいた、そんな状態の時に危ない人に連れてかれそうになった。もし誰かが声をかけなかったら、と考えるだけで恐ろしくて震える。
「俺は、全然、なんにも……」
「力、強いんですね。ドラマのワンシーンみたいでかっこよかった」
「ぁ、う、そんな……ンフフッ」
褒められた恥ずかしさで思わず口癖が出る、その直後にハッと口元を押さえると女性はきょとんとした。
「……ごめん、なさい。気持ち悪くて」
「え、何が?」
「……声、高いし……女っぽいから」
カマ野郎が、という男の言葉を思い出す。俺の中で普段の仕草や言動に男らしいものはあまりない。女々しいとか、か弱いとか、女っぽいとか散々言われてきたし多分そうなんだろう。あまり人と会話できないのは、照れてすぐ上ずった声が出てしまうのが怖くて。それをなんて言われるか、と考えてしまうのも嫌で……。
「っすみませ、もう、行きます」
「え!?あ、待っ……」
ぐ、と縮んだ胸元を抱え、引き留めようとした女性の声を掻き消すように駆け足で公園を出てしまった。あれ以上話したら余計に変だと思われる。全然知らない人の前で急に泣き出しそうになってしまったのも嫌になった。
もういいや、どうせこの先会うこともない、ただの他人だもん……。
***********
……と、思っていたすぐ次の日。
(学生証が、ない……!)
食堂で初めてそれに気づき頭を抱える。鞄の中やポケットには入っていないから、どこかに忘れたか落としたか。しょんぼりと肩を落とし、とりあえず先に昼食を取ってからどうするか考えることにした。
(教室移動した時かな……そもそも家?ロッカーに置き忘れるなんてことは……)
家を出てからの行動を一から思い出しつつサンドイッチを頬張ると、ふと隣から声をかけられた。
「すみません、隣いいですか?」
「ふぁ、あ……、!」
なんと驚き。そこには昨日の女性が満面の笑みで立っていた。どうして、と聞こうとした俺の言葉は、女性が差し出した俺の学生証によって消えた。
「あのあと少し追いかけたんですけど、あっという間に見失っちゃって。大学を調べたらここの食堂は一般開放してるって聞いて……もしやと思って来てみたんです」
「なる、ほど……」
「窓際にいたからすぐに見つけられました。会えてよかったです」
無事に学生証が戻ってきたはいいが、すぐに昨日のことを思い出し渋い顔になる。逃げたような自分の態度に怒っているだろう、きっとそうだ。
ちらりと横を見れば変わらず女性が座っているが、昨日は一つ結びだった髪がすっきりとなくなって、かなり短くなっている。
「……あ、髪切ったんですよ、この通り!元々切ろうか迷ってたからちょうどよかったです」
「ん、むぐぐ……」
(怒ってない、のかな……)
反射的に顔を伏せてサンドイッチを頬張った自分を見て、女性は一息ついて……そしてゆっくり優しく話し始める。
「あの、ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけど……私、あなたに救われたんです。色々な意味で……救われたっていうか、後押しされたっていうか。本当に感謝してます」
「……本、当に?」
「ええ、本当に!」
……俺はただ、危ないなと思ったからそうしただけ。
別に漫画の主人公みたく、かっこよく助けたい!とかそんなことはとても思う暇もなかったし……けれど、昨日はどこか物憂げだったあの女性が別人のような眩しい笑みをこぼすのに、思わず自分の頬が緩むのを感じた。
「私ずっと悩んでたんです。会社でもおどおどしてて弱々しいとか言われちゃって。外に出たらあんな風に怪しい人に捕まるし、それも一人で追っ払えるくらいの強さもなかった。だから、もっと強くなりたいって思いました。体もそうだけど、精神的にも。昨日のあなたを見て、私、変わりたいなと思って……」
「お、俺は、精神的に強くなんて……」
「それに能徒さんってとんでもなくパワーが強くてすごくかっこよくて、でも愛嬌もあって可愛らしくて、もう最高じゃないですか!?」
唐突に目を輝かせ立て続けに褒める女性。名前まで呼ばれ、あまりの恥ずかしさに顔から火を吹いた俺。
な、なんだか俺に対する視線が、変に期待しすぎているような……!?
「ひ、ふぇ……」
「見知らぬ人に声をかけるだけでもかなり勇気がいるのに、その上自分の肉体だけで悪者を退治できる……すごいことです!だから私も能徒さんみたいに、まずは身体から鍛えたいなと思ったんです。よく見たら能徒さんってものすごく良い身体してますから、ぜひ色々教えてもらえたら……って、能徒さん?大丈夫ですか?」
混乱状態で全然大丈夫じゃない俺はしばらくの間ガクガクと肩を揺さぶられ続け、余計に周囲の目線を集めてしまうのだった……。
***********
「のっちゃん、今日は調子いいね」
柿崎さんがいつものように声をかけ、マイプロテインを飲み干す。
一通りメニューをこなしたあとスマホを覗いていた俺はふと顔を上げ、「ありがとうございます」とはにかんだ。
「先週より楽しそうだけど……な~んかイイことでもあったりしました?」
「特に、なんにもですよ……」
……いや。なんにも、はちょっとした嘘なのかも。
『そういえば、気持ち悪いだなんてちっとも思ってませんよ』
何とか目を覚まし熱を冷ましたあと、女性はそう言って微笑んだ。
『あの時そう言ってたじゃないですか。女っぽくて、って。私は全然そんなこと思いませんでした。自然に出る仕草でしょう、何も変なことはないです』
あなたは自分の容姿を誰かに決めてもらっていますか?
唐突なその問いに、俺はしっかり首を横に振った。これは、俺がそうしたいから。髪型も今のこの長さが気に入っている。服装だって自分の好きな色、形のものを選んでる……。
そう答えたら女性はふふ、と笑った。それでいいんですよね、って。
『せっかく自分の人生なんだから、好きなように生きればいいんですよね。偏見に縛られなくていい。男らしくとか女らしくとか関係なく、自分がそう在りたいと思ったように、自由に生きていけば……』
肩の荷が降りた、とか吹っ切れた、とかそういう感じだった。清々しく、自信に溢れた横顔。それを見て、胸の内がぎゅっと熱くなる。
この人は俺に救われた。そう言ってくれたけど……今の言葉で、ここに救われた人間がいる。
ここにいる俺も、たった今、あなたに救われたよ……。
「あ!そういえばまた最近新しい会員さん増えたらしいですよ!何人か女の子も混ざってたし。賑わってくれるのは嬉しいけどマシン待ちの行列ができたりしたらちょっと嫌だなあ……」
「……そう、ですね」
「……のっちゃん、今の僕の話ちゃんと聞いてました?」
「き、聞いてましたよ……」
「だってず~っとスマホ見てるもん……あ!!もしかして彼女できたとか!?紹介してくださいよ~~!」
「ち、違いますよ……!ただの友達ですっ」
『今度一緒にご飯でも』とメッセージを打ち込み……やっぱり恥ずかしくなってしまった俺は慌てて下書きを全部消して『新しいトレーニングメニューを考えました』と打ち込み、そっと送信ボタンを押した。
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