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俺は片目を閉じて唇に指を押し当てた。
ナイショだよというように少し悪戯っぽく笑う。これはバレると少々風紀に怒られるのだけれど、人に見せるためにつけたモノじゃないのだ。少しして皐月は驚いた顔からふっと落ち着いた顔に戻った。
「秘密を聞くほど野暮じゃありませんよセンリ。」
「ありがとう。」
俺の足には過去が宿っている。それを消すことはできなくて。ずっと抱えたまま。
羽になって飛んでいけばいいのにと願った黒い刺繍は俺の傷を隠してくれている。そっと撫でればビリリと痛む気がした。
優しい彼に頭を下げて、ふらりと外へ出ていく。外のお風呂は綺麗だった。このメンバーなら少しだけ安心している自分がいる。みんな俺より背が低いから圧迫感がないんだろう。ネコだなんだ言われるが、みんな細くてそんなに威圧感がないのは認める。
夕暮れの空は濃い紺色になっていて、その夜風に震える。どこか遠くで雨の匂いがした。それは感傷に浸れるほど穏やかで綺麗な景色だったからだろう。
あら俺おセンチかしら。
なんてふざけて笑った。
キキくんも雫も、皐月くんも。声をかけてよかったと思った。誰かと、いや彼らと親しくなれるなんてあの頃。千廣と出会った中学の頃は考えもしなかった。風呂に入る前、手を繋ぎながら歩いていく凸凹コンビを見た。それは幸せそうで嬉しそうで。彼らを見て笑顔にはなれなくても、顔をしかめる気にはならない。同性愛が異常だなんて古いのは分かってる。だけどマイノリティだ。それはやっぱりこの世界では確かなことで。この学園を1歩出ればその関係は枯葉のように枯れてちぎれて行くことは沢山聞いた。俺だってその渦中にいる。
だけどと言い訳しかけたところで、キキくんが来た。
「久瀬さん」
「なーに。」
そちらを見ると、真っ直ぐな赤い瞳は少し揺れて、溶かした鉄を飲み込んだような重い嚥下の後呟いた。
「僕はひとのココロがわかりません」
思いもよらない言葉だった。返答に困って口ごもる。
「国語が嫌いです。気持ちなんて分かりません。正解も不正解も曖昧な世界だからです。解が無いものを探せと言われるほどわからない。」
いつもの利口そうな顔ではなくて少し場に酔ったように彼は言う。
「比喩なんて分からないから直接聞きます。何があったんですか。」
「なんだろね。でも、怒られちゃった。」
バシャりと風呂の湯を肩にかけて俺は空を見た。彼が心配してくれるその声が今は重かった。
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