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我が愛しの
坂田岬の部屋の外で、片山俊文はぼんやりタバコをふかしていた。
「片山」
不意に、渡会がやって来た。片手を挙げて片山は言った。
「おー涼圭。事故処理はどうだ?」
片山が、二階の件を知らないはずがなかった。
「全国の累計だが、取り立てて死亡事故はなかった。全世界の人間が同時に眠りについたが、精々物損事故で落ち着いた。世間は気づいていない」
渡会も、あえて言わなかった。
「元凶のおっさんが黙ってりゃあその程度か。ところで長えな、うちの女王様は」
「所々悲鳴が聞こえる。どうやら復讐は成ったようだな」
「あーああ。岬のことなんか誰も気にしてなかったんだぜ?同窓会で会うまで思い出しもしなかった。今じゃ俺達も妖魅の仲間入りか。勘解由小路に絡むとみんなこうなのか?ユッコやお前はいいさ。そういう人間だったし」
「そうはいうが、お前もこっちの世界には詳しかったじゃないか。俺なんかよりよっぽど。一応お前も強力な王の一人なんだ。寝てる間くらい、力の使い方覚えておくといい」
「荒事はお前とユッコに任せる。じゃあ起きるか。またな?今度現実で会おうぜ」
そう言って、片山は姿を消した。
一人残された渡会は、あの軽薄そうな王の一翼について思いを巡らせた。
ああいうことをいっていたが、眠る度にきちんと岬の警護に立つだけあって、自分の職務には忠実だ。
誰も近寄れず、入れもしない場所だからこそ、岬は無防備でいられる。
西園業魔のような人間は滅多にいないにしても、備えるのは必要だし当然だ。
あの日、あの場所で誓ったのだ。俺達は、夢界女王の騎士となることを。
妙に静かになったので、そっと扉を開いた。
そして固まった。
扉の先では、一糸纏わぬ岬が、タオルで汗を拭いていた。
夢界で最も強く美しい女のその場所にあるのは、勘解由小路のいうところの、
おっぱい。
かつて、中身は違えど結婚していた。
偽物の記憶で散々抱きよせたおっぱいを、渡会涼圭はずっと見つめていたのだった。
あっさり出てきた岬と横並びで歩きながら、渡会は岬に告げた。
「終わった、のか?」
「うん。これで名実共にバツイチね。どうしようかしら?これから。真琴に託された以上、しっかりやらないとね?」
背伸びをしてあっけらかんと前夫を殺害した女は、イタズラっぽい表情を見せた。
「岬、お前、変わったな?」
「そう?」
そういえば、まともに岬と視線を交わせたのは初めてだった。
「私は、真琴に生み出された。いきなりこの世界で生きるにあたって、西園は寄生先としては都合がよかったのね。赤ん坊のように依存していた。今思うと共依存だったのかもね。彼が邪悪になったのは、きっと」
「お前が気に病む必要はない。この世界も現実の世界も、きっとより良い方向に向かわせることも出来る。お前は未亡人になった。新しい男だって、いや」
「性質として、男は常に必要だものね。でも、現実の男は害せないわ。莉里ちゃんみたいな素敵な子を作るかもしれないと思うと、現実の男を殺すなんてとても出来ないわ」
「男を殺さないつき合い方だってあるだろう。西園が死んで生命保険が入ったはずだ。再出発するのもいい。俺は、俺達全員が協力する」
「ありがとう。涼圭」
微笑む岬に、渡会はドキッとした。
「あ、そうだわ。西園の保険金のこともそうだけど、こっちの世界を創造維持するにあたって、ちょっとズルしたのよ。勘解由小路さんが今研究を始めたことなんだけどね?それに際して涼圭はきっと大きく貢献出来るわよ。だって貴方は創造維持神である私のーー」
岬も途中で黙った。
驚くほど変わった性格。そして内面の変化に影響されたのだろう、本当に彼女は美しい。
ところで、俺は諫早真琴に告白も出来ずあっさりフラれた。
岬は、いうなれば酷いDV夫から解放され、新たな生活を手に入れた。
目の前で彼女が笑っていて。
時たま隣を歩く彼女の小指が指に触れて。
「な、なあ、岬」
「何?涼圭」
彼女は夢魔だ。だけど、
「この後現実に戻ったら、救急車を呼ぶだろう?奪精による死亡は、医学的には腹上死だ。表向きは変死なら警視庁にも通報される。お前は日常的にDVを受けていて、死亡にはおかしな点はない。急性心不全ともなれば、いずれ保険金も降りるし、再出発するにはちょうどいいだろう。俺は、お前と同級生だし、知らない仲でもない」
「結婚してたものね?」
「ま、まあ!それは嘘だった訳で!現に戸籍上は俺達は夫婦じゃ」
「ズルしたっていったでしょ?あの頃の岬ーー真琴の記憶は、今は共有してるの。だからーープロポーズの言葉は俺がきっと」
うわあ!思わず渡会は岬の手を握っていた。
今更ながら、ドキドキの渡会は、岬にこう言った。
「きょ、今日、終わったら、飯を食いに行こう。上手い山形料理を食わせてくれる店があるんだ」
少し間があって、岬はにっこり頷いた。
「うん」
好きになってもいいはずだ。夢魔だって、幸せな男女関係を結んではいけないってことはないはずだろう?
夢魔の女王に惚れてしまった不器用な刑事は、夕焼け空の川の土手の上を、幸せな足取りで歩いていた。
どちらかは解らないが、その手はぎゅっと握られていた。
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